幸せの行方
名前は気にしないで!
私は今幸せだ。
不妊だけど、幸せだ。
旦那を寝取られたけど、幸せだ。
それが原因で五年前に離婚し、バツイチになったけど、幸せだ。
それは私が再婚したからだろう。
再婚相手は旦那を寝取った女の亭主。
つまり私はサレ妻で、向こうはサレ夫。
でもお互いに私達は面識があった。
いや面識どころで無かった。
彼は私の初恋で、最初の恋人、そして初めてを捧げた人だった。
でも勘違いしないで欲しいのは、決して私と彼は不倫をしていないという事。
それをしたのは、別れた旦那と彼の妻。
前の旦那から不倫をし、相手を妊娠させてしまったと聞いた時は驚いた。
私が不妊で、子供が出来ない事に負い目はあったが、まさかと思った。
相手が既婚者であると知り、更に驚いた。
向こうの家庭には既に一歳の子供が居ると聞き、目眩がした。
妻の不倫を知ったのは、子供が出来たと自白したから。
二年前から彼は単身赴任中で、夫婦関係が無かったので誰の子供であるかは考えるまでも無かった。
彼は慌てて自宅に戻り、そのまま離婚の話し合いとなった。
『あ...』
『...まさか』
弁護士事務所で彼を見た時は言葉を失った。
私の両親も知っている彼と8年振りの再会、こんな形で会う事になるとは想像も出来なかった。
一方、話し合いは頭が痛くなる内容だった。
二人は職場の上司と部下。
女は旦那の転勤に付いて行かず、地元に残った。
『赴任期間が終われば、関係を終わらせるつもりだった』
子供を自分の実家に預け、私の旦那と束の間の恋人生活を謳歌していたのだと言った。
女の自分勝手な言い訳に溜め息を繰り返す彼の姿に胸が痛んだ。
妊娠に関しては予想外だと言っていたが、いくら避妊具を着けていても、ピルも飲まず、そうなる可能性くらい予想出来なかったのか?
愛情は一気に冷めて行った。
『離婚します』
『そうですね、私も慰謝料を』
アホらしくて早く終わらせたかった。
バカ達は特に抵抗する事なく、直ぐ離婚に向けての話に移行した。
『石女だから仕方ないわね、騙されたわ』
義両親の言葉...悲しかった。
騙した訳じゃない、不妊が分かったのは結婚してからだ。
それでも良好な関係だと思っていたのは私だけだったのだ。
妻としてだけで無く、一人の人間としてまで否定された。
堪えきれず、後を両親や弁護士に任せ退席した。
その後、慰謝料が決まり二組の夫婦が終わった。
勤めていた保育園を退職し、実家に戻ってから半年、ようやく我に返った私は両親から全ての顛末を聞いた。
元旦那の実家は旧家だったので、不倫女を後妻に迎えた。
『これでやっと跡取りが出来た、あんたの娘はとんだ不良品だったよ』
合意書を交わす際に両親はそう言われたそうだ。
情けなさと両親への申し訳なさに泣いた。
更に女の亭主に元旦那は、
『あんたじゃ満足出来なかったみたいだな』
最早人間とは思えない暴言まで言ったそうだ。
そんな男と結婚していた事実に絶望した。
女は子供の親権を手放した。
元旦那側の意向、実子以外必要ないという事だ。
それに合意する女も気が狂ってるとしか思えなかった。
一歳の可愛い盛りの子供を捨てるなんて...
『随分苦労しているそうだ』
両親が言った。
女の両親は体調を崩し入院中、彼の両親は既に亡くなっていない。
気づけば私は彼に連絡を入れていた。
懐かしい彼に...
『...久し振り』
『そうだな』
思わぬ形で再会してしまったが、彼の窶れた姿に改めて心が傷んだ。
『子供はどうしてるの?』
『なんとか頑張ってるよ、会社も残業の少ない部署に変えて貰ったし』
赴任を切り上げ、本社勤務にしてくれたのは会社なりのお詫びの気持ちだったのかもしれない。
それ位で幼児を育てられる程、子育ては甘い物では無い事くらい分かった。
『力になりますよ、こうみえても保母ですから』
『...そんな事、紗央莉にさせられないよ』
『良いの、私がしたいだけだから』
私の名前を呼ぶ彼に胸が疼く。
半ば押し掛ける形で彼の子供の世話を始めた。
やはり子供は可愛かった。
なれなかった母の喜び、偽りでも嬉しい、気づけば彼の家へ毎日通うようになっていた。
『紗央莉、彼をどう思っているんだ?』
一年が過ぎた頃、両親が聞いた。
『...どうって』
両親の言いたい事は分かっていた。
私が日に日に元気を取り戻して行くのを間近で見てきたのだから。
『まあ...なすがままね』
『そうか』
それ以上両親は何も言わなかった。
消えてしまっていた筈の彼への想いがまた灯るのを感じていた。
彼も同じ気持ちなのは分かっている。
でも踏み出せない、裏切りから配偶者を失ってしまった者同士だから分かる躊躇い。
もう傷つけられたくない気持ちが心に刻まれていた。
こんな事になるなら、彼と結婚しておけば良かった。
すれ違いから別れてしまった私達。
十代の恋なんてそんな物、その時無理矢理自分を納得させた。
遠方の大学に進んだ彼と、地元に残った私。
長距離恋愛は段々と連絡が減り、自然消滅に近い終わりだった。
そんな私達の背中を押したのは彼の息子。
彼が仕事から戻り、子供を預ける私に息子が言った。
『ママ...帰っちゃやだ』
『...亮ちゃん』
小さな手が私の袖を握る。
ママと呼ばれ、私の頭が真っ白になった。
『良かったら一緒に暮らさないか』
『...はい』
こうして私は家族の一員となった。
再会から約2年、気づけばお互い30になっていた。
結婚式は挙げず、身内だけの小さなパーティーで済ませた。
今年で結婚2年目。
旦那と息子の三人暮らし。
連れ子だけど、息子は本当に可愛い。
生さぬ仲と世間では言うが、私には当てはまらない。
ママって呼ばれるだけで、未だに頭の奥が痺れてしまう。
「ただいま」
「おかえりなさい、あなた」
「お父さん、おかえり」
家に帰って来た主人を息子と一緒に迎える。
幸せを実感する瞬間、本当に再婚出来て良かった。
「あのね、今日僕学校でね...」
「そうか凄いな亮」
息子は今日学校であった出来事を嬉しそうに話す。
小学生になった息子は毎日が楽しそう。
主人の目にも幸せな様子が伝わって来た。
「ありがとう紗央莉」
「ううん、私の方こそ」
息子が寝た後、晩酌を楽しみながら、その日あった事を語り合う。
これは失敗から学んだ事、お互いの想いを伝えておけば、心は離れない。
「本当なら私は母親になれなかった」
「...紗央莉」
息子は母親の記憶は無い。
当時一歳だったから当然だ、女の実家は既に無い。
気落ちしたのだろう、一年前に相次いで亡くなってしまった。
亡くなる前に病院へ見舞いに行った。
女の両親は涙を流し息子の頭を撫でていた。
そして決して自分達が本当の祖父母である事は言わなかった。
その気持ちを思うと涙が止まらなかった。
「また面会を頼む手紙が来たそうだ」
「また?」
弁護士に手紙が届き始めたのは半年前から。
それはあの女からだった。
「面会はしない約束だったのに」
「一体なんのつもりかしら?」
離婚時の取り決めを一方的に無視する女の行動。
止めさせようにも女の両親は既に居ない。
元旦那サイドに連絡するしかないのだが、接触を持ちたくなかった。
息子は私が母親だと思っている。
いつかは違うと知られてしまうが、それは仕方ない、女から言われる事だけは避けたい。
「また突き返すか」
「そうよね」
気味が悪い、それが一番だろう。
主人と再婚したのは友人達にも秘密にしている。
自宅は知られて無い、以前暮らしていた家から遠く離れているし、主人も本社に勤めている事は知らない筈だ。
気味が悪いまま更に半年が過ぎた。
「亡くなった?」
「ああ、弁護士から連絡があった」
「...そう」
女の死を知らせる連絡。
それは突然だった。
「離婚していたのね」
「...みたいだな」
女は再婚したが、僅か二年で離婚していた。
跡取りの息子を産んだ女は用済みとばかりに家を追い出された。
「また女を作ったそうだ」
「懲りない人ね」
元旦那はまた浮気をし、女を庇うどころか、追い出す事に加担した。
誰かに頼ろうにも自分の実家は既に無く、絶望した女は...
「...自業自得か」
「本当に」
女の手紙には何が書かれていたのか、今となっては分からない。
どんな気持ちで女は手紙を書いたのだろう?
遺書も無かったので、最後の気持ちも
分からない。
「あの男の実家も大変らしい」
「みたいですね」
男が浮気した女の実家はかなり訳アリだった。
寄生一族で男の実家に乗り込まれ、財産を食い潰されているという。
彼等は常識の全く通じ無いタイプらしく、関わりを恐れた周りに住む一族は男の実家を見捨てた。
これも自業自得だろう。
「...忘れるか」
「そうね」
全ては今に結び着く。
いつか息子に母親の最期を話す時が来るだろう。
それは辛い時間になるかもしれない。
でも大丈夫、きっと乗り越えて行ける。
なぜなら私達は家族なのだから。
主人と目を合わせ、静かに頷く。
寝室から息子の寝息が聞こえた。
ビターエンド