リリシア王国兵・アースバル
"デスザイアァ・ジュニア"、
それは彼の出自を、外側から端的に知ることが出来る言葉に過ぎない。
いかにして「紅い地獄」という死の淵から生還したのか、彼は生きていた。育っていた。
かの魔空城陥落から20年が経ち、天下は泰平の世を謳歌している。
滅亡の危機に打ち勝った聖ジャスティア帝国を含む6国は、魔物によって失われていた土地をそれぞれに奪還、開拓し、国間の戦争はジャスティア・アール条約によって禁止された。
デスザイアァの使い魔どもは、勢いを増した人類によって駆逐され、年々その数を減らしている。
盛者必衰、因果応報というべきか、魔皇の時世とは真逆の状況であった。
ーーリリシア王国の首都・リリス。
魔皇討伐戦線の一番手を担うも、国軍の重鎮たるファーガの戦死によって脱落を余儀なくされ、6国の序列としては下位に甘んじているリリシア王国だが、首都・リリスの賑わいは他国に引けを取らない。
こと王宮を囲むマーケットの一帯は、物売りや野次の声が飛び交い、噎せ返る程の人波である。
「デプリ古書店」は、その中心地から狭い路地を入り、更に角を2つ曲がったところにあった。
不思議と急に表の喧騒が届かなくなる静かな通りに掲げられた看板を、籠に入ったダイダイトウロウムシの火が弱々しく照らしている。
「やはり、戦士・ファーガは、ガラゴイルに致命的なダメージを負わせていたに違いありません」
「またその話か」
ぼんやりと薄暗く、埃っぽい店内である。
書物はひどく雑多に積まれ、とても売り物とは思えない有り様であった。
開いたまま床に抛げられ、足跡が付いたものもある。
「そうでもなければ、シン国如きが門番・ガラゴイルを突破できる筈がないと思いませんか」
「とすりゃあ、リュウホの軍団は、最初から致命傷を負っていたガラゴイルに半壊させられたと?」
汚れた書物に囲まれながら、若者と老店主が問答を交わしている。
この古書店には似合わない、清潔感のある衣服に身を包んだ若い男は、埃に塗れるのも厭わないといった調子で棚を漁っている。
振る舞いは落ち着いているが、どこか情熱的な雰囲気を感じさせる。
今しがた卓上に置いた書物が魔皇討伐戦線に関する戦記であろうことは、話題から推察できる。
「ファーガはリリシア随一の豪傑、シン国の馬の骨に遅れを取るなど有り得ぬことです。現に、リュウホ勇軍はガラゴイルを倒した後、ベラローズ侯には何も出来ずに全滅しているではありませんか」
「ふむ、一理はあるが」
老店主・デプリは聞き飽きたというように宙に視線を投げると、思い出したように話を変えた。
「おお、そのベラローズじゃがな」
片眉をぐいと上げると、続けた。
「魔皇・デスザイアァ亡き後も、密かに生きておるという噂があったが、どうやら最近、連邦の斥候が居場所を突き止めたらしいて」
「ほう」
若い男は驚いた風でもなく、しかし興味ありげに体ごとデプリの方に向き直した。
「驚かんか」
「ベラローズ侯ほどの大物、倒していれば討伐報告があるでしょう。それがないということは、生きていると考えるのも不自然ではありません。で、連邦はどうするつもりなのですか」
リリシア王国の北側に位置し、総帥ワーズラングによって統治されているアール=アライア連邦は、魔皇討伐において聖ジャスティア帝国と同時期に派兵、魔空城を陥とすには先に周辺を囲んでいる4つの妖砦からの増援を防ぐのが不可欠と主張し、実際にその内2つを撃破していた。
ジャスティア皇子・ジャステスによって成されたデスザイアァ攻略は、アール=アライア連邦の働きによるものが大きいと考える者も多く、戦線以降、聖ジャスティア帝国とほぼ対等な関係を保持していた。
人類の世となり、疲弊した世界を復興させる目的で6国間の武力戦争を禁じたジャスティア・アール条約は、連邦のワーズラング総帥と時の聖皇帝・ファーザル=ジャスティアの同意によって締結されたものである。
デプリはここからが本題とばかり、身を乗り出して若者に告げる。
「無論、討伐軍を出すとよ。生け捕りにしようという計画らしいて」
「連邦だけでですか」
「それがよ、ベラローズの居所なんじゃが、連邦とウチの中間、まだどちらにも属さぬ旧魔領なんじゃと。共同戦線になるとよ、何も聞いとらんのか」
「一兵卒には直前まで話が回ってきません」
リリシア王国の兵士と見られる若者は不満げにそう言ったが、反面、目を輝かせているのを見て老店主は苦笑した。
「アースバル、ようやっとお前の初陣になるかもしれんのう」
「まだ分かりません。しかし、そうと決まれば名を上げてきますよ」
その後、デプリの言った通り、リリシア王国とアール=アライア連邦の共同による魔侯・ベラローズ討伐作戦が展開された。
魔皇時代、デスザイアァ配下には階級があった。
魔皇・デスザイアァを頂点としたピラミッドであり、直属の腹心を除けば最上位とされていたのが「魔侯」である。
中でも120年前に引き起こされた人類による大規模な反撃作戦「カディアス戦火」の鎮圧に功績を挙げた7人は「七魔侯」として特別待遇を許された。
その1人が魔皇の血族でもあるベラローズ侯である。
デスザイアァ討伐後、勢いに乗じて各地で多くの魔侯が討ち滅ぼされた。
「七魔侯」の討伐報告も続々と喧伝され、報告がないのはベラローズ侯を含めても2名を残すのみである。
その魔侯・ベラローズ討伐軍、アール=アライア連邦は先の戦線でも若年ながら妖砦攻略に活躍した智将・ロクを総大将とし、リリシア王国からはファーガの再来と称される烈将・フランザー率いる一軍が出陣した。
「おい、アースバル、俺たちにも活躍のチャンスはあるよな」
リリシア軍の後衛、援護魔法部隊の中に、古書店の若者アースバルはいた。
軽装の魔導服に身を包み、共に行く同輩と初陣を励まし合っている。
「こんな後方の援護部隊に活躍の場があるとしたら、それは前線が苦戦してるということだ。まあ、でも、少しは見せ場を作らなきゃ帰れないという気持ちは俺も一緒だ」
瞳に情熱を湛え、その時を待っている。
彼は、知らなかったのである。
自分がデスザイアァの子、魔皇太子であるなどと、この時はまだ夢にも思わぬことであった。