中編:元夫視点
元夫視点のざまぁ編開始。前編に続き、生殖能力に関する暴言があるのでご注意を。
肝心の元夫やティルカよりも、脇キャラ夫婦の存在が無駄に大きい気がしてなりません。何せ書きやすかったんです……!←
ばったり。
と、音でもしそうな勢いで鉢合わせたのは、半年前に別れた元妻ティルカの弟トール。そこそこ改まった場所にでも行く予定だったのか、少しばかり着飾った様子で、可愛いが何とも能天気そうな嫁を連れている。
「これはこれは、とうの昔に御縁が切れた元お義兄さん。残念ながらとてもお元気そうなご様子で」
「ふん。子供も産めない不良品の姉を寄越しておいてその物言いか。相も変わらず生意気で可愛くない元義弟だな」
「わー、そんな言い方は物知らずにもほどがありますよー。不妊の原因の割合は男女それぞれ半々だって、ご存知ないんですかー? どうして男性って、畑じゃなくて種が悪い可能性を、頑なに考えようとしないんでしょうねー」
勿論トールくんはそんな人じゃありませんけどー、と邪気のない笑みを浮かべつつ、空気を読まない音量による発言は、道行く男性の何割かを見事なまでに撃沈させた。
当然ながら、長年の付き合いの恋人をようやく妻にできた上に、別の念願が叶った俺には何のダメージもなく、鼻で笑うほどの余裕があったが。
「生憎だが、俺については問題なんか何もない。つい昨日、新しい妻の妊娠が発覚したばかりなんでな」
これでようやく、次々に辞めていった従業員たちの穴を埋めるのと、引退済みの両親への援助のために激務になっていた最愛の妻を、約束通り休ませてやることができる。
こんなことなら離婚後もティルカを追い出さず、従業員の一人としてぎっちり仕事をさせるべきだったろうか。日頃からぽわぽわしていた元妻だが、あれでなかなかの商才は備わっていたはずだから。
それでなくとも、ティルカの実家から慰謝料を搾り取れればよかったが、ティルカ本人はともかく、辣腕と名高いこの義弟まで敵に回すわけにはいかない。いかにぽわぽわしているティルカだって、あまり追い詰めすぎては、実質的な夫婦関係が何もなかったことを義弟に明かして泣きつく恐れがあり、そうなれば慰謝料を払うのはこちらになってしまう。
慰謝料を諦めた結果、親と店を支える負担は俺一人の肩にかかってくることにはなったが、大切な妻子のことを思えばそれくらい安いものだ。……うん。たぶん、きっと。
そう自分に言い聞かせていたせいで、元義弟の予想外極まる言葉に反応が遅れてしまった。
「それは奇遇ですね。実は姉も子供を授かったそうなんですよ。それで今から、姉とその旦那さんに会いに行くところでして」
「…………はあ!?」
「お義姉さんに会うの久しぶりだから、とっても楽しみなんですー。旦那さんとは、家族に知らせる間もないくらいのスピード結婚だったそうですけど、見た目も中身も物凄くイケメンらしくてー。前の夫とは大違いだって、お義姉さんのお友達のサリナさんも言ってたんですよー?」
「こら、リタ。目の前のこの人がその前の夫なんだから」
「あっ、そうでしたねー。ごめんなさい、ついつい口が滑っちゃってー」
明らかにわざとでしかない上に、謝罪でも何でもないうわべだけの言葉がぶつけられるが、俺は最早それどころではなかった。
──よりにもよって、ティルカが再婚した上に妊娠までしただと!? 家を出る前、「おかしな噂が立つと困るから、早々に再婚したり子供を作ったりはするなよ。まあお前にそんな真似は不可能だろうが」と、あれほど言っておいたのに! まさかあの女、荷造りに夢中で聞いてなかったのか!?
これはもう、徹底的に文句を言ってやらなければ気が済まない。
同行させてもらうことを宣言すると、元義弟夫婦は顔を見合わせて、実に嫌な感じににんまりと笑った。
「どうぞどうぞ。いくら結婚以前からの愛人がいたお義兄さんでも、ほんの一時であれ縁があって夫婦になった姉のことは、多少なりとも気になっていたんでしょうし」
「そうですねー。現旦那さんと元旦那さんを見比べることで、お義姉さんも今の幸せをしみじみ噛み締めてくれると思いますからー」
──何だこの夫婦。こええ。
と、通りすがりの人たちに恐怖を覚えさせた義弟たちに連れられ、待ち合わせ場所に着いた俺は、目の前の光景に口をあんぐりと開けてしまう結果になった。
きらきらきらきらきらきら
「ほらティルカ。そなたの好きなショートケーキのイチゴだ。食べさせてやるから口を開けて」
「う、えっ、で、でもあの。その、みんな見てますから……! それでなくとも、テラス席で膝抱っこなんてされて目立ってるのに……!」
「見せつけてやればよい。早くせぬと、イチゴがフォークから抜け落ちてしまうぞ?」
腰まで伸びた輝く銀髪に、翡翠ともエメラルドともつかない見事な煌めきを宿した瞳。直視するのも難しいほどの目映い美青年が、よりにもよって俺の元妻を膝に横座りさせ、愛情に満ち溢れた笑顔でいわゆる「あーん」を強制している。
……何だこれ。俺の知らない間に、世の中で何が起こった?
「うわあ〜……すっっっっごい。聞きしに勝るイケメン、いやもうそんな表現は失礼なレベルの美形さんだわ〜……!」
「うん、確かに……姉さん、一体どこであんな旦那さんを捕まえたんだ?」
「あっ、トールさん、リタさんもこっちこっち! 流石にあそこには同席しづらいでしょうから、ここの席にどうぞ!」
「わー、サリナさんありがとうございますー! 約一名、余計でしかない存在がついてきちゃいましたけど、ちょっぴり我慢してくださいねー!」
キラキラの化身から少し離れた席で手を振ってきた女性に、義弟夫婦はそれぞれに親しげな態度で近づいていった。
「すみません。さっきばったりと元義兄に会ってしまったものですから。姉の現状を軽く説明したら、それはもう不満げに『ティルカに話があるからついて行かせてもらう』なんて言い出されてしまって」
「へーえ、それはまた随分とお時間に余裕があるんですね? あの人のご両親、元から浪費家だって評判だったそうですけど、息子さんが結婚してからその傾向がどんどん進んだみたいで。今ではもう、色々と引き返せないところまで来てるって話ですよ? そのせいで疲れきったティルカさんが追い出されて、後妻さんもお金を稼ぐために、無給の労働力として朝から晩まで働かされてるって噂になってますね」
「ああ……実は生前の両親は、婿殿にはとにかく無駄に気前が良かったもので。僕が実権を握ってからは、有望な投資先が見つかったこともあって、不必要な援助は止めたんですが、もう完全に手遅れでしたか。姉が言いがかりで離婚されたことで、援助したお金を全額回収するという手もあったんですが、幸い姉はそこまで酷使される前に解放されましたから。こちらが手を下すまでもなく、あちらが追い詰められているなら何よりです」
「でもさっき聞いたんですけどー、あの人の後妻さん、妊娠したそうなんですよー。そのことをとにかく偉そうに、何様かと思うレベルで自慢してたのに、その状況で親御さんがそんなだと、負担は全部あの人にかかっちゃいますよねー。大丈夫なのかなー? ま、限りなくどうでもいいことですけどー」
好き放題に言い募る三人(主に元義弟嫁)の存在を俺は完全に無視し、元妻と、その現夫だという人外美形に話を切り出すべく、何とか勇気を奮い起こそうとしていた。
いざ声をかけようと口を開いたところで、切れ長の緑の瞳が、道端の石でも見るような無関心な風情でこちらを見てきたものだから、あえなく声は出せないままに終わってしまう。
「ティルカ。もしやそこの男が、そなたの元夫だとかいう奴か?」
「えっ? ……あ、ええ、そうですけど。どうしてあの人がここに? 待ち合わせていたのはトールとリタさんなのに」
「どうやら、その二人と偶然出くわしてついてきたらしいな。あちらの席で、サリナにそう説明をしていた」
「ええっ!? そうだわ、すっかりサリナさんを放置してた! おまけにトールたちまで……下ろしてくださいアルダさん、ちゃんとみんなにお詫びをしなきゃ!」
「ああ、分かったから急に動くな。胎の子が驚いてしまう」
言いながら、それはそれは大事そうに、壊れ物でも扱うような慎重な仕草で、アルダと呼ばれた銀髪男は、優しくティルカを地面に立たせた。
そのティルカは、俺の存在になど視線を寄越すこともなく、ただ友人と弟夫婦の席に出来る限りの早足で直行していった。
「……さて。ティルカの元夫とやら」
まるで元妻の付属物のように呼ばれ、流石に腹が立ち喧嘩腰になってしまう。
「その呼び方はやめろ! 俺にはちゃんとした個人の名前が──」
「あることは当然知っている。が、それを知る価値は我には皆無だ。むしろティルカの記憶から、貴様の名前は勿論、存在そのものを消し去ってやりたいとさえ思っている」
「んなっ……!?」
「ああ、だが貴様には一つだけ、感謝しておこう。──三年もの間、ティルカの夫として暮らしながら、彼女自身には一切その権利を行使しなかったことをな」
「────っ!!」
よりにもよって公衆の面前で事実を暴露され、顔から完全に血の気が引いたことを自覚した。
ティルカとの離婚理由──「彼女が子供を産めなかったから離縁した」という話は、今の妻を娶る正当な理由を作るために広めたものだったが、孫の顔が見られないことがよほど腹に据えかねていたのか──もしもそうなら申し訳なかったと思う──、俺の両親がことあるごとに嬉々として話題に上らせていた。当然その結果、知り合いの知り合いのそのまた知り合いの範囲まで、その話はとうに知れ渡ってしまっている。
彼らの全員が離婚という選択を支持してくれたわけではないが、少なくとも男性陣や親世代の人たちは、「親に孫の顔を見せたいのなら、奥さんには可哀想だけどしかたないね」と納得してくれたのがほとんどで、今の妻との結婚を誠実な言葉で祝福してくれたのも彼らだ。
──そんな彼らに、この事実が知れてしまったとしたら。
優しくて律儀で誠実な人たちに、俺がティルカにありもしない責任を押し付けたと知られれば──
想像しただけで、震えが来るほどの寒気が背筋を走る。
冗談ではない。いくらそれが真実であったとしても、この場では何としてでも否定しなければならない。
「で、でたらめを言うな! 一体何の根拠があってそんなことを──」
「我との初夜で、ティルカは貴様のみならず、どの男にも触れられておらぬ証拠を示してくれたまでのこと。そもそも我ら一族の妻となる者は、まず何よりも処女であることが第一条件なのだ。そして今、彼女の胎には我が子が宿っている。──貴様の離婚理由とやらを否定するのに、これ以上の根拠が必要か?」
「ぐ……っ!」
「アルダさん! 人前でそんなことを、それも昼間から堂々と口にしないでください! 恥ずかしいじゃありませんか!」
「そうですよー。いくら最愛の妻の名誉を回復するためだったとしても、もう少しティルカお義姉さんを気遣ってくださらないとー。あ、申し遅れました。私はお義姉さんの弟トールの妻で、リタと申します。こちらが夫のトールです」
自己紹介の時だけは語尾を伸ばさないあたりは、何かしらこだわりがあるのか礼儀を弁えているのか判断に迷うところだが、そんなどうでもいいことを思う余裕が俺にあったのは、この時が最後だった。
好奇と蔑みの視線にさらされながら帰り着いた家で、激怒した両親に、妻が残した書き置きを見せられたから。
『妊娠は嘘でした。
あなたたち──最低の両親と、二人から守ってくれない最悪の夫とは、永遠にさようなら』
──がくん、と。
衝撃のあまりに両膝を床についた俺は、ただただ呆然とその文字を見つめるしかできなかった。
リタの口調がうざかったらすみません。書き出したら何故かこんな有り様に……でもこんなでも、頭の回転は早くて空気もちゃんと読める娘です。切れ者商会長の妻ですから。今回は読む必要がないから読んでないだけで←
元夫ざまぁは次話で完結です。若干蛇足かもしれませんが。
逃げた現妻がどうしたかはご想像にお任せします。メインはあくまでも「元夫ざまぁ」で、そこはタイトル通りということで。