後編、もしくは蛇足
蛇足という名の前編直後の話。別名ざまあ編。
どんっ!
──その途中で、ちょうどこちらにやってきた男性と、彼は見事に肩をぶつけてしまう。
互いに体格は似たようなものだけど、変に勢いがあったのと、相手の体幹がとてもしっかりしていたせいで、元勇者は露骨にバランスを崩してたたらを踏む。……引っくり返らないところは流石だけど、少し残念。
「……ってぇ!! おい、どこ見てんだよてめえ!」
ますますチンピラとしか思えない態度の男に、遠距離メッセンジャーの依頼を果たして来たらしい馴染みの冒険者さんは、いつものように礼儀正しく応じてみせる。
「すみません。……ああ、勇者様ですね? ちょうど良かった。王家からの依頼で、貴方の故郷とその周辺に、皆様のご活躍と平和が戻ったことを伝えて回っていたのですが」
さらっと言うが、短期間でかなりの遠距離と広範囲の往復を要求され、なおかつ危険手当があるとは言え、道中の安全はほぼ自己責任なので、相当な実力と機動力を併せ持った者でなければこなせないのが遠距離メッセンジャーである。
もしもこの冒険者さんと元勇者が手合わせをすれば、間違いなく彼が勝利するに違いない。それも、長くともせいぜい数十秒程度で。
そんな腕利き冒険者さんは、実力を窺わせない穏やかな態度と口調を保ちつつ、手にしたいくつかの袋のうち一つを差し出す。
「どうぞ。故郷の方々から勇者様あてに、手紙を預かってきました。皆さん、勇者様のお帰りを待ちわびているようですよ」
「へえ? わざわざ手紙なんて寄越しやがったのか。みんな律儀だよなー、全く。おいサリナ、ここ借りるぞ」
何が楽しいのかにやにやと笑いながら、鬱陶しくもわざわざ戻ってきて、カウンターの上に見せつけるがごとく袋の中身をぶちまけてきた。……だから邪魔なんだけど。
目で問えば、冒険者さんが意味深な視線を寄越したので、私はちらりと手紙の山に視線を走らせながらも席を立ち、素直に元勇者にスペースを譲る。
……見たところ、手紙のほとんどが女性の字なのは何故なのかしらねー? ええもう、色々と、それはもうあれこれと楽しく邪推しちゃうわ、うふふ。男性かららしきものもなくはないけど、そのどれもこれもが、筆跡に露骨な何かがにじみ出てるし。
「……サリナ。せっかくの美人が台無しになってる」
「もう、レットさん。誉めてるのか貶してるのか判断に困る言葉はやめてってば。それに、これから物凄く面白そうな展開になりそうなんだから、少しくらい表情が崩れるのは仕方ないでしょ?」
冒険者さん改めレットさんとひそひそ話を交わすと、彼は地味な印象ながら端整な顔立ちに、珍しくもやや人の悪い笑みを浮かべた。
「まあね。実は彼の故郷の村は、一年くらい前に、ちょっとしたベビーブームを迎えたらしい。ざっと見ただけでも二人の女性が、似たような色合いをした赤毛の子供を抱えてたなあ」
「あらら、凄いわね。ちなみに、他にも月齢の近そうな子はいたの?」
「ああ。たぶん母親に似たんだろう色彩の子たちが、もう四人くらい。そのうち二人は双子の男の子で、顔立ちは誰かさんとよく似てたっけ」
「わあ、それはそれは。うーん、同行は絶対にしたくないけど、こっそり見つからないようについていって、父親の帰郷を見物したいかも」
「物凄い修羅場になりそうだから、お勧めはしないよ。もし本当に行くんなら、トラブル回避のためについていってあげるけど」
「いや、流石に冗談ですって。本当についてきてくれるならありがたいし嬉しいけど、私はそこまで暇でも悪趣味でもないもの」
「……確かに、暇じゃないよね、うん」
「同意はそこだけ!? 実は私のこと信じてないでしょう、レットさん! 確かに、前の恋人については悪趣味を否定できないけど!」
「そこは信じる信じないじゃなく、サリナのことを知ってるからこその感想だから」
「嬉しいけど嬉しくないわ、それ!」
「はいはい。ああ、ほら。彼の顔がもう見頃になってる」
レットさんの示した方、つまりカウンターを見れば、確かに期待通り、元勇者は完全に蒼白になって目を泳がせていた。額や頬を、冷や汗と脂汗のどちらか分からないものが次々とにじんで流れ、震える手は何通かの手紙をまとめてぐしゃりと握りつぶしている。
何にせよ心当たりがある以上、まさしく自分が蒔いた種なのだから、自分でどうにかすべきだろう。……問題の子供たちとその母親に対して、まともな関係が築けるかどうかは、賭ける気にもなれないほど低い可能性だろうけれど、第三者としてはせめて、最低限の責任くらいは取ってほしいと思う。どんな手段で取るかまでは、主に子供たちの母親に委ねるとしても。
そんなことを考えていたら、レットさんの大きな手が私の肩を抱き、逆の手でいつものように優しく頬を包まれて目を合わせることになった。
「見頃と言ったのは俺の方だけど、そろそろ言い忘れたことを言わせてほしいし言ってほしいな」
「あ、そうね。……お帰りなさい、レットさん」
「ただいま、サリナ。もし予定がなければ、今夜は一緒に食事をしてくれる?」
「それなんだけど、実は今日、黄金豚の肉がたくさん入荷したの。近場で狂暴化した動物たちのスタンピードがあって、それを退治した冒険者がたっぷり馬車一台分を持ち込んでくれて。あちこちの食堂にまわしたり、加工して保存食にして売っても残りそうだから、職員価格で安く買わせてもらえたのよ。良かったら私の家で食べない?」
「へえ、あの超絶美味な豚肉が? いいね、凄く楽しみだ。サリナの料理の腕はプロ級だしね。ご馳走になるだけなのも気が引けるから、俺も何か協力できることがあると嬉しいんだけど」
「ふふ、じゃあ存分にこき使わせてもらうわね。もう上がりの時間だから、まずはお肉を私の家まで運びたいわ。それから他の食材を買いに行きたくて……」
「うん、そっちにもついていくよ。荷物持ちは任せて」
快諾する笑顔に正面からやられた私は、不覚にも頬を真っ赤にしてしまう。
「……何と言うか、レットさんて本当にできた人よね。帰ってきたばかりで疲れてるでしょ?」
「え、そうかな? サリナの料理が食べられて、何より君と同じ時間を楽しく過ごせるなら、疲れなんかすぐに吹き飛ぶからね」
「……だから、そういうところなんだってば。もうっ」
そんなやりとりを、元勇者を除いた周囲から生温い目で見守られていることにも気づかず、私はレットさんと一緒にギルドの建物を出ようとした──ところに、再びの来客があった。
「すみません! 冒険者ギルドってここですよね!? 勇者様がここにいるんじゃないかって、王宮の兵士さんに聞いて来たんですけど!」
「え、あ、はい。そうですよ。勇者様ならカウンターにいますが」
いつもの癖で素直に答えると、必死の形相でもかなりの美人さんと分かる女性は、「ありがとうございます!」と律儀に頭を下げて、早足で目的の人物に近づいていった。……ほっそりした片手を、何やら大事そうに下腹部に当てて。
「ええと……これは、修羅場の気配?」
「と言うか、修羅場再びと言うか、まあそんな感じだね。……どうする? 見物させてもらう?」
「……うーん……やめとくわ。でも、とりあえずみんなには、ちゃんと気をつけて見ててほしいかな。何よりも、あの女の人の体が第一だから」
興奮しすぎて、彼女自身やお腹の子にまで何かがあったら、色んな意味で一大事である。
幸い、軽く合図をすれば、相談所のおばさんや酒場スペースの従業員たちも力強く頷いてくれた。
あとは念のため、ギルド担当のオスベル医師のところに、万一を考えてお願いに寄っておかないと。
そう思ってレットさんに構わないか尋ねると、あっさりうなずいた後に何故かこう言われた。
「勿論。やっぱりサリナは優しいししっかりしてるよね」
「そうかな? 当然のことしかしていないつもりなのに」
首を傾げれば、「そういうところだよ」と微笑まれてしまった。よく分からない。
結局その後、私たちは寄り道や食事といった予定をこなし、レットさんから正式に告白をされて、結婚前提のお付き合いをすることになった。
で、まあ、その、雰囲気が盛り上がって、早々と深い仲にもなったわけで……その時に、実は元勇者とは一線を超えていないどころか、それ以前のお付き合いも同じで、二十歳でまだユニコーンに触れる状態なんだけど……と打ち明ければ、軽く驚かれた後に何だか喜ばれてしまった。ほっとする一方、少し複雑な気がしないでもない。
そして問題の元勇者と美人さん──王女様と英雄が結婚すると聞いて、直接確認しようと押し掛けてきたらしい──は、あの後はかなり一方的な展開になったそうだ。相談所のおばさんという名の現役ギルドマスターを始め、その場にいた第三者全員が美人さんの味方をしたとなれば当然の結果だろう。
ただ、騒ぎのせいで彼の故郷からの手紙が散らばり、それを美人さんがうっかり見てしまったことで、オスベル医師が出張る羽目になったとのこと。幸い彼女にもお腹の子供さんにも影響はなく、落ち着くまで入院した後はシングルマザーになる決意を固め、晴れやかな顔で退院して行ったのだから、怪我の功名と言えなくもないかもしれない。
騒動の発端にして原因の元勇者には、徹底的に素行を調査して他にも実を結んだ種がないかどうかも把握し、被害者たちの意向を確認してから、慰謝料と養育費を希望者全員に払わせる──というのが、王女様もとい王家と、ギルドマスターが出した結論である。慰謝料のための仕事の選択権は、冒険者ギルドに一任されるとのことで、意思を完全に無視された元勇者は軟禁部屋から抜け出して抗議しに来たが、常勤の用心棒プラス、レットさんとギルドマスターにもお出ましを願い、速やかに拘束していただいた。
そのマスターには、「サリナもいくつか奴への依頼を選んでいいからねー」という許可をもらっている。さて、どれにしようかな? とリストを眺めていると、横からレットさんが指さしてきた。
「これなんかどう? 巨大アナコンダ牧場の警備員兼飼育員」
「うーん、でもこれ、故意かそうでないかは問わずアナコンダを死なせたら給料ゼロだから、お金を稼ぐって観点ではちょっと。本人にだけならともかく、被害女性たちにも迷惑がかかりそうなのはね。それよりむしろ、ギルド直轄の鍛練施設で、根性を鍛え直しつつ下働きがいいかなって。給料は悪くないし、休みの日には別の依頼も受けさせられるし」
「なるほど。じゃあそれは決定として、隙間を埋められそうな依頼は……ああ、魔術師ギルドから『魔法薬の実験台募集』っていうのがあるね。『週に一回、一日千ゴールド。ちょっぴり廃人になる可能性はありますが、責任を持って無料で治します』だってさ」
「わー生々しくて赤裸々だわー。でも治せるならいいわね。もしかしてこれ、リゼットが関わってるのかしら?」
「どうかな。どっちにしても守秘義務がありそうだから、教えてもらえるかは微妙だと思うよ」
「あ、確かに。変に困らせたくないし聞かない方がいいわね。あと、候補としてはもう一つくらい挙げるとして……」
という楽しい話し合いは続き、その日の時間は矢のように速く過ぎていくのだった。
それから一年後、レットさんと私は無事に結婚の日を迎えた。夫婦となる以前も以後も、いくつか紆余曲折はあったものの、それで仲が壊れるということもなく幸せな日々を過ごしている。
元恋人の元勇者は、相変わらず鍛練施設でぎっちりがっつり絞られつつ働いている。下働きからは昇格したようだが、給料そのものは上がっても、必要最低限の額をギルドマスター直々に手渡される方式は変わっていないため、必然的に暮らしぶりも変えようがないらしい。無論残りは、彼の結婚詐欺の被害者やその子供たちへ、ギルドから即日送金手続きが取られている。
私も一応、被害者の範疇に入るんだろうけど、彼の処遇決定に関われたのもあって辞退した。当時も今も生活には困っていないし、色んな意味で、他の皆さんほどの被害はなかったしね。
当の元勇者は、最初の頃は「こんな潤い皆無な生活なら、懲役の方がよっぽどマシだー!」なんて騒いでいたらしいが、仕事上必要でも何でもない愚痴になど誰も聞く耳は持ってくれないので、今ではただひたすら黙々と仕事をしているという。
「でも、ある意味では彼の言い分も正しいと思うよ。特に先日、女王陛下が王子を出産なさったことで恩赦が出されたからね。もし彼が懲役刑になっていたら、免除はないにせよ軽減の対象になっていたかもしれないわふぇで」
とは、王宮からの依頼を終えて帰ってきたばかりの夫の言だった。……別に夕食は逃げないので、いくら空腹だからって、そんなに焦って食べないでほしい。ちゃんとおかわりもたっぷり作ってあるから。
「……あの王女様、もとい女王陛下が、そこまで甘いとも思えないけど。それに現実に課せられたのは、当事者間で決められた慰謝料と養育費の支払いだけなんだから、恩赦をもらえる性格のものでもないでしょ?」
私が言うと、夫もといレットさんはしっかり口の中のものを噛んでから、ごくんと空にして答える。
「ああ。でも、その『だけ』が辛いんだと思うよ。人数が人数で金額が金額だし、愚痴を吐きたくても自業自得だから誰も聞いてくれないし。せめてもう少し、子供に会いたがるとかそういう面を見せてくれれば、周りも多少は絆されるんだろうけどねえ」
「……そんな様子は一切ないのね。エリーさんたちにとってはいいのか悪いのか……」
エリーさんというのは、去年ギルドに直接やってきた美人さんの名前である。あれから彼女は、ギルド近くのパン屋さんに住み込みの職を得て、八ヶ月前に無事に出産した後、最近になって仕事に復帰したばかりだ。
何でも、出産にも立ち会ってくれたそこの店長さんの息子といい雰囲気になっているとかいないとか。そのお店はギルド職員の行きつけでもあるので、私も時々買いにいくけれど、少なくとも息子さんの方は割と本気のように見える。エリーさんの方は、母親になったばかりでそれどころじゃない感じだが、間違いなく彼に対する好意はあるので、何にせよ幸せになってくれればいい。
ちなみに彼女の勤務中は、主に店長さんの奥さんがお子さんを見ていてくれており、周囲の目にも、既に孫のように可愛がっているように映るそうだ。……うん、ガンガン外堀が埋まってるね。
もしも血縁上の父親が何かを主張するつもりなら、色んな意味で今が期限ぎりぎりなんだとは思うけど。
「まあ、父親と主張する気そのものがないんだろう。主張したら権利と同時に義務も発生するわけだし、今でも養育費って義務を負ってる上に更に背負い込む気が彼にあるかと言うと──」
「ないでしょうね。全く、魔王を倒すなんて最高難度の義務を果たした人とは思えないわ」
「あれはほら、『勇者』には義務もあるけど、その分特権が絶大だったせいじゃないかな? 当時は主にシリウスさん、もとい王配殿下が体を張って、彼を魔王の前まで五体満足で連れていったようなものだそうだよ。それが役割ではあったんだろうけど、その体を張って守った相手にあんな数々のやらかしをされたらなあ……」
「あー……うん。情があっても完全に見限るわね。歴代の『勇者』に似たような前例はあるのかしら? 少なくとも一般的に見られる記録には残ってないわよね。……イメージ戦略?」
「じゃないかな。それでも部分的に伝わることはあるよね。『英雄、色を好む』とか」
「好みすぎるのもどうなの、って思うけど。……何にしても、この子には『勇者』に対する過度の憧れは抱かないようにしたいわ」
そう言って、まだ膨らんでもいないお腹に手を当てれば、かっしゃん、と向かいの席から、食器を取り落とす音がしたのだった。
お読みいただきありがとうございました。
元勇者の子供の人数や慰謝料の金額、養育費の年数などはご想像にお任せします。明確に決めてはいないので。
なお、彼の故郷でレットが見た双子は、実は甥っ子(勇者姉の息子)とかいうオチもあったりなかったり。