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19.歪んだ愛

 オズワルド達が異変に気付いた頃、イーディスは危機に瀕していた。


「成人を祝う宴の真っ最中に、婚約者が他の男と逢い引きと知られたら……どうなるだろうな」


 アロイスは、この場にはいないオズワルドを嘲笑うかのように呟いた。『婚約者』という単語に思わず反論しかけたが、心の中で言い返すに留めた。


──誰が婚約者よっ! 皆が頑張った宴を台無しにさせるもんですか。


 貞操の危機よりも宴の成功を考える辺り、イーディスにはまだ心の余裕があった。


 武術の心得などないイーディスがアロイスを倒すのは不可能に近い。しかし、そんなか弱いイーディスにも奥の手があった。


 実はイーディスは、ポールに一撃必殺の護身術を教わっていたのだ。それは至極簡単なものであった。『ヒールで思い切り足を踏む』ただそれだけだ。令嬢ならではの護身術である。


──情け無用で思い切り踏む! 穴を開ける勢いで踏む!


 ポールの物騒な教えを心の中で繰り返し、気合いを充電する。よしやるぞとなった時、ふと重大な事に気付いた。


 足がスースーするのだ。足裏に感じる感触は、窮屈なヒールではなく柔らかな上質の絨毯。


──しまった! さっきヒール脱いだんだった!!


 思わず足下を見ると、アロイスの傍に脱ぎ捨てられたヒールが転がっていた。


 頼みの綱を失ったイーディスは愕然とした。気付かないなんてバカ過ぎる。「お嬢、バカっすか?」とかポールの声が聞こえてきそうであった。


 不利な状況を理解したイーディスは、相手を刺激しない程度に会話をして、時間稼ぎをする事にした。隙を見て何とか逃げ出さなければいけない。


「あなたが私を狙ったのはオズワルド殿下の失脚が狙いですか?」


 イーディスの言葉にアロイスは、口の端を上げた。


「父はそうでしょうね。オズワルド殿下の貴賎を問わないやり方を嫌っていますから」

「……あなたは違うと言うの?」


 そうイーディスが問いかけると、アロイスは一層笑みを深めた。どこか狂気を感じさせる表情に悪寒が走る。


「私が欲しいのはイーディス嬢ただ一人です。私がこんなにも恋い焦がれているなんて貴女は知らないでしょうね」

「……意味が分かりません」


 アロイスがイーディスを見る目は、まるで最愛の恋人へ向けるようなものであった。ねっとりとした視線に気付いてはいたものの、面識のないアロイスに好かれる意味が分からない。


 そんなイーディスの戸惑いを感じ取ったのか、アロイスは静かに話し始めた。 


「貴女の事は父からずっと聞かされていました。話だけで聞く聡明な女の子──父は幾度となくマクレガー侯爵に婚約の打診をしていたそうです。そんな時、偶然にも貴女を見かける機会に恵まれました。柔らかそうな淡いピンクの髪、意志の強い瞳、愛らしい笑顔は眩しいくらい……一目で心を奪われました。ですが、貴女の周りはガードが固く近付くことすら叶わない」


 アロイスは悔しそうに顔を歪めた。


「そのうえ、今日の殿下の行動。……貴女の隣にあるのは私だというのにっ」


 突然声を荒げたアロイスにイーディスはビクリとした。無意識に危険を察知して身を引こうとする。


 すると、先程までは逃す気はないとばかりに掴まれていた腕の力が突如緩められた。


「えっ……きゃあ!」


 イーディスはバランスを崩し、後ろへ倒れそうになってしまった。そんなイーディスの腕を再度アロイスが掴む。しかし、それはイーディスを助けるためのものではなかった。


 アロイスによってソファへと押し倒されてしまったのだ。腕を掴まれたのは、イーディスが頭を強打しないためのものだった。


 一瞬で反転した景色──何が起こったのかすぐには理解出来なかった。そうしている間に、アロイスがイーディスを組み敷いた。


「貴女を手に入れるためなら何だってしよう」

「なっ……」


 押し倒された事を遅れて理解したイーディスは、恐怖で喉が引き攣って上手く声が出なかった。まるで急に空気が薄くなったかのように呼吸が苦しくなる。


 激しく動揺するイーディスを嘲笑うかのように、アロイスは妖しい笑みを浮かべた。アロイスの手が伸びてきて、なぞるようにイーディスの頬へ触れる。その手つきは優しいのに一層恐怖が増してしまう。


「やっ……」


 イーディスは、反射的にアロイスの手を払いのけた。だが、逆にアロイスに手首を押さえつけるようにして拘束されてしまった。


 身動きの取れないイーディスを、うっとりとした目で見下ろしてくる。その異常さにイーディスは凍りついた。


『……それでも、既成事実があればどうとでもなるだろ』


 先程のアロイスの言葉が頭を過る。このまま何をされるのか予測がつき、血の気が引いていくのを感じた。拘束を解こうとして手に力を込めるもびくともしない。むしろ、さらに強い力で押さえ込まれてしまう。


「あぁ、イーディス嬢がやっと私のモノになる」


 アロイスは、イーディスの抵抗を嘲笑うかのように不気味な笑みを浮かべた。間近に迫ってくるアロイスから少しでも逃れようと、イーディスは必死に顔を背ける。


「イーディス嬢、貴女を誰よりも愛している」


 アロイスの歪んだ愛が耳元で囁かれる。押さえ込まれたままの手が恐怖で震えるのがハッキリと感じられた。


──怖い……やだっ……。


 大胆に肩を出したドレス──露わになっている鎖骨に、突如ぬるりとした感触が走った。素肌に感じるアロイスの吐息と艶めかしい舌の感触に怖気が走る。


──嫌っ……殿下っ!


 こみ上げてくる涙が伝い落ちた時、ガチャガチャと鍵をこじ開けるような音が聞こえてきた。アロイスが反応すると同時に扉が物凄い音を立てて開く。


「イディ!」


 突入してきたのはオズワルドを筆頭とした数名の近衛兵であった。イーディスからは覆い被さったアロイスのせいで見えないが、声で誰だかすぐ分かった。


「オ、オズ……ド……でん、か」

「ちっ!」


 上手く声が出ないイーディスとは別に、アロイスは忌々しげに舌打ちをした。


 オズワルドは、組み敷かれているイーディスを見つけるなり誰よりも早く行動に出た。アロイスの肩を掴んで力任せにイーディスから引き離す。


「ぐっ…!」


 不意を突かれたアロイスは、床にたたきつけられてうめき声を上げた。


「捕らえろ」


 オズワルドの指示を受けた近衛兵が、アロイスが起き上がるよりも早くそのまま床に押し付けるように取り押さえにかかった。


──助かっ、た……?


 起き上がったイーディスは、肩で息をしながら呆然とその様子を見ていた。目の前で起こっていることが、どこか違う世界のもののように見える。


 オズワルドが指示をしアロイスが連行されていく。しかし、左右を近衛兵に抑えられていてもアロイスは暴れ続けていた。


「離せっ! イーディス嬢は、私のモノだ。彼女は──私の妻だっ」


 アロイスの一方的な想いは、狂気を感じさせるものがあった。先程までのおぞましい状況を思い出し、イーディスは身を縮こまらせた。手はまだ震えている。


「……連れていけ」


 オズワルドが低く冷たい言葉で命令を出す。さりげなくイーディスを隠すように立ち塞がってくれたおかげで、それ以上アロイスの姿を見ることはなかった。


 パタンと扉が閉まり、オズワルドとイーディスだけが取り残される。


 しんとした空気が流れたのはどのくらいだっただろうか。オズワルドは、ゆっくりと振り返るとソファの上に座り込むイーディスの前に膝をついた。


「イディ……助けに来るのが遅くなってすまない」


 見慣れた青い瞳。数時間前はこの瞳の色のドレスを着せられ腹立たしくも思った。しかし、いま目の前にある青は、自責の念に駆られているようであった。


「…………ふ……うっ」


 イーディスの目から止めどなく涙が溢れ出る。まさかオズワルド自らが助けに来てくれるとは思わなかったのだ。


 心配してくれたのだろうか。宴の主役である王太子が会場を抜けてまで──あんなに必死になって助けに来てくれるなんて。


「怖い思いをさせてすまなかった」


 オズワルドは何も悪くないのに沈痛な面持ちで謝ってくれる。イーディスは、しゃくり上げながら首を左右に振った。


「イディ……」


 オズワルドは、伸ばしかけた手を途中で止めた。あんな事があったばかりで気を遣ってくれているのが分かったが、それがなぜか心細く感じた。


「ひっく……ふ…………」


 イーディスは、オズワルドの胸へと飛び込むと堰を切ったように泣き出した。よく知った清涼な香りに余計涙が出てくる。


 オズワルドは、イーディスが泣きやむまで何も言わずにずっと抱きしめてくれた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 毎回思うんだけど、護衛無能すぎへん? ぶっちゃけ、物理的に首飛んで当たり前よね?上司含めて。
[良い点] まさかここから王太子に心許すのではないでしょうね?元凶の元凶ですが?
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