【コミカライズ化】エリート財務官は恋より仕事に忙しい！

14.不穏な影

「イーディス、最近城で変わった事はないか？」

　父が突然そんな事を言い出したのは、とあるディナーの席でのことだった。

　今日は家族四人、久々に全員揃ってのディナーであった。ここ最近、父と兄は宴の準備で帰りが遅くなっていたのだ。

　こちらを見てくる父の目には、心なしかクマが出来ているような気がする。兄は……うん、いつもと変わらない安定の美男子だ。若さの違いだろうか。

　イーディスは咀嚼していたパンを飲み込むと口を開いた。

「変わった事ですか？特にいつも通りですが……？」

「そうか、それならいい」

　意味深な父の言葉に食事の手が止まる。何かあったのだろうか。聞き返そうとすると、兄・アレンの声に遮られた。

「父上はイディが心配なんだよ。最近また忙しくなったんだろう？」

　確かに、ここ最近宴関連で忙しくなり出している。予算を各部署に振り分けているといっても、支払いをするのは財務課だ。出金書類の作成で連日仕事に追われていた。

　それにしても自分達の忙しさを棚に上げて心配してくれるとは。二人の激務に比べたらこっちは全然余裕なのだ。

「ごほん！　お前は年頃の娘なんだからあまり無理はするんじゃないぞ」

　照れ隠しなのか、わざとらしい咳払いをしながら父が威厳たっぷりに話す。分かりやすい態度につい口元が緩む。

「ありがとうございます。お父様もあまり無理はしないで下さいね？　あ、仕事が落ち着いたら一緒にお茶をしましょう」

　イーディスの屈託のない笑みに、父は手で口元を押さえた。目を瞑り何かを耐え忍ぶように肩を震わせている。

「……ウチの娘、世界一可愛い」

「父上、そこは大いに同意致します」

「あらあら」

　親バカ、兄バカの二人にイーディスは呆れるしかなかった。母は母で上品に微笑みながら食事をしている。我関せずな所が実にマイペースだ。

　いつも通りの食卓過ぎて、まさか父の問いに深い懸念事項が隠されているとは思いもしないのであった。

◆◆◆◆◆

　そんな事があった数週間後、イーディスは同僚と王城を歩いていた。仕事で使う資料を借りてきた所だ。

　外と隔たりのない回廊は、爽やかな風が吹き抜けてとても心地良い。気分転換にもなってちょうど良かった。

「手伝わせて悪いね。本当助かるよ」

「いえいえ、私も借りたい資料がありましたので」

　この同僚は、実は男爵位を持っている。手に職を持たなければ食べていけないらしく、それで財務官になったそうだ。本人曰く『ウチは名ばかり貴族だから』とのことだ。

　そんな同僚と話しながら歩いていた時、とある人物が二人に近付いてきた。

「これはこれは、マクレガー侯爵令嬢ではないですか」

　声をかけてきたのは城下町の治安部隊を統括しているバーンズ伯爵という人物であった。直接話したことはないが、ギルバートの補佐で会議に同席した際に見かけたことがある。

「まぁ、バーンズ伯爵。こんにちは」

　イーディスは、対貴族用の猫を被ると優雅に微笑んだ。一応爵位はマクレガー家の方が上なので頭は下げないでおく。貴族のしきたりは実に面倒だ。

「マクレガー侯爵令嬢におかれましては、大変ご活躍されていると耳にしておりますぞ。お美しい上に聡明とは…侯爵殿も鼻が高いですなぁ」

　今までの経験から『侯爵令嬢』と敬称で呼んでくる輩にはいい思い出がない。仕事中のイーディスは家名を名乗らないので、ほとんどが名前で呼んでくるのだ。

──う～ん、貴族らしい言い回し。面識はないのに話しかけてくるなんて何の用かしら。

　ニコニコと聞いているイーディスだが、既に面倒な雰囲気を感じ取っていた。ちなみに同僚は爵位の違いから一歩後ろへと下がっている。

　父と兄の過保護のせいで貴族との付き合いが薄いイーディスでも、バーンズ伯爵について少しくらいは知っていた。

　野心家としても知られていて、貴族至上主義のようなところがある。身分問わず実力主義のオズワルド殿下とは折り合いが悪いらしい。今回の宴でも何かと突っかかっているそうだ。

　マクレガー家の立場としては深い付き合いは避けたいところであった。

──さて、どうやってこの場を回避するべきか……。

　にこやかな笑顔の下でそんな事を思っていると、バーンズ伯爵がさらに話しを振ってきた。

「そういえば、聞きましたかな？　殿下の成人祝いは前例にない形式で行われるとか」

「ええ、存じておりますわ」

「伝統ある式典を変えてしまうとは、殿下も思い切られましたな」

「柔軟なお考えは今後の治世にも活かされる事でしょう。オズワルド殿下の主催ならきっと素晴らしい宴になりますわ」

　イーディスは、当たり障りのない言葉で笑みを浮かべておく。オズワルドに対して不敬とも取られかねない言い方だったが聞き流しておいた。

　一瞬、バーンズ伯爵の目が探るように細められた。もしかすると、イーディスが発案者だと疑われているのかもしれない。

「時に……今回の宴のエスコート役は決まりましたかな？　よろしければ我が息子などいかがでしょうか」

　バーンズ伯爵の口の端が弧を描く。その意図が分かったイーディスは内心で大きな溜め息をついた。

──話しかけてきたのはこれが目的ね。どうせ政略結婚でも考えてるんだろうなぁ。

　イーディス本人は侯爵位という身分に擦り寄っていると思い込んでいるがそれは違う。実際は、優秀なイーディス自身を取り込みたいから見合いを申し込んでくるのだ。

　今までは家に話がいっていたのだが、イーディスが城勤めになったため、本人に直接話が来るようになったのだ。

　ちなみに、大抵のことは自分で対応するようにしている。親バカな父が「ウチの娘に何しやがるっ」とか暴れ出しそうで怖いからだ。

──お父様がダメでも私なら何とかなるとでも思ったのかしら。

　こういった対応に慣れていたイーディスは、余裕の笑みを浮かべた。いかなる時でも笑顔で対応するのが貴族令嬢の十八番だ。

「舞踏会ではないのですからエスコートは不要ですわ。お声がけ頂きありがとうございます」

　イーディスの言葉にバーンズ伯爵の目が冷たく光る。それもそのはず、丁寧な言葉遣いだが額面通りの意味ではない。

『今回の宴ではエスコートが必要ないとご存じないのですか？　面白いお言葉をありがとうございます』

　かなりの嫌味である。年下の小娘からこんな事を言われたら血管ブチ切れる程、腹立たしいだろう。

　そもそも『王太子殿下の成人祝い』ではエスコートは必要ない。今までに行われていた着席形式だって家族単位での入場だ。立食形式になってもそこは変えていない。

──全く、考えてることが見え見えなのよ。

　エスコートがダメだという訳ではないが、家族での入場が一般的なところを、未婚女性を連れて歩けば婚約者だと公言しているようなものだ。バーンズ伯爵もそれを分かっていて提案してきたに違いない。

　断られる事も想定内だったのか、バーンズ伯爵はすぐに笑顔を見せた。

「それは残念。息子と年が近いようですから、仲良くさせて頂ければと老婆心が出てしまいましてね」

「ふふ、御子息思いなのですね。でも、このような話は父を通して下さいませ」

　諦める様子のないバーンズ伯爵に『貴族の礼儀上、家長である父に話すのが筋ですわよ』と釘を刺しておく。

　イーディスの暴言(表向きは丁寧)にバーンズ伯爵が怯む様子を見せた。ここを逃げるチャンスと見たイーディスは、畳みかけるように場を切り上げた。

「それでは、仕事の途中でしたので失礼させて頂きます」

　なるべく上品に見えるように微笑んでみせる。イーディスは、何か言われる前に同僚をせっつきながら早足にその場をあとにした。こういう場合はさっさと逃げるに限るからだ。

──よし、脱出成功！

　イーディス達は早足で回廊を曲がり職場へと戻っていった。

　イーディス達がいなくなった回廊では、取り残されたバーンズ伯爵が、未だ二人の消えた道を見つめていた。その目は先程とは違い鋭さが宿っていた。

「……ちっ、小娘が」

　バーンズ伯爵は、憎々しげな言葉を吐き捨てると、くるりと踵を返して歩き出すのであった。