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追憶のRAIN  作者: 寒波江 奇亰
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第八話 『机上の空論』

その異形の生物は、ゆっくりと元の中年男性の容姿へと戻っていった。

考えられるのは二つ、高い知能を持ち人間へと姿を変える事が出来る種である場合と、人間が変異した状態で、知性や人格を失わずにいる場合。

いずれにしても、非常に信じがたい事であるのに変わりはない。

この場に及んで、人知を超えた事が起きているなんて表現するのはおこがましいが。

妻鳥は何事も無かったような顔をして、こちらに語りかけている。


「平和とは、すなわちなんだと思う?

答えは敵意を持たぬ事。

憎しみは連鎖する。

目には目を、では世界は盲目になってしまう。

どんなに虐げられても、奪われても耐える。

それが出来ないから、人類は終わりなのだ。」


「では、何故お前は人を否定し、傷つけ、殺す?」


「それは、表現の自由の範囲だからだ。」


こんなにも自分の気持ちに自身が持てた事はないと断言出来る程に、俺は心から冷笑した。


「ふん、こまで性根から腐ってると逆にせいせいするものだな。

他人の表現の自由を認められないくせに、権利を叫ぶ資格など無い。」


直後、俺は妻鳥に文字通り一蹴された。

雷速の蹴りによって吹き飛ばされた体は、ガードレールをも突き破りそのまま車道へと落下する。

運よくトラックの荷台へ転がり込んだ俺は、積み荷の陰に身を隠したのだが、どういう訳か妻鳥は迷わず俺のいるトラックに現れた。

こんな事が前もあった、恐らくは何か通常目に見えない物を探知しているのか。

そしてさらに厄介な事に、相手は先程の経験を踏まえてか攻撃した後瞬時に別の車両へと移動する為、体を掴む事が出来ずにいた。

体力の限界もあって攻撃を避けられずにいる、これではらちが明かない。


「例え息子だろうと、この俺の主張を否定する事だけはゆるさんぞ倫音!

軍国主義者共の不正投票で、鷲頭のアホなんかが政権をとったが。

平和を疎ましく思う奴などこの世界にいるものか!

俺の主張こそがこの国の、いや、世界の民意なのだ!」


そう叫ぶと妻鳥は隣を走行していたもう一台のトラックに移動する。

そのトラックはショベルカーを運搬していて、恐らく奴が電気を操作する事でそれはひとりでに動き始めた。

ショベルカーはこちらに向かってショベルを叩きつけたりした後、俺をすくいあげ、滅茶苦茶に揺らして振り落とそうとしている。

俺はなす術が無くて、水槽の外から虐められる魚のように一方的にもてあそばれていたのだけれど、いけ好かない男が唇をかむ姿がどうしても見たくて、惨めったらしく歯向かってやる事にした。


「妻鳥薊、一つ教えておいてやろう。

お前は自分を正義だと信じて疑わないようだが…

善悪の価値観は全て、自身の尊徳が基準と考えれば説明がつく。

人は罪の意識を感じた時、その行動を重ねる事を嫌う。

常習的に出来るという事は、すなわちそれが悪だと認識していないという事だ。

金が欲しいから詐欺を働く、殺しが好きだから殺す。

そんな人間にとってそれは正当な理由、つまり正義と言える。

お前もそうだ、結局のところ自分が気持ちよくなりたいだけだろ?」


相手を真っ向から否定してやりたくて、放った言葉のはずなのに、気分はどこか後ろ暗かった。

それは俺にも当てはまるんじゃないか、と。

自分が完璧だと信じ込み、他者を見下すことで付けあがる。

こいつと俺の何が違う?

同族嫌悪と言う奴なのかもしれない。

残念な事に妻鳥の悔しがる顔を拝む事は出来なかった、というより、奴は前触れも無く忽然と姿を消したのだ。

何故、何の思惑があって奴は消えた?

そう思った矢先だった。

道路沿いの森林から突如、ニホンジカと思しき野生動物が飛び出してきたのだ。

トラックは急ブレーキを掛けるも回避には及ばず、衝突事故を起こしてしまう。

俺はその衝撃でトラックから振り落とされるも、丁度茂みの上に着地した為大事には至らなかった。

客観的に見て俺はかなり負傷していたと思う。

けれど、軽く擦りむいた程度の痛みだと錯覚する程に俺は、思いがけない収穫に心を躍らせていた。

全て理解した、妻鳥が分身の中から俺を正確に捉えた事、不慮の事故を予測できたこと、その訳を。

生物が筋肉や神経の活動を行う際生まれる電気信号、その微弱な電磁波を奴は探知していたのだ。

俺は妻鳥が森の中へ入っていくのを確認した後考えた、奴は森にいる無数の生物の電気信号の中から反応の大きい人間の信号を確実に狙ってくる。

そこでだ、人間が放つもっとも代表的な電気信号の一つ、心臓の鼓動に俺は注目した。

俺が操作する雨を傷口から血液中に取り込み、血液の流れを遅くする事で所謂不整脈の状態にすれば、心臓の鼓動は弱くなる。

すなわち電気信号は弱まり他の野生動物と判別出来なくなるはずだ。

とは言え、めまいや最悪の場合失神する可能性すらある危険な賭け、しかし一刻の猶予も許されないこの状況では、選択の余地は無い。

負傷した足を引きずりながら、木の枝やら蜘蛛の巣やらが無作為に張り巡らされた森の中を一心不乱に進んでいると、そこで思いがけない勝算と出くわす事になる。

自分で雨を創り出すには体力を消耗する、ましてや大規模な雨となればなおさらだ。

しかし、無から有を産み出すのではなく、有を利用すれば…

俺は準備を済ませた後、血液の循環を正常な状態に戻し、元来た道を引き返す。

案の定そこに妻鳥は現れた。


「俺、記憶が戻ったんだ。

父さん、ただいま

また、一緒に暮らそう。」


「本当か!?

息子よ、俺はこの上無く幸せだ。」


妻鳥は歓喜に声を震わせ、再会を期した事への嬉しさや、他愛無い思い出話を垂れ流す。

無論、これは時間稼ぎの為の茶番にすぎない。


「父さん、本当に馬鹿で助かるよ。

足元を見ろ、集中的に振らせた雨を吸収した地面に長く居座ったせいで、ぬかるみにはまり貴様は動けない。

そこから抜け出すのは至難の業だ。

森の奥で貯水池を見つけたんだ、もうすぐ大規模なゲリラ豪雨が発生する。

そうすれば不安定内な急斜面である、ここ一帯に土砂災害が発生するだろう。

最後に一つ言っておく。

俺は貴様の主張する机上の空論を理解する事は死んでも無い。

もっとも、俺が進む先に死にゆく未来へと繋がっている道など、はなから存在しないがな。」


「そんな、俺はお前をただ、愛しているだけなのに!」


その場を後にする俺の背後から、妻鳥の嘆くような断末魔が森中に響き渡ったが、決して振り返る事はしなかった。


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