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鳥にでもなりたい  作者: 高場柊
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夜空の華②

 八月七日、一七時の三〇分前に駅に着いた。駅前の有料駐輪場に自転車を停める。待ち合わせ場所はここから一五分ほど歩く。さすがにお祭りの日だけあって、駐輪場はほとんどが

 埋まっていた。花火大会も兼ねたお祭りなので花火が終わる前には戻ってきたいなと思う。


 ロックを掛けて鍵をいつも使っている小さなポーチに入れる。それをショルダーバックに入れた。


 まだ白さの残る空を視界の上半分に映しながらだらだらと歩く。途中で知っている顔をいくつか見た。だけど大通りを挟んで反対側にいる、ろくに話したこともない人間に声を張り上げて話しかける度胸は私にはない。


 淡々と歩き続けて目当ての建物に着いたはいいが、誰からも「着いた」の報告がない。何回か遊びに出かけたうえでの話だけれど、今私がいるグループのメンバーは基本待ち合わせ時間にちゃんと到着している人はいない。だからきっと今回もそうなのだろう。そういうグループらしい。


 大した感情の高ぶりもなくエスカレーターを使って六階まで上がる。目的は本屋だ。


 少し前に好きな作家の小説が発売されたのだ。エスカレーターを降りてすぐ、本屋の入り口に配置された新刊コーナーの前で立ち止まった。


 発売日に買ってもう読み終わってはいるけれど、好きな本が本屋の目立つところに積まれているところを見るのが好きだ。なんだか嬉しくなる。ついにやけてしまって、近くにいたまだ小学生にもなっていないくらいの小さな女の子に不思議な顔をさせてしまった。


 小説の内容を思い出しながら軽い足取りで新刊コーナーをぐるりと回り、文庫本エリアへと足を向ける。


 中学生の時に図書室で借りたハードカバーが文庫の新書コーナーに並んでいた。淡い色の表紙に目を引く原色の文字で「映画化決定」の帯が巻かれている。そうなんだ、知らなかった。


 ありきたりの日常の中に散らばった違和感に、主人公が片っ端からぶつかっていく物語だった。打ちのめされても諦めない意固地さはいっそ悲しくもあった。それは人には教えたくない部類の「好き」な物語だった。頭の隅に置いておこう。


 ふと、言えない「好き」と言いたい「好き」の違いとは何だろうと思い立ち、足が止まる。少し深く考えてみようと右手を顎に添えたとき、メッセージの通知音とともにポケットの中のスマホが僅かに振動した。今日はグループチャットの通知音も鳴るように設定している。


 誰か着いたのか、と思い顎に触れていた右手をポケットに滑らせる。ロック画面に表示された時刻は一七時一五分、メッセージは一つだけだった。だけど、それだけでおおかた全てが分かってしまった。


 店から出て反対側のエスカレーターに乗る。五階、四階、と螺旋状に降りていく間、鏡に映った自分の姿をちらと見た。可愛げのない顔だなと思う。指を使って口角を僅かに上げてみた。なんだかその顔が馬鹿みたいに必死で、どんくさい間抜け面に思えた。どうしようもないくらい情けなくなり逃げるように目を逸らした。


 一階に着いて顔を上げると浴衣姿の人ばかりで少し驚いた。

 ああ、そうか。夏祭りだもんね。そりゃ、着るよね浴衣。

 華やかな柄の浴衣と眩しい笑顔の間を縫うようにして足元を見ながらビルを出た。


 再度指定された待ち合わせ場所はビルから駅の方向に少し戻ったところだった。けれど人が増えてきて思うように動けない。人ごみに揉まれているうちに三メートル先の横断歩道の信号が赤に変わってしまった。


 はぁ、と一息吐いて顔を上げる。目の前の男性の背中で視界がほとんど埋まった。暑い。汗がこめかみを伝う感覚があり、手の甲で拭った。飲み物を買っておけばよかった。視界の端に辛うじて見える空はやっと色が濃くなってきていて、少しだけ安心した。


 漫画だとパ行で表現されるような音が鳴り、人ごみが一斉に動いた。後ろから押され、上半身から前のめりに体がぐらついた。すんでのところで足が出て踏みとどまり、ほっとしたのも束の間、右足の爪先に鈍い痛みが走る。


「っ……!」


 直後右肩が硬い何かにぶつかり、知らない人と目が合った。その人は私を睨みつけるとわざとらしい舌打ちを一つ残してあっという間に人の波に消えた。


 暑いのが嫌いだ。人ごみが嫌いだ。舌打ちが嫌いだ。私は嫌いなものばっかりだ。


 重い気持ちを抱えた重い体を惰性で動かして目指していた黄色い屋根まで歩く。三ヶ月ほど前にできたバナナスムージーの店で、わたしは買ったことがないけれど学校で何かと話題に上ることがある。


 人ごみを抜けて黄色い屋根に近づくとバナナスムージーを持って談笑しているグループがいくつかあった。どれだろう、と頭を左右に揺らしていると、あるグループの一人と目が合った。


「あすかー!」


 大きく手を振るその人たちに近づく。バナナスムージーを片手に綺麗に着飾った浴衣姿の四人と、汗で前髪がおでこに張り付いているブラウスにショートパンツ姿のわたし。


 傍目からはこの五人が待ち合わせて花火大会に来たようには見えないだろう。


 確認って大事だよなぁと妙に冷静な自分と、それでも言って欲しかったと酸っぱい気持ちになる自分と、両方を抑えて笑顔を作る。


 そもそも、誰も気にしていないんじゃないか? わたし以外は。


「もー! 遅いよー。飲み終わっちゃったー」


 空の容器を顔の横まで持ち上げてリカコがのんびりした口調で言う。大きな目の横でピンクのシャドウがキラキラと街灯に反射していた。


「りかこが飲むの早過ぎんだよ」


 下駄の爪先をこんこんと鳴らし、よく通る声でアヤノが笑った。声につられたようにしてみんなが笑い出す。


「だからホームの自販で買えばって言ったのに!」


 お団子頭を揺らして、ナナホが赤い唇の隙間から八重歯を見せた。

 だってスムージーが飲みたかったんだもん、とリカコがほっぺたを膨らませて返す。


 ああ、いい感じだ。いい感じに蚊帳の外にいる。このままわたしに気付かなければいい。

 このまま花火が終わればいい。


「まあ、うちらももう飲み終わるじゃん? 早く屋台まわろーよ。お腹空いたー」


 上品な巾着を軽く振ってミクが歩き出す。ミクに引っ張られるように三人が歩き出し、わたしも後に続いて今さっき来た道を戻る。すぐに人ごみに馴染み、はぐれないようにミクとリカコが手を繋いではしゃいでいる。


 祭りの音楽と大勢の声に圧倒されて後を追うのに精一杯で、四人の会話の内容もろくに分からないまま笑顔を作って笑い声を出した。ぼんやりと「しんどいな」と思ってしまう。


 と、わたしの思惑を知ってか知らずかミクが口を開いた。


「てか、なんであすか浴衣じゃないの?」


 四人が一斉に振り返る。四人の顔を全て視界に入れるように顔を上げると、周りの光量は変わっていないはずなのに瞼の裏がツキンと痛んだ。


「え……? ああ、いやさあ。特に言ってなかったからさー」


 喉の奥から乾いた笑い声が出た。続いてみんなも軽く笑う。


「ええ! 花火大会だよ? 浴衣に決まってんじゃん」

 ――決まってはいないと思う。


「普通分かるっしょ」

 ――あなたの基準を普通にしないで。


「そもそも持ってないとか?」

 ――……。


「えー? ひとりだけ私服とか変なのー」

 ――もう、ほっといてよ。


「まあ、でもさ? あすかって浴衣のイメージないかも。着て来たらそれはそれで笑っちゃいそう」


 ミクの言葉に「確かにー」と小さな笑い声が上がる。


「で、でしょ! ほら、やっぱり着てこなくて正解。絶対似合わないし、暑いし、蒸れるし。下駄だって痛いし」


 自分でも何をフォローしたいのか分からないまま口を動かす。大袈裟に、少し声を張り上げて。言い終わるが早いか、みんなは乾いた笑い声を残して各々の興味の方へと向き直り声を飛ばし始めた。


 ああ、虚しい。苦しい。わたしは一体何をしたいんだろう。


 人と人を繋ぐ糸があったとして、それが目に見えるものだとしたら、きっとわたしとこの人たちは繋がっていないのだろう。いや、もしかすると、ぴんと張った糸は確かにこの人たちと繋がっているのに、わたしが早々に離してしまっているのかもしれない。


 だって、もう、この人たちとあまり喋りたくない。


 いつでも誰にでも、本当のことを言わなければならない、なんてことはない。言わなくても良いことまで馬鹿正直に話す必要もない。だけど事実と嘘のどちらを重ねる方が脆いかと言われればそれは嘘の方だろう。それでもいつだって重ねてしまうのは嘘の方で、気が付くと重ねたこと自体にさえ後悔している。


 くだらない、と零しそうになった言葉を口の中の空気に混ぜて夏の夜に吐き出した。


 既に前を向いた四人は見事に街に溶けていて、足を止めてしまえば簡単にこの街から離れられてしまうことに安心を覚えた。そしてそんな自分を恐ろしく思った。


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