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鳥にでもなりたい  作者: 高場柊
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夢の話

 ここから、何も書けない。指が動かない。何色を使えば良い? どんな線を描けばいい? そもそもどんな筆を使えば良いんだろう。


 何度も同じ夢を見る。


 教室二つ分ほどの広さを持った真っ白な部屋の片隅で、イーゼルに乗せられた真っ白なキャンバスと向かい合うように私は座っている。


 すぐ傍にある左側の壁には外に繋がる扉が一つ、そして、それを挟むように上げ下げ窓が二つあり、その窓からは外の景色が見える。縦に長い長方形のその窓の下半分には緑色の中に赤い点が不規則に並び、上半分には薄く伸びた白色を取り込んだ水色が広がっている。


 右側の壁には扉がたった一つ、ちょうど左側の扉と部屋を挟んで同じ位置にあり、なんとなく、その先にはこの部屋と違って外に続く扉も窓もない、他は全く同じ真っ白な部屋がずっと続いているように思えた。


 床には、小さく折りたたまれた新聞紙、灰色に近いボロ布、何色もの絵の具を出して抉ってぐちゃぐちゃになったパレット、蓋の付いた大きさの違う銀色の小さな容器が二つ、柄まで汚れたコテのような何か、絵の具が染みついた様々な形の筆、正式名称も知らないそんなようなものが、木で作られた小さな椅子に座る私の周りに乱雑に置かれている。


 私は美術部員でもなければ授業や夏休みの宿題以外で絵の具を使ったことすらない。それなのに、何度も同じ夢を見る。


 夢の中で、周りはいつも完成間近の作品にそれぞれ思い思いに彩を塗りたくっているのに、その中で私は一人だけ、真っ白なままのキャンバスの前で動けずにいる。


 大人の自己満足で、他人からの嫌がらせで、親切心の皮を被った優越感を得るための道具として、汚い自分を隠すための自虐行為として、何人もの人間の手によって何度も白で塗りつぶされた、まっさらとは言い難い真っ白なキャンバス。

     

 それを前にして、アテをつける覚悟も、彩を載せる勇気も、筆を握る気力すら持てずにいる。


 一人、また一人と絵を完成させた人が右側の扉から部屋を出て行く。気が付くと私は、その部屋の中でひとりぼっちでキャンバスを眺めている。


 そうしているうちに左側の扉が開いて、部屋は再び何人もの新しい人でいっぱいになる。彼らはまっさらなキャンバスをイーゼルにセットすると、私の方を見向きもせずに躍らせた筆を止めることなく自分のキャンバスを埋めていく。


 そんなことが何度も繰り返される。人が出ていき、また人が入ってくる。私一人と、何人もの人が残していった作品を置いてきぼりにして。真っ白な部屋は誰かの鮮やかで暗いキャンバスで段々と埋め尽くされて暗くなっていく。


 都会へ向かう、朝の上りの在来線のように回を重ねるごとに圧迫感は増していく。それでも尚、私は何も描かずに悩むフリをして椅子に座ったままでいる。筆をとることもパレットを持つことも絵の具を出すこともなく、ただただぼんやりと目の前の白を映す。


 そうして何回か人が出入りして、大量のキャンバスが私の白いキャンバスと私以外を埋めた時、私はふいに取りつかれたように自分の意識の外で筆を掴み、パレットを持つ。


 混ざって黒に限りなく近づいた絵の具を筆先で抉る。そのまま何のビジョンもなく伸ばした手の先の絵の具がキャンバスに触れると、静電気をずっと大きくしたような音がバチッと響いて、トンネルを抜けた時のように目の前の白がぶわっと広がり視界が真っ白に変わる。


 全てが白に覆われた瞬間、眩しさに耐えかねて私は目をつぶる。


 再び目を開けた時、私はやっぱり真っ白な部屋にいるが周りには誰もいなく、彩の付いた他人のキャンバスも、私の真っ白なキャンバスも、座っていた木の椅子も、絵の具も、パレットも、用途の分からない他の道具も、何もかもが私を残して部屋から跡形もなく消えている。


 部屋の隅っこで椅子に座っていたはずなのに、部屋の中央で一人立ち尽くしている。


 そして私は何を考えるでもなく体の向きを変え、そのまま壁に向かって歩き出す。

 扉の前までたどり着くと躊躇なくドアノブを掴み、右に捻り、腕を引く。そうして左足からこの部屋を出る。

 絵を完成させた人が進む次の部屋に続く右側の扉からではなく、新しい人が入ってきた方の外へ繋がっている左側の扉から。


 扉の外は、下には青々とした芝生が、上には巻層雲の浮いた青空がどこまでも広がっていて、芝生と空の間にはそれらを縫い付けるように赤い花が咲いていた。

 下を埋め尽くす緑と、上を覆う白色を孕んだ水色との間を、真っ白な部屋から逃げるように歩き出す。


 一歩ずつ確かめるように歩いているうちに、それは冬の家路を急ぐような早歩きへと変わり、待ち合わせ場所へ駆けるような小走りへと変わり、遂には体を前に倒し腕を大きく振って進む疾走へと変わる。

 走って、走って、走って、……走る。


 いくら進んでも全く代わり映えしない景色の中をひたすらに走る。

 転びそうになっても、花を踏んでも、走り続ける。

 木も池もない、だだっ広い緑の上をただただ走り続ける。


 そうして走り続けているうちに、上に広がっていた水色は、黄色と橙色の混じったものに変わり、それを端に残した群青色に変わり、青白い点を惜しみなく散らした濃紺へと変わる。

 その濃紺の空の下で両手を振って、前だけを見据えて進む。


 たまにほんの少し視線だけを上にあげ、ひとつひとつは頼りない星の光をいくつもいくつも目に入れて、一つも残さず網膜に染みこませるようにまばたきをする。

 走り続ける私の視界の端では、青くて白い点が猛スピードで近づいてきては嘲笑うようにすぐに後ろへと消えて行ってしまう。


 その中にひと際明るく輝く点が現れた時、やっと私は立ち止まる。立ち止まって、そこで私はようやく気付く。


 一面に広がる瑞々しい芝生の上を走っていたはずが、いつの間にか赤い花畑の中を疾走していたということに。

 私の周りを埋める赤い花々は、濃紺の空の下で星に照らされては夜の闇に滲んで、静脈血のようにどす黒く浮かび上がる花弁をゆらゆらと揺らしていた。


 後ろを振り返っても花畑の始まりは見えない。ただ、今さっき踏みにじったばかりの赤い花のうちの何本かが、倒れても尚、私を見上げていた。

 それがどこか恐ろしく感じられた。その恐怖に近い感覚は、動かない獣の剝製の目を覗き込んだ時に感じたそれに似ていた。


 私は再び動けなくなる。あの、真っ白なキャンバスを前にした時のように指の一本も。

 ただただ、立ち尽くす。絵の具もパレットも持たないまま。捻っていた首を前に向ける。悩んでいるフリをしながらどこまでも続く赤い花畑の先に目を凝らすが、その縁は見えない。


 突然、景色が揺れて滲む。私の目から涙が粒になって零れる。溢れたそれは、ボタボタと音を立ててどす黒い赤を濡らしていく。どうして泣いているのかは分からない。泣かなければいけない理由もないと思う。

 私の目から零れた涙で濡れると、そのどす黒くて赤い花は花弁の濡れた部分から同心円状に周りを巻き込んでしゅわしゅわと溶けていき、濡れていない花弁だけを残したまま不格好に佇んでいた。


 耳元でパキパキと細い茎が折れる音が頼りなく聞こえる。

 私は指先すら動かしていないのに人の手によってあっけなく折られる可哀そうな植物の音がする。


 出所の不明な気持ちの悪い音を、それでも私は聞くべきなのだと心のどこかが騒いで耳を塞ぐことが出来ない。体の左右で固く握られた拳を解くことが出来ない。

 次から次へと溢れ出る涙を拭うこともせず、気持ちの悪い音を体の中に受け入れる。


 そうして何もできない自分に酔いしれる私の視覚と聴覚と触覚が突然大きなものにぶち当たる。

 地面が大きく波打ち、星を伴った空が轟音を響かせながら防風を引き連れて地平線の先から落ちてくる。


 それでも私は動けずにいる。


 数えきれないほどの星の光が涙で横に長く広がり私の視界を時に青く、時に白く、時に黄色くチカチカと染め上げた。

 巨大な怪物の足音のような低くて荒い乱暴な騒音は滲んだ光のせいで、時々、花火のようにも感じられる。

 空が落ちてくる衝撃波は強弱をつけて私の体を後ろへ、前へ、右へ、左へ、押し倒さんとばかりに襲い掛かる。そのたびに私の結われていない長い髪の毛は散々弄ばれ視界を奪う。


 ふいに私の立っている地面までが大きくうねり、山のように膨らむ。


 波打つ地面と落ちてくる空に挟まれて、目の前に青白く輝く小さな星を掴もうと手を伸ばす。

 もう少しで掴めるのに、と焦燥感に駆られさらに前のめりになったところで再び大きく地面が動き、私の足とくっついていた場所が唐突にへこむ。

 前のめりの状態で足場を失った私は頭から赤黒い地面に落ちていく。


 その時に私は私の叫び声を聞くのだ。


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