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鳥にでもなりたい  作者: 高場柊
13/14

月は綺麗ですか?①

「そんなこと言ったら可哀そうだよー」


 あぁ、その一言が聞こえなかったら良かったのに。その一言が聞こえなかったら、笑って、気付かないフリして何事もなかったように水に流せたのになぁ。


 寂しさを飲み込んで、ひたすら飲み込んで。こめかみが痛くて。喉が熱くて。 


 みぞおち辺りにジンジンと鈍い痛みが響く。

 気が付くと右耳にスマホを押し付けながら、まっすぐに伸びる国道の脇に同じように続く広い歩道を南に走っていた。

 

 田舎の深夜でも街中の国道だと車通りがないことはない。広い道路を真っ白な中央分離帯で隔てた右側を、たった今何十分もかけて進んできた私を嘲るように爆音を轟かせたバイクがあっという間に視界の右後ろへと消えた。走行している車のハイビームを顔に後頭部に浴びる度に、何かに追われているような、責められているような、そんな恐怖とは言わないまでも焦りという言葉では足りない後ろめたい気持ちになるのは、私が未成年でバイトすらしたことのない世間知らずだからだろうか。行事や記念日を楽しみたいと思う反面、周りを気にしすぎて輪の中に入り切ることが出来ない臆病者だからだろうか。


「……補導されたら、どうしよう」


 発信音が響く。誰に掛けたのかトンと覚えがないがこんな深夜に聞きたい声は、ひとつだ。

 家を出る前の記憶がじわじわと頭の中に浮かんだ。

 暗い部屋でSNSの投稿を見た。パーカーを羽織り、自室のドアをゆっくりと閉めた。胸に焦燥感と罪悪感を抱えたままで、スマホのライトを頼りに階段を一段一段慎重に音を立てないよう下りる。


 先輩、会いたい。今すぐ会いたい。声が聞きたい。いつもみたいに「バカだね」って言って笑ってほしい。その後で頭を撫でてよ。


「うわっ!」


 勝手に出てきてしまった涙のせいで道が見えず躓いてしまった。転びはしなかったけれど、そんな自分が余計に情けなく思えて目に溜めていたものがこぼれてしまった。

 あーあ。ほんとに、もう。嫌だなぁ……。


「消えちゃいたい」


 無意識でも、そんな言葉がぽつりと出てしまった。それがいけなかった。口から発せられたその短い思いは私の中で燻って、いつの間にか骨髄まで侵食してしまっていたらしい。急に耳から変な音が入ってきた。どこか叫び声みたいな、幼児の泣き声みたいな。「あー」だか、「うぇ」だか。うるさいなぁ、こんな夜中に誰だよ。近所迷惑なんだよ。どこまで走っても一向に離れてくれないこの音は果たしてどこから聞こえているのだろうとぼんやりと考えながら、思い切り鼻をすすって気付いた。その瞬間だけ騒音が止んだからだ。


「わたし、かよっ」


 情けないんだか恥ずかしいんだかよく分からない感情まで内側からこみあげてきて余計に嗚咽が止まらない。それでも、こんな日くらい許してよなんて誰かに言い訳をしたかった。

 そうしているうちに、いつもの公園の自動販売機の前にいた。


 煌々と光るそれを初めて夜に見たせいと、たぶん私の目にたっぷり溜まった涙のせいだろう。私より縦にも横にも大きい目の前の光る箱が、じんわりとぼやけていて、まるで異世界に続く入り口のように感じられた。

 触ればどこか遠くの世界線に連れて行ってくれるんじゃないかなとか馬鹿みたいなことを考えてしまう。

 分かっている、こんな妄想はただの現実逃避だ。それ以外の何物でもない。家の前の自動販売機を夜に見ても、今日も蛾が止まってるな、くらいしか思わない。


 大人になったら、アルコールを流し込んでそんな毎日を乗り切れるようになるのかな。蒸かしたタバコの煙が嫌な記憶も空気に溶かして消してくれるようになるのかな。夜明けまで歌い続けた後に始発電車の走る音を聞きながらカーテンを閉めて、登る太陽に逆らうように布団に沈み込んで眠りにつくのかな。

 そんな風にわたしもうまく逃避できるようになるのかな。

 

 三歩進んで自動販売機の右側に隠れるようにうずくまった。まだスンスンと鼻が鳴くけれどいつのまにか涙は止まっていた。

 うん、落ち着いてきたな。ふと、握りしめていたスマホが振動していたことに気付く。てっきり自分の手が震えているだけかと思ったが、画面をひっくり返すと電話がかかって来ていたことが分かった。


「え? え?」


 慌ててスワイプして右耳に押し当てた。息が苦しかった。その人の声が聞きたいだけで、自分の話したいことなんか分からなかった。


「せ、せんぱい……っ?」


 何キロも走ったうえ、いきなり止まってしゃがみこんだので私の心臓は酸素を送り出すのに必死でバクバクとうるさい。


「……どこにいるの、今」


 深夜だからだろうか、いつも以上に落ち着いた柔らかい声が鼓膜に届く。ああ、この声が聞きたかったんだ。


***

 物語の主要人物じゃないわたしは、大抵の「きっかけ」に立ち会えない。そこにいたからなんだということだって勿論ないけれど。


 たかが五分だ。放課後、二階にある自分の教室から昇降口近くの自販機まで行ってホットカフェオレを買って戻ってきた。それだけだ。なのに、開きっぱなしの扉から中に一歩踏み込むと教室から出る前とまるで違っていたのだ。


 何かがあったことは明白で、立ち尽くすわたしの横を鞄を持ったクラスメイトが気まずそうな顔で通り過ぎていった。


 教室にいるのはわたしを除いて六人。けれど、うち二人は荷物をまとめて帰る準備をしていた。他の四人はひとかたまりになって何か話している。正確には席に座った一人を三人が見下ろしていた。

 体を丸めて椅子に座っている、その「一人」の髪に隠れた横顔を涙が伝っていた。


「え……? どうしたの……?」


 カフェオレの缶を握りしめる両手に力が入る。尋ねながら四人のもとへと足を動かした。

 ちらりとこちらを見たミクが「別に」と抑揚なく言った。腕を組んで仁王立ちするその姿は張り詰めていてどこか危うかった。


 教室の外からはいくつもの声が流れ込んできてあっという間に消えていく。こちらの様子に気付いたものは足早に、気付かないものもさして時間をかけずにそれらは聞こえなくなっていった。


 わたしが教室に戻って来てからそれほど時間は経っていない。しんと静まり返った教室に、足音を響かせながら近づいてくる何度目かの声がいくつかあった。その中の一つの声にナナホが僅かに反応して俯いた。その声はわたしたちがいる部屋の前を通り過ぎるとき、正確には声の主の一人が俯くナナホの姿を捉えたときだろうか。その瞬間だけ会話が途切れた。


 声が何事もなかったように会話を再開してやがて聞こえなくなると、ナナホは机に額を擦り付けてしゃくり上げてしまった。事情を知るためにも双方から話を聞かないといけない。けれどこの状態のナナホに質問を投げるのは酷だろう。缶を隣の机に置いて彼女の背中をさすった。


「あすか、そんな奴ほっとけよ。それともなに? いい子ちゃんアピール? キャラじゃねぇって。やめた方がいいよ」


「あすかはななほの味方なんだ? こんな男好きのぶりっ子の」


 口を開く前に勝手にわたしの行動が決まっている。せめてあなたたちの言い分を聞かせてよ。出来るだけ弱々しい表情をつくって三人に流れるように視線を向けた。


「そういうわけじゃないよ。ただ、どうしてこんなことになってるの? なにがあったの?」


「知らないよ。あすかには関係ない。ななほの味方するやつになんか話すことない」


「てか、勝手に泣き出してマジ意味不明。聞きたいのはこっちだし」


 わたしだって聞きたくて聞いてるわけじゃない! そう言いたかった。こんなところでこんな場面見せられたら「何があったの」と聞かざるを得ないでしょう? もしかしてわざとなの? 蚊帳の外なのはわたしだけで充分なのに。ナナホだってわたしに助けて欲しいわけじゃない。きっと三人との間に割って入って欲しかったのはわたしじゃなくて……。


「そんなにななほの肩持つってさ、本当はあすかも三谷たちと遊んでたんじゃないの?」


「……は?」


 泣き続けるナナホ、頭に血が上っているミク、釣られて興奮状態のアヤノから事実を聞くのは骨が折れそうだ。そこでわたしは黙って一部始終を眺めていたリカコに説明を求める眼差しを向けた。

 彼女はため息をひとつ吐いたあと、ゆるく巻かれたツインテールの毛先を指でいじりながら話し始めた。


「なんかー、先週の金曜日にななほが三谷たちとカラオケに入ってったの。それ問い詰めたらこーなった。ななほ『ごめん』しか言わないんだもん」


 興味なさげにそう言うとリカコは一瞬だけ迷惑そうな顔をした。確かにそれだけじゃこの三人もお手上げだろう。残念だけどわたしにはどうすることも出来ない。わたしが入って行っても彼女たちの感情の落としどころは見つけられない。

 そう思うと、背中をさする手が止まってしまった。見計らったようなタイミングでミクがナナホをねめつけた。組んでいた腕を降ろし、一方を腰に当てていた。


「でさ、結局あんたは三谷のこと好きなの?」


 問われてナナホの喉がぐぅと鳴る。引き結んだ下唇を噛んで、両腕を額の下で重ねた。ヒク、という嗚咽を飲み込んで彼女は小さく頷いた。


「ごめん……っ」


 震える声で一息でそう言い切った。誰が開けたのか、カーテンをなびかせて窓から入って来る秋風を横から受けたミクの髪が弄ばれ、表情が見えなくなった。


「……さいってー。私が三谷のこと好きだって知ってたくせに」


 その声は少し水っぽさを含んでいた。その目元は暗くてよく見えない。それに、わざわざ見るものでもないだろう。


「ごめんなさいっ」


 どうしていいか分からなくて謝り続けるナナホの背中を再びさすり始めた。その間にもミクとアヤノはナナホへの非難をやめない。終わりの見えない時間のように感じた。気持ち悪いと思った。この四人が仲直りしても、しなくてもどちらでも。

 それでも、中途半端に手を引くわけにはいかないと思った。かける言葉がなくても出来ることがなくても、添えてしまった背中の手はこの騒動が収束するまでは離さないようにしようと思った。


 しばらくして最終下校時刻の放送が場違いに軽いチャイムとともに流れ、冷めた顔の三人が背を向けて帰り支度のために各々の机へと向かった。


「……しゃ」


 ふいに腕の下から声が聞こえて彼女の頭頂部を見下ろした。よく聞くために身を屈ませたわたしの耳に届いた声は教室の外にも聞こえるくらい大きかった。


「こ、の……っ、偽善者!」


 その叫び声が足元から振動として心臓に伝わると、わたしの足は元々そこにあるのが当然かのように動かなくなった。離さないようにしようと決めたばかりの手は驚きで簡単に離れていた。


「あんたなんかに庇われたって全然嬉しくない! いっつもへらへらしてさ、気持ち悪いんだよ。あんたがみんなから何て呼ばれてるか知ってる?」 


 そこまで言うとナナホは真っ赤に充血した目で私を睨みつけた。大きな音とともに地面が割れるような心地がした。

 ナナホの唇が小さく上下して聞き馴染みのない単語を発した。その表情は陰っていて、悦に浸っていて、場面が違えば美しくさえ思えるものだった。その直後にナナホは人目をはばからずに顔をぐちゃぐちゃにして再び泣き出した。


 沈みかけた夕日が差し込む肌寒い教室の中、最後に口を開いたのはミクでもアヤノでもナナホでもなかった。


 そのあとはもう、ただひたすらに泣きじゃくるナナホが抑えきれない嗚咽の音だけが冷えた教室に吸い込まれていった。他の音はもう、何も聞こえなかった。


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