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鳥にでもなりたい  作者: 高場柊
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空蝉②

「炭酸を口に含んで、泡を殺してる時の音が好きなんです。線香花火みたいで」


 歌うのをやめた口から発された言葉はなかなかにおもしろかった。


「泡を殺す……」


 その奇妙な言葉をぼんやりと反芻して口から放る。殺す、とはまた、彼女には似つかわしくない言葉ではないだろうか。


「こう、舌を上あごに押し付けると、しゅわしゅわっと鳴るじゃないですか」


 缶を持っていない方の手のひらを、カプセルトイを回すようにこめかみのあたりで捻る。そのジェスチャーが正しいのかはともかく、言いたいことはなんとなく伝わったと思う。


「喉じゃなくて、口の中で泡を弾けさせるのが好きなの?」


 そう聞くとあすかは目を丸くしてから満面の笑みをつくった。


「はい!」


 そっか、と生ぬるい風に乗せてぽつりと零した。夏も終わりに向かい、蝉の声が頭上から音量をさらに上げて降り注ぐ。


「先輩といると、なんか、考え途中のことまで喋っちゃう」


 頭を揺らす蝉の声に紛れてそう言った彼女が腰を上げ、大きく伸びをした。右手で左側の髪をかき上げる。こめかみにうっすらと汗が滲んでいた。


「別にいいよ。そういうの好きだし」


「ほんと? わたし、すぐ調子乗りますよ」


 クスクスと笑い合う。


「なんでも話してよ。考え途中のことでも、既に結論が出てることでも、フッと湧いて出た疑問でも」


「先輩、わたしに甘くない?」


「そりゃ、あすかのこと気に入ってますから」



 言葉が返ってこないなと隣を見ると、口を歪めて目を細めた彼女と目が合った。

 なんだか可愛らしくてフハッと笑い声が漏れる。


「あとね、あすかの声が好き。だから、なんでも聞きたい」


 照れてる? と聞くと唸り声のようなものが返ってきた。


「もー! 先輩って、結構キザですよね」


 そうだろうか。そんなこと、言われたこともない。


「そんなことないでしょ」


「あーるーのー!」


 残り少なくなった缶をベンチに置き両手で頬を冷やす姿があどけなくて、名前を呼んだ。「ん?」と首を傾げた彼女に手招きをして、身を屈ませる。


 黒い頭の上に手のひらを置き、左右に動かす。どうやら撫でられるのは嫌いじゃないらしい。

 気の済むまであすかの頭を撫で続けてから、右側の髪も耳にかけてやった。


 むず痒そうな表情のまま上目遣いで私を見たあと、彼女はゆっくりと上半身を持ち上げた。


「……汗、かいてるのに」


 恥ずかしそうに言ったその言葉に私は思わず笑って、そんな私の腕を頬を膨らませた彼女が揺すった。


 ふと、猫のように唸り続ける彼女の両手が私の腕を離れた。それと同時だろうか。あ、とちいさく呟いた彼女が公園の奥深くを指さした。


 見遣るとフェンスの向こう側、木々が無造作に植えられている林の中に土ではない白っぽい何かが盛り上がっているように見えた。


「なん、ですかね?」


 指を伸ばしたまま私に向き直り、彼女が首を傾げる。


「ちょっと、行ってみよっか」


 彼女がサイダーを飲み切ってゴミ箱に捨てるのを待ってから、二人で公園を出る。フェンス沿いを二〇歩も歩かないうちに林の目の前に着いた。背の高い木々に陽を阻まれた土は黒く、踏みしめると僅かに湿った感触が靴底から伝わってくる。


 一歩、また一歩と足を進める。スニーカーが汚れないように注意して歩いた。

 彼女が先に立ち止まり、ふくらみに目を凝らす。私も並び立って土に目を落とした。


 それは死骸だった。

 正確には獣の死骸だったものだった。

 さらに言えば、獣の死骸だったものが食い散らかされた跡だった。


 それを認めた二人が同時に互いを向き、自然と視線がかち合った。

 きゅっと引き結んだ唇を少しだけ噛み、眉間に皺を寄せた彼女が、拳を握るのが分かった。


「……カラス、かな」


「……ですかね」


「ほとんど、食べられちゃったみたいだね」


「……です、ね」


 は、と息を吐きだす音がくぐもって聞こえた。

 視界の端で、握っていた拳をゆるく解いた彼女が言う。


「……戻りましょうか」


 うん、と小さく頷いて踵を返す。林の出口までがやたらと遠く感じたのはなぜだろう。

 何歩か歩いたところで、彼女の足音が聞こえてこないことに気付いた。あれ、と思う前に振り返る。


 彼女は死骸を見つめたまま動かず、体の前で手の甲をさすっていた。


「どうしたの?」


 その声にびくりと体を震わせた彼女が困ったようにたどたどしく話す。


「あ、えと、その……。埋めた方が、いいのかな、って」


 語尾が近付くにつれ語気が弱々しくなるのは、迷っているからだろうか。

 ああ、と声には出さずに一度頷く。


「じゃあ、埋めよっか」


 死骸のところまで戻り、しゃがみこんで手のひらで土を掬う。黄ばんだ白い毛の上に土をかけると、音もなく白が黒に塗り替えられていった。二度、三度と繰り返す。

 私の行動を見ていた彼女が慌ててしゃがみこみ、二度、三度、と同じことをした。


 夏の生ぬるい空気の中、アスファルトに囲まれた林の中の一角だけ、私と彼女の周りだけがしんと静まり返り肌寒いとさえ感じた。てのひらが冷たかったのは土の温度のせいだけではないのかもしれない。


 時間をかけたつもりでも埋葬はすぐに終わった。黒くなったふくらみをぼんやりと眺める。アイスの棒でもあればよかったかもしれない。


 この子は、死んでから喰われたのだろうか。それとも、生きながらにして喰われてしまったのだろうか。せめて前者であって欲しいと思う。生きながら喰われるなんて、生の最後がそんな恐ろしいものでなんて、あって欲しくない。


 そう思うのはきっと、ただの自己満足でしかないのだろう。


 今度こそ戻ろうかと膝に手をついて彼女の名前を呼んだ。どこか上の空で私の後ろを付いてくるその人の手を握って、軽く引っ張る。


 薄暗い林の中から出ると、刺すような光に目が痛んだ。薄目を開けて横を見ると、ぎゅっと目を瞑った姿が映った。恐らく私も同じような顔をしていたに違いない。


 公園の入り口にある水道で並んで手を洗う。石鹸はないので指紋の溝に入った土までは落とし切れないだろう。蛇口を捻ってすぐはあたたかかった水が冷たくなり始めたとき、俯いた彼女がぽつりと零した。


「ありがとう、ございました」


 私はやっぱり「うん」とだけ返して手のひらに爪を立てた。


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