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整理番号 新A08:魂は、鉄と煙を求めている

 エドワードは目の前に広がったそれを見て、感動のあまり涙が零れる。

 漆黒の煙がもくもくと上がり、白い蒸気を吹き出しながらガタゴトと走るそれは、何度目をこすっても幻ではない。

 それはまさに、御岳篤志の原風景。


 紛うことなく、鉄道だった。










 広大な敷地に所狭しと線路が並び、おびただしい数の鉄道車両がそれを埋め尽くしている。

 御岳の生まれた旧東京市柴谷、その中ほどに位置する旧・金居機関区。そこは北日本における鉄道の要衝であり、御岳の原点だ。


 機関区とは、主に機関車や機関士(運転士)、機関助士(運転助士)、場合によっては車掌や乗務員、操車掛、又は客貨車などの運行に必要な機材、人材を管轄する基地のことを指す。


 この金居機関区は、東京から東北地方へと向かう常総本線の運用を一手に担う基地であり、御岳の生まれた昭和五年時点では日本最大級の規模を誇っていた。


 御岳はこのマンモス機関区の側で生まれ育ち、その威容に心動かされながら幼少期を送った。


 紆余曲折の後に国鉄勤務者になった御岳だが、昭和三十九年に金居機関区が千景機関区に統廃合されるまでの約二十年間を、この金居駅と金居機関区で勤務した。


 御岳にとってこの金居機関区は、人生の始まりから最盛期までを支えてくれた思い出深い場所である。


 目の前に広がる光景に、エドワードはついつい、そんな景色を重ね合わせた。





 機関車が真っ黒な煙を吐き出し、貨車や客車を連ねて闊歩する。在りし日の日本国鉄と同じ、蒸気機関車の天下がそこには広がっていた。


「この世界にも鉄道があるのか!」


 エドワードは興奮のあまり叫んだ。それは魂の絶叫だった。もう二度と目にすることはないと思っていた世界が広がっているのだから、無理もないことだった。


「ああなんてことだシグナレス。間違いない、これこそが私の人生だ」


 エドワードは泣いていた。今再び、人生を共にした仲間と巡り合えたのだから。エドワードにとって、機関車は、貨車は、客車は、まさしく最愛の仲間である。

 そして、エドワード・ラッセルの魂はたとえどこにあったとしても、それは機関士である。

 灼熱の炎に身を焦がしながら、その鉄輪を二条のレールの上で死力を尽くして転がすのがエドワードの使命であり、魂に刻まれた生き様である。


 エドワードは鉄道のあるところであればそこがたとえ死線をくぐった先であろうと生きていける。と、彼自身は思うのである。


 目の前の鉄道は確かに鈍く光る二つの鉄条に導かれている。そして火花を散らしながらうごめいている。


 彼の目の前にあったのは、間違いなく彼自身の生きがいだ。それを自覚した時、エドワードは歓喜の涙が止まらなかった。


 シグナレスはエドワードのその涙に驚きつつ、優しい声で問いかけた。


「これはシロッコ=クアール鉄道。通称、シ=ク鉄道。どうかな。これが君の居場所で間違いない?」


「見紛う訳がない。ああそうだ!」


 機関車が汽笛をあげる。エドワードは身震いした。その身体を芯から震わせるような笛の音は、生前に心血を注いだ蒸気機関車それに間違いなかった。


 興奮するエドワードを見て、シグナレスは微かに微笑んだ。


「よかったよ。これならすぐに馴染めそうだね。……とと、まずはここを君の居場所にするためにも、挨拶に行こうか」


 エドワードは首が取れんばかりに肯いた。


 もうその眼には、希望以外の何物も映っていなかった。










「へぇ、これが新入りですかい」


「そうよ。異国で機関士をしていたそうなの」


 エドワードはいきなり、胡散臭いものを見る目でなじられる。


 その目線の主は、この機関区のお偉いサマであるようだった。ガタイは良く、ひげはボサボサで、とても清潔そうには見えない男だ。

 目の色が明らかに粗野なそれで、エドワードは一気に不愉快になる。


「ふーん、まあお嬢の顔を立てるとしましょうか。俺はここの区長をやってるヨステン・ガーフィールド」


 そう言ってその男はエドワードに握手を求めた。


 エドワードがそれに応えると、男はギリギリときつく手を締め上げる。


―――いけすかん奴だな―――


 エドワードは持ち前の喧嘩っぱやさを何とか我慢しつつ、微笑みを継続した。


「で、こいつをここで面倒みろと?」


「人材交流だよ、ヨステン。君たちにもいい刺激になると思うのだけれど」


 シグナレスの言葉を、ヨステンは鼻で笑った。


「こんなのが? どうにも信じられんね」


 とうとうエドワードはヨステンを睨みつける。その気迫に押されてか、ヨステンは少したじろぐと観念したようにエドワードにスコップを投げてよこした。


「なら、見せてくれよ。アンタの実力とやらを」


 ヨステンは毛むくじゃらのアゴで、奥に控えている機関車を指す。


 エドワードはスコップを握りしめる。冷たいスコップの感触が、手に伝わってくると、なんだか喜びのような、やる気のようなものが心の奥底からこみ上げてくるような気がした。


―――この感触は、やはりここでも変わらんか―――


 今の自分の姿が、自分の生前の仕事姿と重なる。ピリピリとした緊張感は、まさに機関区から出て運転を始めようというときの、それと一緒だ。


「いいでしょう」


 そういうエドワードの口角は、いびつに歪んでいた。それはシグナレスから見て、明らかに歓びをたたえた顔だった。

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