整理番号 新A71:サンロード日本人組合
そこは、日本だった。
懐かしいイ草のにおいも線香の香りもないが、そこはまさしく日本だった。そんなことは、見ればすぐに分かった。
エスを含め、そこにいる人間たちはおおよそ日本人には見えなかった。だが、そこはかとないしぐさや雰囲気から、エドワードはやっと彼らが日本人であることを理解した。
「心細かっただろう。だが、安心してくれていい。ここは、誰が何と言おうと、日本だ」
それを聞いた瞬間に、エドワードの中にこみ上げるものがあった。
そんなはずではなかった。エドワードはこんなことで感動するような人間ではないはずなのだ。それでも、その身体の中で血肉が湧きたつような感覚を覚える。
ここにきて、彼は唇の震えと、早まる鼓動を止めることができない。
「そうか、君たちは、日本人か」
遠く離れた異邦の地で、もう二度と会うことはないと思っていた故郷の人間と再会することが、どれだけうれしいことであろうか。
エドワードは、今この時まで、それを知ることはなかったのである。
「そうだ。我々はサンロード日本人組合。この地に流れ着いた邦人の保護と共助を目指し、活動している」
「そうか、そうだったのか」
きっと彼らは、一人でいるエドワードを見てとても不憫に思ったのだろう。そして、そんなエドワードを助けるために、今日ここにやってきてくれた。
エドワードは群れるのが好きではない。集団催眠的な集合意識の只中にいることは、彼にとって屈辱以外のなにものでもなかった。
だが、あまりにもうれしかった。エドワードの全身から力が抜けていくのを感じる。
端的に言えば、エドワードは寂しかったのだ。異邦に一人で漂っていることが、この上なく寂しかったのだ。
「ありがとう」
エドワードの口から、ついそんな言葉が漏れた。
「例には及ばん。我々も、考えがあってのことだ」
爺はそう言うと、エドワードに向かって真剣な顔を見せた。
「っとと、その前にメンバーを紹介しよう」
目の前の爺は唐突にそう言った。
「なんのメンバーだ」
「それは当然、この日本人組合のだよ」
爺がそう言うと、エスを含む三人の男がやってきた。彼らは一様に含みを持たせた顔になると、これまた唐突に爺が紹介を始めた。
「まずはこの青年。ノストラダムスの大予言はウソだった! 二〇〇〇年生まれの少年ボウイ、田中海斗!」
「田中です。生前は広告関係やってました。よろしくお願いします」
目の前の気弱そうな青年は、そう言って頭を垂れた。あまりにも日本人然とした所作に、エドワードは混乱を隠せない。
そして何よりも、二〇〇〇年生まれというのがエドワードの頭を激しく混乱させた。
「二〇〇〇年に地球は存在するのか……?」
「二〇〇〇年どころか、私が死んだ二〇二四年までは普通にありましたよ、地球。たぶん今もあるんじゃないですかね」
その言葉に再びの衝撃を受ける。そんな彼を差し置いて、爺は紹介を続ける。
「次はこの男。浪花生まれの武庫川人、親は京都生まれ和歌山育ち。大学は東工大。中途半端な関西弁はご愛敬、眞弓久雄」
「えらいすんません。眞弓言うもんですわ。京神ジャガーズの一番打者と同じ名前ですな。どうもよろしゅう……」
「ちょっと待て! 眞弓が京神ジャガーズだって!? 彼は九鉄オライオンズだろう!」
彼は叫んだ。国鉄ファンの彼にとって、敵チームであるジャガーズの動静は何よりも気になるところである。
「一九七八年にあのぉ……トレードで京神入りしてますねん。あと、九鉄オライオンズは今は武鉄オライオンズになってますな」
なんで九州の球団が埼玉にいるんだと叫びたい気持ちを堪えて、エドワードはエスの方を振り返る。彼は苦笑いをしていた。
「君も日本人だったというわけか」
その言葉に答えたのは、爺だった。
「もちろん。紹介しよう。新潟生まれの熱きエリート陸上保安官。潜入捜査はお手の物。”エス”こと藤居晃」
「どうも、藤居でした。すみませんね、黙ってて」
エドワードは依然として呆然としているが、そこに一抹の納得が混じった。
いやにまどろっこしい口上、あまりにも鮮やかな武術。それは彼が保安隊員であるという事実を鑑みれば、あまりにも腑に落ちることだった。
「驚いたな。こんなにも日本人がこの世にいたとは」
「我々も驚いている。我々以外の日本人がまだいたことにね」
爺はそう言ってはにかんだ。
そう言えば、この爺の事をまだ聞いていない。そこに思い至ったエドワードが目線を向けると、爺は姿勢を正した。
「そしてこの日本人組合の首長が、この私、日下真之介だ」
日下はそう言ってエドワードに握手を求める。その手を握りながら、エドワードはなにやら強烈な既視感を覚えた。
「アンタ、どっかで……」
「エドワードはん、覚えてまへんか。姫石市で市長をやっていた人ですわ。最期はホラ、あの、暴漢に刺殺された」
そう言われてエドワードはやっと合点した。
「ああ、あんた、姫石市長のくさか真之介か! 私が死ぬ十年ほど前に、そんな名前の政治家が刺殺されていた気がする。確か、暴行されていた婦女を庇って死んだのでは?」
「いかにも。私がそのくさか真之介だ。十年、ということは、あなたは私と同じ時代の人間の用だね」
「アンタは昭和三十七年に死んだはずだ。私はそのあと、昭和五十年に死んでいる」
「やはりそうか。他の者はみんな、私から見て未来の人たちだから肩身が少しだけ狭かったのだ。同じ時代を生きた人がいてうれしいよ」
「そうか。二〇〇〇年代の人間がいるのだもんなぁ」
エドワードは田中の顔をまじまじと見つめる。彼は気まずそうに笑いながら、元号も二回変わりましたしね、と言った。
「なに? 昭和は終わったのか」
「昭和から平成になり、その次は令和になりました」
「……そうか、昭和も終わるのか」
未来のことなど、考えたこともなかった。そして、次の時代があることなど、思いもよらなかった。それでも、自分たちがつないだ”いま”はしっかり引き継がれたのだと思うと、なんだか少しだけ誇らしかった。




