整理番号 新A68:家族学
「うちのマリーに婚姻の話がやってきた」
レルフは呆れたような顔を見せた。
「どうやら、彼女をアリアル君と結婚させて、我々を支配するつもりらしい」
「あなたたちが実の親子だとしたら、それはてきめんだったかもしれませんね」
シグナレスも頭を抱えた。まさか、事態がこんな進展を見せよう事は、まったくもって彼女の想定外、いや、予想外だった。
「彼らの真の目的は?」
「我々の支配下にあるエドワード君を飼殺しにしたいようだ。彼は今、狂犬のごとき活躍をしているからね。この間も、エスパノ家との間でひと悶着あったようだ」
「我々を支配すればエドワードを押さえつけることができるだろうという発想それ自体があまりにも貧困ですわ。彼は根っからのレジスタンスでありプロレタリアート。支配者に支配されたままでいるわけがないじゃない」
彼らは純粋に考えが足りない、とシグナレスは切って捨てた。
「しかし、どうする。うちは下手に断ることはできんよ。同じ公爵家でも、あっちは親藩、こっちは外様だ。とても逆らえん」
一昔前なら我々の方が格上だったのに、とレルフはぼやく。そんな彼に対し、シグナレスの表情は冷ややかだ。
「まあそれは、そちらの都合に決めていただくことになるでしょう」
「何を言っているんだ。マリーを拾ったのは君で、時が来るまで彼女を預かってくれと頼んだのも君じゃないか」
レルフはその視線に抗議の色をにじませた。シグナレスはそれを笑っていなす。
「誰かが運命の歯車をいじったのよ」
「歯数比が変わったのか歯車比が変わったのかで状況は変わってくるぞ」
「そういう具体的な話をしてるんじゃないのです。問題は、私の予想の範疇を超えた方向へ事態が突き進んでいるということですわ」
シグナレスは呆れ半分といった口調でそう言う。
「問題の発端は、君の所のエドワード君だ。まずは彼の安全を確保するのが最優先だ」
「いえ、彼はこの世界に来てすぐに不潔な水を飲もうとした豪傑です。多少のことでは死にませんから後回しでよいでしょう。問題はマリーヌです」
事は思ったより深刻だ、と彼女は言う。
「運命線が遷移した以上、私のプランは崩壊しています。彼女の保護を優先しつつ、事をとりあえず前に進めましょう」
「わかった。ここは君の言うとおりにしよう。いやはや、やはりこういう時に頼りになるのは年の功……」
「女性の前で歳の話なんて、失礼な話だわ」
レルフのつぶやきに、シグナレスは露骨にへそを曲げた。それがおかしくて、レルフはころころ笑う。
「ともかく、これはエドワード君の存亡に関わる問題だ。これからは緊密に連絡を取り合い、行動を起こす必要がある。……君も、せっかく拾った彼を、ふいにしたくはないだろう」
「私は、彼がこの世界に登場するのをずっと待ちわびていたんですもの。逃しはしませんわ」
シグナレスがそう言うと、レルフは少し変な顔をした。
「ああ、もしかして、そういうことなのかい?」
「今はまだ、なんとも」
そう言って、シグナレスはいたずらっぽく口角をあげた。
「まったく、君といると退屈しないよ。私が君を拾い上げたのも、何かの運命だったのかもしれないね」
「きっと、そうに違いありませんわ」
シグナレスは、遠い目をしながらそう言った。
「あなたにはパーティーに出てもらうわ」
寝ぼけまなこのエドワードに、メイドのクリスはいきなりそう告げた。
「パーチー? なんだいそれは」
「貴族たちが集まっておしゃべりするの」
彼はそう聞いて、すぐに頭の中に政治資金パーティーが思い浮かんだ。
「汚職のにおいがするな。そんなものに私が出ないといけないのか」
「あなたが想像しているようなものじゃないわよ、きっと」
クリスはそう言った後で、その栗色の紙をくりくりといじりながら適当なたとえを思い浮かべた。
「そうね、いうなればお茶会みたいなものよ。みんなでお茶やお菓子をしばいて、ぺちゃくちゃしゃべったり、音楽を聴いたりするの」
「しばく?」
「ああ、えっと、食べたり、飲んだり」
エドワードはクリスの妙な言葉遣いが気になったが、今はそれどころではなかった。
「ともかく、私はそれに出席すればいいわけだ。だいたい何時間ぐらいで終わるかい?」
「あら、パーティーが始まる前から宴のたけなわを考えるだなんて、そんなの駄目よ。めんどうくさいって気持ちが前に出すぎだわ」
彼女はそう言って笑った。
「だいたい、なんで私はそんなものに出席せねばならんのだ」
「あなたは少し、貴族界に敵を作りすぎているわ。ここらであなたが人畜無害な人間だってことを示しておかないと」
「私は貴族社会の打倒を志している人間だぞ? 従順なわけあるか」
エドワードの口答えに、クリスは呆れたような顔をした。
「あなたは能ある鷹なんだから、爪は隠しなさってーの!」
ばしっ! 彼女はそう言いながらエドワードの背中に平手で赤い斑を付ける。
「ほら、さっさと着替えて!」
彼女は、自分でできるからと言い張るエドワードを無理やり着替えさせたのちに、やっと部屋から去ろうとした。
安堵のため息をつくエドワードに向かって、クリスはいう。
「……あなたが頑張ってるのは知っているから。いざとなったら、私はあなたの味方よ」
「姉さんみたいなことを言うんだな、君は」
クリスはやさしい顔をしていた。エドワードついそんなことを言ってしまった後で、その口を慌ててつぐんだ。
「そうね。わたしも、昔は誰かの姉だったわ」
彼女はそれだけ言うと、微笑みながら部屋を後にした。




