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整理番号 新A67:鉄路に臥す(バフロス貨物線脱線事故14)

「エスパノ家は、今回の事故を置き石による脱線事故と公表するようだ」


 アリアルはそう言った。


「今回の件においては、遺書以外に物証がない。そして、遺書があったとしても、すなわちそれが自害には繋がらないだろうというのが我が一族としての見解だ」


 そう話す顔はいつも通りの涼やかな表情だった。だが、その声は震えていた。


「そもそもとして、君の論はすべて想像に過ぎない。……もしかしたら、線路内に入り込んでしまった小動物を守ろうとしたのかもしれないし、後ろで死亡した駅長が何かをおこなったのかもしれない。それ以前に、ハルミンという少女がこの世に本当に存在したという証拠すらないのだよ」


「戸籍謄本か何かがあるだろう」


「彼女は平民の出身だった。学院を卒業すれば戸籍を得ることができたと思うが、それ以前には彼女の戸籍は存在しない。だから、彼女の性別も、年齢も、家族関係も、そしてその存在証明さえ、我々はすることができない」


 彼は一息でそう言うと、小さくつぶやいた。


「だから、あの時に結局何が起きたのか、というのは、もう二度とわかることはないのだよ」


 それはある意味で、彼のささやかな強がりだ。と、エドワードは感じた。それはアリアルのその気障な表情にいつもの覇気が無かったからでもあるし、彼の眼にいつもより力がこもっていたからでもある。


 エドワードは黙って、彼の背中を叩いた。アリアルは堰を切るように、その胸の内を吐露する。


「彼女たちの命の叫びは、こうして闇に埋もれるんだ」


 それが、どうしても許せないと、彼の表情はどんどん感情の色を帯びてくる。


「結局これは政治だ。多方面に対し事を丸く収めるには、これ以外に方法は無かった。この方法とはつまり、彼女たちの想いを、決意を、言葉を踏みにじることだ。なあ、エドワード」


 アリアルはこぶし強く握った。


「彼女たちの犠牲を踏みつけなければ存在できない我が一族に、どれほどの価値があるというんだい」


 エドワードは言葉に詰まった。いつもならアリアルに嫌味の一つでも言っただろう。エスパノ家の面々になら、罵声の一つでも飛ばしたかもしれない。


 でもエドワードはそれができなかった。アリアルの声はそれほどまでに悲痛だった。


「彼女は私のいとこにあたる。年の離れたいとこだったが、良く私に懐いてくれていた。彼女は、私だけは信頼してくれていたんだ。それなのに、私は彼女を裏切った。彼女を護ることが出来なかったんだ」


 いやに小さい彼の背中が、エドワードの中でなにかと重なる。エドワードつい、声を出した。


「あんまり、自分を責めなさんな」


 アリアルは驚いた顔でエドワードの方を振り返った。


「君は意外と優しいんだね」


「そう言うアンタは、実は良い奴だな」


 エドワードの言葉に、アリアルはやっと笑みを見せた。そして、ふいにこんなことを言い出す。


「なあ、君はこの世界の人間じゃないだろう」


 何を言い出すのかと思えば、とエドワードは彼の顔を見た。だが、その表情はいたって真剣だった。


「ああ。それがどうかしたか」


 だからつい、エドワードは真面目に答えた。


「君の世界では、こんな悲しいことは防げるのかい?」


 彼はすがるようにしてそんなことを言い出した。エドワードは、黙って首を振った。


「俺の国では、プラットホームにドアを付けて旅客を守る、というような試みがなされている。若しくは、停車列車が来る時までプラットホームを締め切る、なんて方法もある。が、それではとても防ぎ切れていない」


 通過列車が発生させる風が問題となった東海道新幹線熱海駅には、昭和四九年にホームドアがついた。ホームドアに関してはいまだ技術的課題も多い中、着々と整備が進んでいる。

 だが、人身事故は無くならない。


「人身事故は、彼ら自身だけでなく、乗務員や駅員、保線員などの鉄道従事者、更には一般客にまで危害を及ぼす。そしてその傷跡は、長きにわたったり、取り返しのつかないことになることもある」


 エドワードはその言葉に力を滲ませた。


「鉄道人身傷害は、鉄道側に責任が無いことが多い。だから評論家連中においては軽視されやすい部類の事故であることは確かだ。だが、それは違う。鉄道創世の時代よりずっと付いて回ったこの事故こそ、我々が真に根絶しなければならない事故だ」


「私も、今回のことで思い知ったよ。エドワード、この事故を防ぐにはどうしたらいい」


 アリアルはエドワードに賛意を示しながら問いかけた。エドワードは語気を強める。


「忘れてはいけないのは、彼女たちは決して自ら死を選んだわけではないということだ」


 その言葉に、アリアルは息をつめた。


「彼女たちは、その他の者がそうであるのと同じように、生きることを望んでいた。しかし、それを社会が許さなかった。彼女たちは殺されたんだ。社会という集合意識によって」


「彼女を殺したのは、つまり私か」


「そうでもあるし、違うともいえる。ただ一つ言えるのは、この世界が彼女たちに牙を剥き、彼女たちはそれに抗えなかったということだ」


 エドワードの目は優しかった。だが、その表情は確固たるものだ。


「アリアル卿、いや、アリアル。もしアンタが彼女の死を悼みたいなら、アンタはこの世界を変えるべきだ。そして、アンタにはその力があるはずだ」


 この世界には人権も平等も倫理も存在しない。だからこそ、エドワードは今まさに目の前で覚醒しようとしている男に、希望のようなものが湧いてくるのである。


「君は、手伝ってくれるかい?」


「当然だ。同志・アリアル。社会変革には、仲間が必要だからな」


 そう言ってエドワードははにかんだ。つられるようにしてアリアルにも笑顔が戻った。


 二人は無言で手を取り合った。何かが、生まれたような気がした。


「本当は、この調査が終わったら君を引き抜こうと思っていたんだ。腐敗しきったこの鉄道に、新しい風を入れたくてね」


 アリアルはそんなことを言い出した。


「だが、それはやめておくよ。君はここにきてはだめだ。我々の目指すところは、もっと先でなければならない」


「よく言った! それでこそアリアルだ。我々はどんどん前進するぞ」


「彼女たちを救うことはできなかった。だが、第二、第三の彼女を作らないことだけは出来る。そうだな?」


「そうだ、その通りだ。それが我々が彼女たちにできる、最大にして唯一の弔いだ」


 アリアルはそう言われて、その目の輝きを取り戻した。


「必ず、彼女たちの叫びを無碍にしない。もう二度と、繰り返さない」


 声の震えは、もう収まっていた。










「そうだ、ひとつ忠告しておくことがある」


 別れ際に、アリアルはそんな事を言い出した。


「なんだい?」


「エスパノ家が、君たちに影響を及ぼそうとしている」


 そう言われて、エドワードは顔を曇らせた。


「どういうことだ」


「君の……シ=ク鉄道の支配人、レルフ・マックレーという人物がいるだろう。彼の娘である、マリーヌ・マックレーとの婚姻が画策されている」


「誰と誰が結婚するって?」


 エドワードは聞いたことのない名前と急激な展開に、目を白黒させた。


「レルフ卿は君も知っているだろう?」


「ああ、あの気のいいおっさんだろう。その娘っ子がエスパノ家の誰と結婚するって?」


 そう言うと、アリアルは少し気まずそうな顔をした。


「……私だ」


「で、アンタとその娘っ子が結婚すると、何がどうなる」


「両家は制度上は同格だが、実際上では我が一族の方が優越する。きっと、本家はそれを利用してマックレー家を支配するつもりだ」


 エドワードはそれを聞いて頭がくらくらする思いだ。


「なんだその平安貴族じみた話は。つまりあれかい、スイザラス鉄道がウチのシ=ク鉄道を乗っ取るって言いたいわけか」


「ああそうだ。どうやら本家は、目障りな君をどうしても黙らせたいみたいなんだ」


 ケッ、とエドワードは唾を吐いた。


「俺がそれで黙る節だと持っていることに腹が立つ。で、アンタはそれを断り切れないわけだ」


「すまない。私の立場ではどうしようもなかった。だから、私は君にお願いがある」


 アリアルは真剣に彼の眼を見た。


「負けるなよ」


「お安い御用さ」


 二人はこぶしを軽く突き合せた。それだけで、今は十分だった。

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