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整理番号 新A64:鉄路に臥す(バフロス貨物線脱線事故11)

 アイリーンは、彼の言葉を静かに受け止めてくれた。そして、彼女は口を開く。


「君も、世界線を超えてきたんだね」


 彼女はそう言うと、ありがとう、と言った。


「君の心が泣いている。君の魂が酷く取り乱している。きっと、このことを話すのは、思い起こすのは、並大抵のことではなかっただろう。だから、ありがとう」


 気が付けば、エドワードのダムは決壊していた。一条の光が、彼の両頬を伝う。


「すまないね。ふがいないところを見せた」


「いいさ。むしろ、僕は君がそれを見せてくれたことを、感謝している」


 彼女はそう言って、エドワードの頬を拭った。


「その上で聞きたい。今回の事故に、あれほどまでに固執したのはなぜだい?」


 改めて、アイリーンは問いかけた。エドワードは長くなるが、と前置きをした。


「私は、すべての発端となった金居事故について、一つの観点を見出した。それは、職場の雰囲気というものだ」


「確かに、君はスイザラス鉄道について、いやに雰囲気というものを気にするね」


 その言葉に、エドワードは首肯する。


「事故を起こした運転士は、以前にもミスを犯していた。それは、間違て金居駅に”停車してしまった”というミスだ」


 そういうと、アイリーンは少し意外そうな顔をした後に、なにかを察したような表情になった。


「……まさか」


「そうだ。彼はそのことを深く叱責され、体罰まがいのことまで受けていた」


 故に運転手は、金居駅に停車することを極度に怖がった。それこそ、目の前の信号機が赤を、停止を示していることが目に入らないぐらいに。


「恐れと焦りが、彼の目を濁らせた。ちょうど、先ほどまでの私のようにね」


 エドワードそう自嘲気味にいいながら、話を続ける。


「ミスを許さない姿勢というのは大事だ。なぜなら、鉄道はお客の命と財産を預かっているからだ」


 そう言った後で、彼は逆説の助詞を使った。


「だが、行き過ぎた完璧主義は、新たな事故を誘発する。我々はそれを知らなかった」


「なるほど。例えば、以前に起きたウチの脱線事故のように、一つの小さなミスが命取りになることがある。でも、それを防ごうと現場を締め付けすぎれば、また別の事故が起きる。君が言いたいのはそういうことかい?」


「まさにそうだ。我々は人間に対し、もっと科学的態度をもって接しなければならなかったんだ」


 ただ叱責することは科学的態度ではない、とエドワードは暗に付け加えながらそう言った。


「もっとも、怠惰であるもの、ましてや故意に破壊を企むものに対しては、毅然としなければならない。しかしながら、真面目なるものに関しては、我々はその態度に見合った向き合い方をしなければならなかったんだ」


 彼は強くそう語った。


「そうか。それが、君が前の世界から得たものだったんだね?」


「ああそうだ。だから、私はスイザラス鉄道が許せなかった」


 エドワードはスイザラス鉄道が信じられなかった。ボイラー爆発事故のとき、第三機関区の機関士たちはみな一様になにかに追われているような顔をしていた。

 その表情は、恐怖だった。エドワードは、それがとても気がかりだった。


「あの鉄道には、私が国鉄で感じたものよりも、もっと酷いものを感じる。私は、早くしないと第二第三の事故が起きると考えた」


「それで君は、あそこまで焦っていたわけだね」


「そうだ。早く彼の実態を掴み、そして告発しなければ、皆が危険に曝されると思った。……そしてその結果として、私は真実を見誤った」


 彼はそう言って頭を抱えた。アイリーンはそんな彼にやさしく語りかけた。


「僕も機関士として、あの現場はとても酷いものだとおもった。少なくとも、あそこでは働きたくないと思った。だけれど、事故調査にそんな私情を挟んではいけない。それは、君が教えてくれたことだ」


 彼女はそう言いながら、笑みをこぼした。


「君は、私に言われるまでもなく、気が付いているんじゃないか。なら、何も問題はないさ。さあ、少しばかり遅れてしまったね」


 彼女はエドワードの顔を上げさせると、その目を合わせた。


「”回復運転”と行こう。さあ、動き出すよ」


 その目は、エドワードと、その先にある未来だけを見ていた。エドワードはその想いに、救われた気分だった。










「そう言えば以前、君に約束をしたね」


 アイリーンはそう言うと、楽しそうな顔を見せた。


「君が僕にすべてを話してくれた時、僕は君に全てを話すと」


「ああ、そう言えばそうだったな。君は、いったい何者なんだい?」


 エドワードがそう言うと、彼女は黙って天に向けて手を突き出した。意味が分からず呆けていると、その両手から炎が飛び出した。


 エドワードはびっくりして腰を抜かした。


「僕は魔法の世界からやってきた、魔女さ」


 アイリーンはそんな彼に、まるで何でもないことのようにそう言った。目を回す彼の前で、アイリーンは火をもてあそぶ。


「お前さんも、ダクター、なのか?」


 エドワードがそう言うと、アイリーンは大きくうなづいた。


「そう。僕は君とは違う世界から来たダクター。おどろいたかい?」


 彼女はそう言って、炎を竜のような形にした。それはまるで意志を持っているかのようにうごめく。


「そりゃ驚くさ!」


 エドワードの声に驚きと抗議の色が混じる。彼女はそれを聞いて、笑いながらその炎を消した。


「僕のいた世界では、科学とは想像上のものでしかなかった。僕は、そんな科学に惹かれたんだ。この世界で僕は、ずっと科学を追い求めている。そして、その先に……」


 彼女はエドワードをゆびで指した。


「君がいた。科学の世界から来た君が!」


 彼女は至極嬉しそうにそう語った。エドワードはどう反応していいかわからず、顔を赤らめてしまう。


「僕は感謝しているんだ。君はとても科学的な人だから、君といると科学と触れ合える。だからどうか、これからも僕をそばにおいてほしい」


 彼女は、そう言って笑った。


 エドワードはそんな彼女に頭を下げた。


「こちらこそ、どうかよろしく頼む。この世界に一人でいるのは、案外に心細いんだ」


 エドワードが弱音を吐いた。アイリーンはひどく驚いた。彼は、そんな男には見えなかったのだ。


「世界線を飛び越えるのは、あまりも恐ろしいことだよね」


 この世界で二度目の生を受けた彼女もまた、この世界での人生を謳歌しつつも、心細さと恐怖を感じる一人だった。


 まるで、言葉だけがかろうじて通じる異邦へと、ただ一人でいるような。


 そういう時、たとえ出身は違えども、その者が異邦人であるというだけで、なぜか安心するものだ。と、アイリーンは思う。


「ねえ、エドワード。こっちを向いて」


 彼女はエドワードの顔を自分に向けさせると、その鼻の頭を人差し指でやさしく押した。


「これはちょっとしたおまじないさ」


 彼女はそう言うと、鼻の頭を二回ちょんちょんとした。


「なんのおまじないだい?」


「君がいつか、瑠璃という人ともう一度巡り合えるように、っていう、ちょっとした魔法さ」


 彼女はそう言って笑った。


「僕は君が正しい道を歩んでいるかどうかは知らないしわからないよ。けれども、こうすれば君は、いずれ彼女と巡り合うことができる」


 そう思えば、もう二度と見失わないだろう。と、アイリーンは言った。


「アブラカタブラ、ちちんぷいぷいおまじないってか」


 エドワードはそう言った後で、アイリーンに向かって深々と頭を下げた。


「ありがとう」


 そんな彼の頭の中で、シグナレスの言葉が繰り返される。


―――自信を、そして自身を見失わないこと―――


「ああ、もう見失わないさ」


 彼の眼は、もう未来を見ていた。

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