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整理番号 新A53:トレビン信号所正面衝突事故(4)

「驚いたよ。まさかあなたが、あそこまで情熱的なんて」


 シグナレスは夕食をつつきながらそんなことを口にした。


「そりゃ、どうも」


 エドワードは少しだけ照れ気味にそう言葉を返す。そんな様子を見て、シグナレスは笑った。


「しかし、君をあそこまでさせたのは、一体どんな理由なのかな?」


 エドワードはフォークのような食器を置いて押し黙った。それを見たシグナレスが少し心配そうな顔をしたが、彼はその顔に語り掛ける。


「ガキの頃、戦争で父と兄姉(けいし)を亡くしてね」


 彼はそう言うと、酒を呷るように呑み込んだ。


「運よく生き延びた母も、それからしばらくして亡くなったよ。彼らを見てると、とても他人事には思えんのだ」


 生きていてはいけない人間。彼らの口から出たその言葉は、かつて御岳の口から漏れた言葉と同じだった。


「彼らにしてみれば、自分に注がれる視線が、言葉が、そしてともすれば憐憫の感情すらも、心身を切り刻む凶器にしかならんのだ」


 彼のこぶしは固かった。握られたパンが形を崩していく。


「苦労、したんだね」


 その言葉に、エドワードは首を振る。


「俺よりもっと苦労した奴がいた。息子を亡くした先輩、大陸から引き揚げてきた先輩、生まれたときにはもう両親とも鬼籍に入っていた奴。あの時代には、いろんな奴がいた」


 だから、俺の労苦なんてまだマシな方だ、と彼は言う。


「それでも、あなたは苦しかったんでしょう?」


 彼女は優しく、エドワードの手にてのひらを重ねた。


「……。混乱のさなかにいるときは、あまり苦しくないのさ。それでも、ふと頭が冷えたときに、悪夢を見る」


 エドワードは彼女のてのひらの中でこぶしを握った。


「それでも、俺にはあいつが居た。だから、そこまで苦しくはなかったさ。……あいつが居てくれたときは」


 妻、瑠璃の事が頭をよぎる。子宝には恵まれなかったが、彼女との日々はエドワードにとって幸せな思い出である。少なくとも、エドワードにとっては、そうなのである。


 だからこそ、後悔が先に立つ。


「あいつ、って奥様のこと?」


 シグナレスの言葉に、エドワードは首肯で答えた。


「やさしい人だった。モネの絵の中にあるような、透き通った存在だった。私が夢にうなされた時でも、起きれば隣に笑顔のあいつがいた。だから私は、走ってこれたんだ」


 握ったこぶしの中で、自分の爪が掌に突き刺さる。


「そんな彼女を死なせたのは、私だ」


 エドワードがたった一つ、前世に悔いがあるとすれば、それはまぎれもなく瑠璃の事であった。


「自身を、そして自信を失わないこと」


 思いつめるエドワードの頬を、彼女は人差し指と親指で摘まみ上げた。


 その指を離すと、彼女は言う。


「後悔に呑まれてはダメ。彼女に、償いに生まれたんでしょう?」


 シグナレスの表情は柔らかかった。彼女はエドワードを、いつくしむような微笑みで見つめていた。


 エドワードは、ただうなづいた。




「それにしても、あなたの活躍はなかなかのものね」


 シグナレスはそんな彼を見て話を変えた。その瞬間、少しホッとした雰囲気を醸し出したエドワードの態度を、彼女は見逃さなかったが。


「そうかい? まだなにも出来てはいないよ」


「そんなことはないわ。バラック線では、ここ最近目立った事故は起きていないそうよ」


「そりゃあ、俺が教え込んでやったからな」


 あの日以来、エドワードはバラック線の連中に指導を繰り返していた。その効果はすさまじく、全員がきちんと働くようになった。

 乗務中どころか、乗務前後の飲酒まで、彼らは控えるようになった。決められた手順を、しっかり守るようになった。管理棟や貨車は、しっかり修理された。


「ねえ、一体彼らに何を言ったの?」


 シグナレスは興味が湧いて仕方がないという顔だ。その顔に、エドワードは淡々と答える。


「安全の確保は、輸送の生命である

 規定の遵守は、安全の基礎である

 執務の厳正は、安全の要件である」


 はい、繰り返して、とエドワードはいう。


「え? えっと、安全の確保は……」


 シグナレスはそれをおうむ返しに繰り返した。


「これは、俺の国における鉄道の基礎だ」


 昭和26年7月2日運輸省令第55号「運転の安全の確保に関する省令」。これは、戦後混乱期に多発した鉄道事故や、または同年に発生した金居事故を契機に制定された省令である。


 そしてこの省令の第二条(規範)は「安全綱領」と称される。これは、日本国のすべての鉄道の鉄道員が準じるべき規範とされた。


「君のいた世界では、事故は減ったかい?」


 シグナレスはそう言った。その言葉に、エドワードは頷く。


「確かに減ったさ」


 エドワードの脳裏には、この条文が制定される契機となった金居事故の事が頭にあった。


 国鉄三大事故と呼ばれた、凄惨な事故だった。エドワードはあの事故のことを、鮮明に覚えている。


 エドワードは、もう一度、口を開いた。


「……ああ、確かに、少しはマシな世界になったさ」


 国鉄は、昭和48年に発生した大和本線平部駅脱線事故以来、エドワードの知る限りでは死亡事故を起こしていない。

 エドワードはそれを、徹底的な安全姿勢の賜物だと評価する。


 もちろん、彼はそう言った後で、俺の死んだあとは知らないがね、と付け加えた。


「それが、あなたの活動につながるのね」


 シグナレスは感心したように言う。


「原因を見つけるだけでなく、どうやったらそれは改善されるか、までをしっかりと見極める。それがあなたの言う、ジコチョウなのかな?」


「事故調査は、事故の原因を特定するとともに、事故の再発防止を企図して行われる。いくら事故原因を洗い出したところで、事故が再び起こったら意味がないんだ」


 彼の言葉は力強かった。


「だいじょうぶ。あなたの道は、間違ってないよ」


 シグナレスはそう言って、彼の頭を優しくなでた。











 エスは拠点に資料を抱えて帰ってきた。


「今回もお手柄やったらしいやんか? 知らんけど」


 ヒサがそう言うと、エスはおどけたような声を出した。


「まるで学校大戦争かと思いましたよ。ほら、あのラグビードラマの」


 エスがそう言うと、カイトが声を明るくする。


「ああ、僕ら世代でいうと、極道せんせーみたいなやつですよね」


「お、懐かしいなあ」


 エスはそう言って笑顔を見せた。


「面白そうな話だな。私は一個も分からんが……」


「ああそっか、シンさんは世代じゃないですもんね」


 その一方でシンと呼ばれた男は当惑した表情を浮かべていた。


「シンさんの時代は、ドラマとか無かったんですか?」


「記憶にないなあ。あまりそう言うのは興味が無かったものだから」


 彼は手をひらひらさせてそう答えた。


「しかし、あの男はすさまじいな」


 シンは一人、資料を見ながらつぶやいた。


「事故の原因を指摘するだけでなく、改善の方向性までを指摘する。お手本のような事故調査だ」


「彼がいつ死んだかは知りませんが、もう少し長く、そして表舞台で活躍してくれていたら、あの国はもうちょっと事故が少なかったでしょうね」


 エスは少しだけ、悔しそうにそう言った。


「ことにあの国の事故調査は、責任の所在を見つけてそれをなじる事に重きが置かれすぎる。いやはや、本当に彼は惜しい人材だよ」


「ほんまやねぇ」


 ヒサも資料を広げながら同じことをつぶやく。


「ま、優秀な人材が一人おっても、世界はそう変わらん」


「英雄譚はいつも虚構であるか空虚なものです」


 カイトはそう答える。


「君は若いのに、ずいぶんと達観しているんだな」


「いえ、希望のない時代に生まれただけですよ」


 彼はそう言ってうつろな笑みを浮かべた。


「彼はいったい、どこでどんな時代に生まれた人間なんだろうな」


 シンはカイトの顔を見て、そんなことを言い出した。


「俄然、興味が湧いてきたね」


「そろそろ、接触しますか?」


「その日も近いだろう」


 暗闇の中で、シンは秘かに笑みを浮かべる。










 エドワードの所業により、事故は確実に減りつつあった。その結果に、エドワードは多少なりとも満足していた。


 だが、そんなエドワードの笑みを凍らせる、とんでもない大事故が起きる。




 雨季の雨が社会を濡らし始めてからしばらくたち、もうすぐでそれも明けようかという頃。突如として、帝都を轟音が襲った。


 爆発だ。それも大きな爆発だった。


 爆心地から出る煙は、その爆発の大きさを物語っていた。そして同時に、エドワードに待ち受ける運命の過酷さも、指し示していた。

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