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整理番号 新A52:トレビン信号所正面衝突事故(3)

 男庭努という男は、なかなかに気難しい男だった。


 戦後直後の不安定な時代に生まれた子供である。親が軍人だったのも災いしてか、親戚一同を含め様々な者たちからひどい仕打ちを受けて育った。


 母親は、病気で早くに死んだ。親父は内地で戦死している。育ての親は、祖母ただ一人だった。


 そんな出自もあってか、彼はとても気性が難しかった。決して荒かったわけではない。だが、どこか厭世の感を出しながら、どんなことにも無関心だった。


 一度、なぜそんなにやる気が無いのか、問いただしたことがある。


 ローカル線の乗務を終え、蝉時雨降る田舎駅で二人して弁当を食べていた時だ。


 彼は、その身の上を淡々とるるって聴かせた。その言葉に抑揚はなく、感情もなかった。だが、その話の最後に、彼はこう付け加えた。


「ね、これでアンタも、俺の事をそういう目で見るんでしょう?」


 彼はそう言って、冷めた目でこちらを見つめてきた。



 次の瞬間、御岳篤志は彼の胸倉をつかんだ。彼の人生で初めて、そして最後に、弟子に手を挙げた瞬間である。










 まるで、その目は男庭を見ているようだった。


 翌日、エドワードの姿はバラック線の終点であるバラック駅にあった。ここは、バラック線の運行を掌握している運行管理部がある。


 いざ、当地に降り立ってみると、そこは荒れ放題のスラムだった。建物の窓ガラスは割れ、倒壊しかけている建物もある。

 壊れた貨車がそこら中に転がり、機関車が横倒しになっている。


 そしてなにより、この地にたどり着いた瞬間から、その場にいる全員がこちらのことを睨みつけていた。

 その目に、かつての愛弟子のまなざしを重ね合わせてしまう。


 エドワードの腹の中には、怒りよりもむしろ、悲しさと悔しさがあった。


―――人間はなぜ、異邦においても、こうなんだ!―――


 地団太を踏みたい思いをぐっとこらえて、エドワードは一歩を踏み出した。


「貴族サマが何の用だ」


 一人の男がエドワードにそう声をかけた。彼は明らかにケンカ腰で、エドワードを敵視していた。そんな彼にもひるむことなく、エドワードは堂々と彼に答える。


「俺はエドワード。先日の事故を調査しに来た」


 それを聞いた彼は半笑いでエドワードに詰め寄る。


「ようこそ、バラック・ターミナルへ。掃き溜めに真実をお探しのブルジョア様?」


 彼はそう言って一人の男を手招きした。その男は自分をトムと名乗った。


「事故の調査? なんだい、俺らに説教しようとしてんのかい?」


 トムが酒臭い口でそう言うと、後ろの男たちが笑いながら身構えた。その手には、見えないように武器が握られている。

 トムだけはその武器を隠すことなく、まるで見せびらかすようにちらつかせながら、エドワードに詰め寄った。


「ここはこの世にいちゃいけない人間の集まる場所だ。誰がどこでどう死のうが、アンタら貴族には関係ない。とっとと失せな」


 その言葉を聞いて、エドワードの心臓の鼓動が加速する。


―――俺は、生まれてきちゃいけなかった人間なんですよ、御岳センセ―――


 かつての男庭の言葉が頭の中で跳ね返る。エドワードはトムの目を見据える。彼はあの時の男庭と同じ、あきらめたようなすさんだ目をしている。


「ホラ、あんただって、本当はそう思ってんだろう? エドワード”卿”」


 エドワードは次の瞬間、トムを殴り飛ばした。


「べらぼうめ!」


 トムは突然のことに驚き体勢を崩した。エドワードはそんな彼に更に詰め寄る。


「俺の目を見ろ!」


 エドワードは彼の胸倉を掴む。それだけではおさまらず、彼のおでこにまるで頭突きの用にして自分のひたいを付き合わせた。


「俺は、俺の目は、お前たちをバカにした野郎と同じ目をしてるか、え?」


 エドワードは強く歯ぎしりをしながら更に言い募る。


「俺が今、なんでお前に怒っているかわかるか?」


「孤児の俺へのあてつけだろう!」


「馬鹿野郎!」


 エドワードはもう一回彼を殴った。


「俺は、お前が孤児だから怒ってるんじゃない。お前が、不安全行動をとっているからだ!」


「うそだ!」


「ウソじゃない!」


 エドワードは声をからしながら叫ぶ。


「俺は、お前がたとえ貴族だとしても、皇帝だとしても、女だとしても殴るぞ」


 かすれた声で、そう語りかける。その言葉は周囲の人間の心を確かに動かしつつあった。だが、トムはまだ抵抗を続ける。


「綺麗ごとを言うな!」


 彼はそう言うと、エドワードののど元に刃物を突きつけた。エドワードの隣にいたアイリーンが、手を出そうと身構えた。


 だが、エドワードはそれを手で制す。そして次の瞬間、エドワードはその刃を素手で掴んだ。


「おまえ、バカっ……」


 トムの驚愕の声とともに、エドワードの手から血がしたたり落ちる。だが、エドワードそれを気にも留めない。


「この程度の痛み、”俺たち”が受けてきた痛みに比べれば、どうってことないハズだ」


 エドワードはそう言いながら、その刃を取り上げて投げ捨てた。


「いいか、よく聞きなさい。俺はお前たちの不安全行動に対して怒っている。不安全行動とはすなわち、飲酒運転だ。これを機に、もうやめなさい」


 エドワードは静かに、言い聞かせるようにしてそんな文句を垂れた。


「……うるせぇ、俺たちの命なんて、どうだっていいと思ってるくせに!」


 そう言う彼の声は震えていた。エドワードはもう一度彼の胸倉をつかんで叫ぶ。


「すべての者は、法の下に平等であって、いかなる事情があったとしても、それを理由に差別されない!」


 彼はそう言って、血に濡れた掌で大きく平手打ちした。


「それが俺の信念だ! この信念をジャマする奴は、それがたとえレルフの親父だろうと、シグナレスだろうと、皇帝婦人だろうと、それこそお前らだろうと決して容赦しない! 全員まとめてぶん殴ってやるから、文句がある奴は全員前に出ろ!」


 エドワードはそう言って彼を解放した。


「どうだ、文句がある奴はいるか?」


 代わりに、後ろで控えていた連中にエドワードは語りかける。そのうちの一人が、目に一杯の涙を溜めながら聞いてきた。


「なんでアンタは、そこまでしてくれるんだ?」


 エドワードは、そう問うてきた男の肩をしっかりつかんで、目を合わせた。そしてしっかりとした言葉を紡ぐ。


「俺たち、同じ釜の飯を食わずとも、同じ鉄道で釜を動かしている者同士じゃないか。そう言うのを、仲間というんだろう」


 彼にそう言葉をかけて、エドワード辺りを見渡してこう言い放つ。


「・安全の確保は、輸送の生命である

 ・規定の遵守は、安全の基礎である

 ・執務の厳正は、安全の要件である」


 エドワードはそう言った後で、彼の胸倉をつかむ。


「これが鉄道の全てだ。お前たちには、このすべてが欠落している。そして特に、『執務の厳正は、安全の要件である』これが決定的に欠如している」


 エドワードの大声に、彼は徐々に背筋を正していく。


「いいかよく聞け。俺はお前たちが、今言った三つを完全に守る以上、俺はぜったいにお前たちを軽蔑しない。もし、お前たちを軽蔑する奴がいれば、俺がすぐに行ってそいつを殴ってやる」


 バラック管理部の全員が、そこには集まっていた。そして、全員が背筋を伸ばし、エドワードの話に耳を傾けていた。そして皆が、その言葉に涙を流している。


「この三つを、お前たちは守れるか?」


 エドワードはトムに問いかけた。彼は小さくうなづいた。


「声が小さい! できるか?」


「はい、できます!」


 トムは顔をぐちゃぐちゃにしながらそう叫んだ。


「忘れるな。俺たちは鉄の絆で結ばれている。お前たちの誰かに危機が迫れば、それはすなわちこの鉄道全員の危機だ。誰一人として、見捨てることは許さない」


 エドワードの言葉とともに、トムは崩れた。その姿に、かつての男庭の姿を思い浮かべる。











「馬鹿野郎! 同じ釜の飯を食って、同じ釜を動かしてるお前を、俺がそんな風に思っていると、お前はそう思っているのか!」


 御岳篤志はあの時、男庭に同じ言葉をかけた。それは、男庭の口からそんな言葉が出たことが、たまらなく悔しかったからだ。


「覚えておけ。お前は俺の弟子だ。その関係はたとえお前が独り立ちしようとも、鉄道をやめようとも、お前か俺のどちらかが死んでも変わらん! お前は俺の家族だ!」


 その時、男庭の目に初めて涙が浮かんだ。それから彼は乗務の時間が来るまでで、彼の制服に顔を擦り付けてずっとワンワンと泣き続けていた。


―――素直で正直な、いい子じゃないか―――


 御岳は、そう思ったことを今でも覚えている。それと同時に、そんな彼をここまで苦しめた社会が、たまらなく許せなかった。




 次の日から、男庭は御岳のいうことをよく聞くようになった。

 それからも御岳は男庭に厳しいことも言ったし、きついことも命じたが、だがそれでも男庭はついてきた。

 気が付けば、機関助士としても機関士としても、男庭は御岳よりうまく事をこなすようになっていった。ついには、御岳は男庭に何もいうことができなくなってしまった。


 だがそれでも男庭はついてきた。


 そこには、もう国鉄イチの不良と呼ばれた男の姿は、無かった。

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