整理番号 新A41:開拓列車脱線事故(協力者聴取)
男はエスと名乗った。聞くところによると、帝都で瓦版を売っている記者だという。
「なんでい、本当にブンヤかい?」
「ああそうさ。そうは見えないかい?」
腰安めに入った近くの喫茶で、エスは安物のペンをくるくると回しながらそういった。
「そりゃあ見えないさ。さっきの大立ち回りは、素人のそれじゃないだろう?」
アイリーンが思わずそう言ってしまう。それを言わずに入れないほど、彼の武術は素晴らしいものだったと、エドワードも思う。
「あー、まあ、昔はほかの国で軍人をやっていてね。その時の名残さ」
「軍人? どこの国さ」
「あー、東の方の小さな国さ」
「ふーん」
アイリーンはなんだか怪しんでいた。が、エスはその話を強引に打ち切ると、本題に入った。
「あなたたちの話は聞いている。エルケ鉄道支配人に依頼され、事故調査を行っている。相違ないか?」
「問題ない。そういうあなたは?」
「失礼。私は記者として、エルケ鉄道支配人のご令嬢、リリーシから依頼を受けてこの事故を調査している」
エスはそういいながら自分の手帳を広げた。
「どうだろう? 情報交換がしたい」
彼はそういった。だが、それに対しエドワードは少しだけ苦い顔をした。
「助けてくれたことは感謝している。……だが、調査中の事項についてブンヤに漏らす、というのは、いささか問題があろう」
調査の方向性や今までつかんでいる情報、などが漏れてしまった場合、もしこの事故について何かを捏造したい、隠ぺいしたい者が存在した場合、工作を行える余地を作ってしまうことになる。
エドワードは、どうもきな臭いこの事故についてそれをするのを嫌がった。
さらに言えば、エスの依頼人は事故後から様子がおかしいとユミスが語っていた娘である。何を企んでいるか、エドワードには想像がつかない。
という懸念を察し取ったのか、エスは「それはごもっともなご意見だ」と言って自分の手帳の一部を切り取った。そして、それをエドワードに渡した。
「先ず隗より始めよ、だね。オーケー、まずは私から。今までこちらでつかんだ情報でいえば、事故当該の客車だけでなく、この鉄道で使用されている客車はそのほとんどがオンボロさ」
エドワードはその手帳を中身を見て仰天した。そこには、エルケ鉄道鉄道の車両についての詳細な情報が記してあったのだ。
「すごいなこれは。こんな詳細な記録、どこで」
「ま、昔ちょっとね」
エスはそう言って不敵に笑った。エドワードはそれをしげしげと眺めていたが、そのうちにあることに気が付く。
「なあ、検査の記録はないかい?」
通常、鉄道車両は周期的に検査を行う。それは自動車の車検とほぼ同じ概念だ。
もっとも、自動車の車検よりかは数段厳しく規定されており、消耗品の交換頻度なども定められている。
そして、検査に関する記録というのも、もちろん厳密に行われるはずである。
だが、目の前の情報にはその記録が無かった。
「この世界には検査に関する規定はないんだ、エドワード」
アイリーンは不思議がるエドワードにそっとそう耳打ちした。それと同時に、エスが口を開く。
「どこをどう探しても、検査に関する記録が無い。それが、私がこれまでつかんだ事実だ。どうかな、私は信ずるに値するかい?」
存在するべき情報が無い、というのは、ある意味でとても貴重な証拠である。
そして、エスはそのことをよく理解しているように見えた。エドワードは少しの間だけ逡巡した後、まるでエスを試すような口ぶりで話はじめる。
「論点を整理しよう。事故現場の検証を行った結果、事故の発生要因は、ブレーキが作動しなかった事によるものと推定される。そして、ブレーキが作動しなかった要因については以下の通り推測される。
1:運転士の不注意により、ブレーキをかけ損ねた
2:何らかの物理的要因により、ブレーキが効かなかった
この二つである」
エスはふんふんと話を聞いていた。そして即座に、こう切り返した。
「じゃあ、まず考えるべきは二番目の可能性。つまり、ブレーキの故障についてだね」
あまりにも簡単にそういうものだから、エドワードは少しだけ噛みついてみた。
「なぜ、そう思う?」
「運転台は通常、二人一組で運転にあたるものと聞いている。ということは、運転士が何らかの理由でブレーキをかけそこなっても、もう一人が何とかするだろうからね。もっとも、そうはならなかった可能性が無きにしも非ず……だけれども、その調査はあとでいい」
彼はさらっとそう答えた。
―――素人にしちゃあ満点の回答だ。なかなかやるぞ、こいつ―――
エドワードは不遜にもそんな事を考えながら、鷹揚に頷いて見せた。そして、エスに自分の手帳を開いて見せた。
「その通り。というわけで我々もまずは機械的故障から調べている。エスさん、ブレーキの機械的故障と聞いて思い当たるのは?」
「フェード現象、ハイドロプレーニング現象……。あとはべーパーロック現象……、は違うか」
彼は何か思い出したのか、最後の発言を取り消した。エドワードはえらく満足げだ。
「結構。しかし、どちらも現場検証から原因としては外された」
エドワードは手帳の一部を見せる。そこには、事故当時の気象や事故後のブレーキの状態などが記されていた。
「なるほど、これらの現象が発生した痕跡は見当たらなかった……。となると、事故原因はそもそもとしてブレーキが動作しなかった……?」
エスは自力で問題の核心に迫った。エドワードは諸手を挙げる。
「そう、その通り。では、なぜブレーキが動作しなかったか、という問題になる」
そして、ここまでがエドワード達が至ったところだった。それ以上のことは、まだエドワードにとっても推論の域を出ていない。
そう素直に告げると、エスは大変満足げな顔になった。
「やはり、情報を共有出来てよかった。ちなみにだが、現時点ではどのように考えている?」
「ブレーキが動作しなかった、ということは、自動車でいえば油圧ブレーキにおける油圧漏れ、つまり、鉄道車両においてはブレーキを司る空気が漏れていたことが原因だと考えられる」
鉄道のブレーキは、空気の力で動作するものがほとんどである。空気圧でブレーキを押し当てたり、逆に真空の力で(外気圧の力で)引っ張ってみたり。ともかく、確実に空気の力を使用する。
では、その空気を運ぶ管なりが破損してしまったら?
まるでのどに穴が開いたがごとく、吸っても吐いても空気はその穴から漏れてしまい、ブレーキはうんともすんとも言わなくなってしまう。
「しかし、ブレーキそのものの故障ということは考えられないのかい?」
しかし、エスはエドワードの推理にこう食い下がった。エドワードは深くうなづく。
「そう、その可能性も残されている。例えば、空気の力を制輪子に伝える部品、ブレーキロッドが折れてしまった、という可能性も捨てきれない」
空気をやり取りする機構が無事であっても、もしブレーキそのものが破損していたら話にならない。そして、その二つは果たして見分けがつくのだろうか。エスはそれを懸念した。
「それをどう見分ける?」
しかしエドワードは、その懸念を一蹴した。
「簡単な事さ。生存者から話を聞いて、事故の様子についていくつか問い合わせればわかるはずだ」
そういうと、エスは顔を輝かせた。
「なら話は早い。事故列車の車掌が生還したから、ちょいと話を聞いてみよう、何かわかるかもしれん」
アイリーンはそう勢い込む二人を見て、ただただ呆れたように肩をすくめた。




