整理番号 新A04:ダクター
彼女はどうも荷馬車を待たせていたようで、御岳はその荷馬車に連れ込まれた。御岳は人身売買でもされるのかと身構えたが、シグナレスはそんな心配を笑い飛ばしながら御岳にボロ布の服を着せた。
荷馬車が再び動き出すと、シグナレスは興味津々という顔で矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。
「ねえ、あなた。死んだと思ったらここに飛ばされてきた、と言ったわよね」
「ああ、そうだ。何が何だかさっぱりだ」
「じゃあこの紙を見てくれる?」
シグナレスは御岳に紙きれをみせた。そこには、見たこともない文字でなにやら文章が書いてあった。御岳はその文章の意味が、文字の意味すら分からないのにわかってしまう気がした。
「なんて書いてあるかしら?」
「この文字が読めますか……と読める気がするのだが、私はこの文字を知らんのだ」
「文字を全く知らないのに、読める?」
「ああ。何を言っているのかわからんと思うが……」
混乱しながら紙きれから目線を上げると、シグナレスは御岳の目をじっと見据えていた。
「やっぱり。私の見込んだ通り、あなたはダクターね」
「ダクター?」
聞きなじみのない単語が聞こえ、御岳はつい聞き返した。
「ええ。ダクター。この世界ではあなたのような人のことをそう呼ぶの」
「私のような人って……。どういうモンだい、そりゃあ」
御岳が問うと、シグナレスは少し困ったような顔をした。
「あまり正確な表現ではないけれど……。近いものと言えば、輪廻転生をしてきたという表現が一番近いかも……」
「輪廻転生? ここにも仏教はあるのか?」
聞きなじみのある言葉を聞いて、御岳は色めきだった。だが、シグナレスの表情は芳しくなかった。
「ブッキョウ? それはなあに?」
彼女の反応を見て、御岳は落ち着きを取り戻した。そして、目の前の彼女が仏教徒であるわけが無かろうと、そう勝手に決めつけた。
「ともかく、あなたは他の世界からやってきたダクター呼ばれる者。そして、私たちはあなたのようなダクターを保護する使命があるわ」
「言っている意味がよくわからんな……」
「無理もないわ。あとでいくらでも説明してあげる」
違う世界にやってきた? 私は畜生道にでも飛ばされたのだろうか。
それともなにか、別の論理があるのか。
ぼんやり仏教徒の御岳にはもう何が何だかわからない。御岳はこの先の命運の全てを、目の前の女シグナレスに任せることにした。
「ひとつ、聞いてもいいかい?」
「ええ、どうぞ」
御岳は荷馬車の幌の隙間から外の景色を見ながら、力なく問いかけた。外には、あからさまに西洋風、詳しく言えばイギリス積みのレンガ造り家屋が見える。
「ここは、なんてところだい」
シグナレスは自信たっぷりに答えた。
「ここはサンロード皇国。太陽と貿易の国よ」
御岳にとって聞いたことのない国名だ。
御岳は大学はおろか(新制・旧制)高校にも通っていない。よくそのことを大卒の人間に馬鹿にされたものだ。
だが御岳は運動で交流した大学生活動家などからいろんなことを学び、それなりの知識はあった。もちろん、交通に関することなら大学生も専門家も舌を巻くほどの知識と経験、そして思考があることを自負していた。
そんな御岳の頭の中の辞書が、そんな名前の国は地球上に存在しないはずだと告げている。
「ああ、そうか。私は本当に違う世界に迷い込んだのだな」
「理解が早くて助かるわ」
流れる景色の奥に、明らかに人間には見えない恰好をした男が近くの人間と普通に会話を交わしていた。御岳は、その事実をゆっくりと受け止めることにした。
「さあ、そろそろ着くわ。着いたら汗を流してちょうだい」
そう言われて前を見ると、なにやら大きな屋敷が見えた。御岳はその立派さに驚いてしまった。
「なに。さてはブルジョアだな?」
「あら、お嫌い?」
「私が元居た世界には、あまり良い奴はいなかった」
御岳は憎々し気に答える。前に居た従者らしき男は、それを聞いて苦笑いをしていた。
荷馬車はいよいよ屋敷の中に入っていった。すると、なにやら煙の上がっている場所があった。屋敷の一角が、明らかに煙突から煙を吐いていた。
それに気を取られていると、荷馬車が停まった。御岳は従者に促されて荷馬車から降りた。
その時、御岳の耳に怒鳴り声が飛び込んできた。
「バカヤロウ! 何度言ったらわかるんだ!」
驚いて声がした方を見ると、一人の男が大男に殴り飛ばされていた。その男は手にスコップを持っていて、あたりにはなにやら石のようなものが散らかっていた。
「まったく、ゲラルドはまたあんなことを……」
シグナレスが呟く。御岳は静かにシグナレスを問い質した。
「なあ、あれはお湯か何かを沸かしているのか? あの男は火夫かなにかか?」
「ええ、よくわかったわね……。って、ちょっと!」
シグナレスの返事を聞いた瞬間、御岳の頭が沸騰した。気が付いたら御岳は走り出していた。
御岳は、目の前の光景が許せなかった。背後から追いかけてくるシグナレスの声をものともせず、御岳は走り、そして大男の横っ面を殴り飛ばした。
「おいてめぇ、何をしやがる!」
吹き飛ばされた大男の怒号が響く。御岳は真っ赤な顔で、大男に立ち向かっていった。
「なんてことしやがる……この野郎!」
シグナレスも従者も、そして殴り飛ばされた大男すらも、何が起きたのかわからない。その中で御岳はただ一人、怒りの炎を燃やしていた。




