整理番号 新A29:スイザラス鉄道ボイラー爆発事故(現場検分)
「最後の謎。それは缶水だ」
エドワードがそう言うと、ミヤは証言録を見ずにこう答えた。
「証言によればこうです。爆発直前、つまりダッシー駅通過直後には缶水の量は八分目だったと。これが最後の謎ですね?」
「ありがとうミヤ。まさにその通りだ」
エドワードは事故発生地点まで歩く。そして、そこからダッシー駅の方を睨んだ。両地点の間は、そこまで離れているようには見えなかった。
「汽車に乗った体感では、ダッシー駅から事故発生地点まで、おおよそ一分もかからなかった。つまり、事故発生前の一分前には少なくとも水面計は八分目を示していたことになる」
そして、それは決して危険水域ではない、とエドワードは加えた。
「さすがに、その証言はウソなんじゃないかな」
それに対し、アイリーンは露骨に証言を疑う姿勢を見せた。それは証言を記憶しているミヤも同じで、コロコロと変わる証言の内容に不信感を抱いているようだった。
「私も、そう思います。なんだかあの人たち、変でした」
「ハハッ。ミヤにもそう言わせるとは、彼らもなかなかだな」
思わず、エドワードは笑ってしまった。まさか、人を疑うということを知らなさそうなミヤからそんな言葉が出るとは思わなかったからだ。
「だが、彼らの言葉を信じてみるとすると、どうだろう?」
「それはつまり、水面計がウソをついていたということになるね」
アイリーンはそういいながら不満げだった。鍛冶士であり、すなわち機関車を整備する女工である彼女からしてみれば、計器や機関車そのものへの疑義は耐えがたいものがあるだろう。と、エドワードは考えた。
「そうだね。では、水面計がウソをつくとは、どういう状況だろう?」
だが、エドワードはそこで引かなかった。アイリーンに、一つの疑問を問いかける。
「それは……、水面計が故障していたということかい?」
その答えに、エドワードは少しだけ微妙な顔をした。その顔は、遠からずとも近かからず、といった顔だった。
「なんだい、その顔は。勿体ぶらずに教えてくれよ」
アイリーンは抗議の声を上げる。エドワードは、わかったわかったと手を広げた。
「水面計が示している水面とは、どの水面だろう?」
「それは……。ボイラーのうち、一番運転台に近いところの……」
「そう。運転士から見て一番手前にあるところの水面だ。これは、水面計が水圧と蒸気圧のつり合いで水面を表示していることからも明らかだ」
アイリーンは先を促すようにエドワードの眼をまっすぐ見据えた。そんな彼女に、エドワードは新たな問いを投げる。
「では、水面はボイラー内において、常に一定だろうか?」
「……どういうことだい?」
わからない、という表情の彼女に、エドワードはにやりと笑った。そして人差し指を立てて、ここが今日の最大の問題だ、と言い放った。
「例えば、水面計=ボイラー手前の水面が仮に九分目のところにあったとしよう。では、この時、ボイラー内の水面高さは必ず均一に九分目であろうか?」
「……あれ? どうなんだろう」
アイリーンはしばし考えた末に、眼を大きく見開いた。
「いや、そうはならない。まさか……!」
ぽかんとしているミヤに、エドワードは易しく言い換えてあげた。
「水の入ったコップを想像してごらん」
ミヤは、手の中に架空のコップを作り出し、頭の中でそれに水を入れる。
「それを傾けてみたら?」
ミヤは言われた通りにコップを傾ける。すると、コップのフチと水面は、必ずしも並行では無くなってしまった。
「これと同じことが、ボイラーの中で起きたんだ。見てみろ」
エドワードが指をさしたのは、ダッシー駅から事故現場に至るまでの線路だった。
「この場所の勾配はかなり急だ。このような勾配を機関車が通過するとき、ボイラー内の水は前後どちらかに偏ることになる」
つまり、コップが傾いた時と同じ状況が発生しているというわけだよ。と、アイリーンが付け加えた。
「すると、ボイラーの中で、水の量が多いところと少ないところが生まれてしまう。そして今回の事故では、水が多い方が運転台側で、水が少ない方が客車側だった」
そこまで言って、ミヤは合点が行ったとばかりに膝を打った。
「わかりました! 運転台側の水面高さを示す水面計では、奥の方の水面高さがわからない。水面計ではきちんと水量があるように見えて、実は奥の方の水面はずっと低かったんですね」
エドワードは、満点! とばかりに大きく両手で丸を作った。
「この勾配で七分目だと、完全に露出していた可能性すらある。それに、ダッシー駅を含め、マーシー駅からこの先コクト駅までは、長い長い下り勾配だ。缶水と水面計の異変に気が付かなかったとしてもおかしくはない」
「じゃあ、この事故は……」
そう聞かれて、エドワードは目を瞑った。
「不幸が重なった偶然。そう思うかい?」
アイリーンは、そう言いかけた口をつぐんだ。先にその言葉を言ったエドワードの眼が、今まで見たことが無いほどに険しく、そして哀しそうだったからだ。
「事故は偶然の産物ではない。怠慢、見落とし、認識不足。なんらかの連鎖的な出来事の結果でしかない。そこには、不幸も偶然もないんだ」
エドワードの言葉は、重かった。それは事故を追い続けた人間として、そして事故を起こしてしまった人間としての、言葉だった。
「この事故を防ぐ方法はたくさんあった。だが、その全ては見過ごされた。その結果がこれだ。これは、防げなかった事故じゃない。防がなかった事故だ」
「だけれど、乗務員には防ぎようが……!」
アイリーンは抗議する。機関士でもある彼女にとって、こんな状況下で乗務員が責め立てられていることに、納得がいかなかった。
エドワードはその言葉を途中で遮った。
「それもまた真実だ、アイリーン。この事故は、機関助士の責任じゃない。そして当然、機関士の責任でもない。彼らは、防ぐ手立てを持っていなかった」
彼らが最後にマーシー駅を出発したその瞬間、列車は事故を運命づけられていた。エドワードはそう結論付ける。
ミヤはその言葉を、ノートに記した。
「しかし……」
アイリーンはエドワードの顔を見てため息をつく。
「君には、なんでもお見通しのようだね」
ちょっとの羨望と、そしてある種の諦観をないまぜにしたような彼女の嘆息に、エドワードは涼しい顔で何のことは無いと答えた。
「俺の国の先人たちが以前に全て研究しつくした事を、俺はただ偉そうに垂れているだけにすぎん。俺の国は偉大ではなかったが、俺の先輩たちは、とんでもなく偉大だった。それだけさ」
エドワードは少しだけ寂しそうに、そう言った。
「東の国から来たんだっけ?」
アイリーンの問いに、少しだけどぎまぎしながらエドワードは首肯する。
「ああ、そうだ。ずっと、ずっと東にある国だ」
「ふーん。そういえば、最初石炭が何だと言っていたけれど、君の国では石炭で機関車を動かすのかい?」
「ああ。機関車はとりあえず燃やすものがあれば動くだろう?」
「そうだね。でも、石炭で動く機関車ははじめて聞いたな」
アイリーンはそういいながら目を輝かせた。
―――知識欲の凄まじい女だ―――
エドワードは、そんなアイリーンの姿勢に、ただただ舌を巻いた。
ところで、事故の全ての原因は解き明かされた。
「じゃあ、最初から順を追ってみよう」
アイリーンがそういいだした時、エドワードは駅の方から人影が走ってくるのを見た。
その人影は慌てた様子のアリアル卿だった。エドワードは意外な人物の登場に驚く。
「やあ君たち! 進捗はどうだい?」
アリアル卿は余裕の無い表情でそう問うてきた。エドワードは面食らいながらも答える。
「事故の全容は、無事解明された」
すると、アリアル卿はエドワードの手をはっしと掴んだ。そしてその手を引き寄せると、いつもの涼しい顔はどこへやら、差し迫った顔でひとつのお願いをしてきた。
「今から、査問会へ出てもらう……!」




