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整理番号 新A20:スイザラス鉄道事故調査

 シロッコ=クアール鉄道全線にて事故発生等の報告なし。全ての列車運行を無事故で確実に引継ぎ……。そんな報告がエドワードの耳に入り、エドワードのその日の業務は恙なく終了した。


 エドワードが荷物をまとめて帰ろうとしたとき、二人の男が詰所にやってきた。


 一人はエドワードにとってよく見覚えのある者だった。それは初老の男で、仕立ての良い燕尾服のような者を身に纏い、優雅さと気品を兼ねそろえた妙なオヤジだった。エドワードは、その男を評して戦前の貴族のようだと思った。

 もう一人は、これまた仕立ての良い服を着てはいたが、しかし老いてはいなかった。関西人の言葉を借りるなら「シュッとした」中年男性であった。その男はエドワードを見つけるなり、値踏みするようにこちらをしげしげと見つめた後、にやりと笑った。


「レルフ支配人! 今日はどうしてここに」


 ヨステンが素っ頓狂な言葉と共に初老の男のもとへ向かった。エドワードが状況についていけず呆然としていると、アイリーンが耳打ちしてくれた。


「初老の男はレルフ・マックレー公爵。このシク鉄の支配人だ。たしか、ラッセル子爵家の保護者でもあったはずだよ」


「シグナレスの?」


 驚いて聞き返すと、アイリーンは変な顔をした。


「知らないのかい? 君もラッセル家の人間だろう?」


「あ、ああ。もちろんだとも。問題はあの男だ。あいつは何だい?」


 エドワードは冷や汗をかきながら話の矛先を変える。アイリーンはちょっと不思議な顔をしながらも、それ以上は追求しなかった。


「彼はロザーヌエスパノ公爵家、次期当主様のアリアル卿よ」


「ロザーヌエスパノ家?」


「エスパノ公爵家はこの国有数の有力貴族よ。彼はロザーヌ家の出身だからロザーヌエスパノ家。ちなみに、ロザーヌは地方の名前で、エスパノ家は各地方に分家があるから、その地方の名を冠して呼ぶんだ」


「なんだその徳川や松平みたいなシステムは……」


 エドワードが呆れていると、二人が近づいてきた。どうやら二人にその会話を聞かれていたらしく、レルフはニコニコしていた。


「紹介の手間が省けてうれしいよ、アイリーン君」


 レルフのその一言で、アイリーンは呼び止める暇もなくぴゅぅっとどこかへ逃げてしまった。一人残されたエドワードは、愛想笑いをしながら二人と握手をした。


「で、何か御用でしょうか?」


「実はこのアリアル君の鉄道でちょっと困ったことがあってね。君に助けてやって欲しいんだ」


「困ったこと?」


 エドワードが怪訝な顔をすると、アリアル卿は一枚の紙をエドワードに渡した。その紙は新聞のような情報誌であるようで、そこには大きく損壊した鉄道列車のスケッチがあった。


「これは……」


「我が一族が支配するスイザラス鉄道で、先日大きな事故が発生した。その事故の調査を依頼したい」


 その男はなにかを含んだような表情を見せた。エドワードは訝しがる。なにかがおかしいと、エドワードの全神経が言っていた。


「事故調査は、それ専用の組織などが政府、又は鉄道内にあってしかるべきでしょう。わざわざ、他の鉄道から呼び寄せる必要がありますかい」


 第一、エドワードは彼の品定めするような目線が気に入らなかった。エドワードのこのちょっとした抵抗に、レルフは笑みを見せた。


「ああ、そうだ。これはちょっとした、彼らへの貸しになる。どうかこのマックレー家、ひいては君たちラッセル家を助けると思って、協力してはくれんかね」


「お家騒動はよそでやってほしいものですが……」


 そこまで言いかけて、エドワードの脳裏にはシグナレスの顔が浮かんだ。


―――流石に彼女の名前を出されては、顔を立てぬわけにはいくまい。一応、彼女は私の恩人だ―――


「いいでしょう。引き受けます」


 そう言うと、アリアル卿は一瞬だけほっとしたような顔を見せた。そしてすぐにもとのエドワードにとって不愉快な顔に戻ると、慇懃な礼を言って去っていった。


―――何だあいつは……―――


 その後ろ姿を、あからさまな不快感をにじませながら睨みつけていると、レルフがこっそり耳打ちしてきた。


「彼は、先日君を、彼のスイザラス鉄道へ移籍してくれと頼み込んできた。きっと、彼はこの件を口実に君を引き抜くつもりだろう。そして、それに応えるか応えないかは君の自由だ。しかし……」


「しかし、なんです?」


 レルフは更に声を絞ると、絶対にエドワードにしか声が聞こえないようによりいっそう口を耳元に近付けた。


「君の正体が彼に露見する可能性がある。君は少々、目立つからね」


 エドワードは驚いて目を見開いた。そんなエドワードの肩を軽く叩くと、レルフは立ち去ってしまった。










 夕食後、エドワードはシグナレスの部屋を訪れた。すると、シグナレスは艶やかな格好でそれを迎え入れた。


「あら。愛しい人がいるのに、いけない人ね」


「馬鹿言え、そんなんじゃねえ」


 エドワードはちょっと怒りながら、部屋の中にずかずか立ち入った。シグナレスはその姿を見て吹き出す。


「雰囲気も何もあったもんじゃないわね。あなたが奥様以外愛していなかったことが、よくわかるわ。それで、話はアリアル卿のことかしら?」


 シグナレスはまるで全てを見通しているかのようにそう答えた。


「何で知ってる」


「私、これでもシク鉄の役員なの。そうじゃなきゃ、あなたを機関区にねじ込むことすらできないわ」


「でも君は、役員共が集まっていたときに居なかったじゃないか」


「だってあなたのこと、信用していたもの。結局なんとかなったんでしょう?」


 そう言われて釈然としない顔をしているエドワードに、シグナレスは酒を注いだ。


「それで、話は何?」


「どうすればいいと思う」


 単刀直入に、エドワードはシグナレスにそう聞いた。すると、シグナレスはまるで不思議なものでも見るような顔になった。


「好きにすればいいじゃない」


「おいおい。君は役員様なんじゃなかったのかい?」


「ええ。あなたがもしスイザラス鉄道に引き抜かれでもしたら、私は批難轟々でしょうね。でも、私はあなたの好きにすればいいと思うし、それを妨げる権利もないわ」


 シグナレスはかなり酒精の強そうな酒を飲み干すと、ベッドに横たわりながらそう言った。


「しかし、レルフは私がダクターだということに気が付いていそうだったし、アリアルもそれに気が付く可能性が……」


「大丈夫よ。レルフおじさまは私の父親代わりだもの」


 シグナレスは足を放り出しながらそう答えた。


「それに、以前にも彼にダクターを数人、紹介したことがあるわ。だからきっと見当がついたのでしょう。彼はそのあたりよくわかっている人だから、信頼していいと思うけれども」


「じゃあアリアルは……」


 そう言うと、シグナレスはくすっと笑った。


「悪い人じゃないわ。いい人でもないけれども。そして、それは今、あまり関係のない話よ」


「どうしてさ」


「あなたは絶対に彼を気に入るし、そしてスイザラス鉄道の事が嫌いになるから」


「……どういう意味だ」


「さあ、それは運命の歯車が動いてからのお楽しみよ」


 シグナレスはそう言うとベッドから這い出して、エドワードを部屋の外に追い出した。


「お、おい」


「さ、今夜はもう終わりよ。乙女にとって、夜の時間は大切なんですもの」


 そう言うと、彼女はぴしゃりと戸を閉めてしまい、エドワード一人だけが残された。


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