整理番号 新A15:シ=ク鉄道線内における連続脱線事故(概況)
帝都の南東にあるサンクトル駅、その立派な構内の一角に、これまた立派な応接間があった。そこでは一人の初老人がある男の相手をしていた。
「おたくはなにやら良い技術顧問を手に入れたそうじゃないですか。いったいそんな逸材、どこに転がってたんです?」
客人から棘のある物言いでそう言われたその男は、笑ってそれをいなしながらこう答えた。
「シグナレス嬢が東国から連れてきたそうで」
「東国から? 東国に鉄道が豊かな国などありましたかね」
「それがどうもあったらしいのです。ああ、あったらしいというのは、私も伝え聞く話なので、確かなことは言えんのですが」
その男はレルフ・マックレー。シロッコ=クアール鉄道の支配人である者だ。
「いつか御貸し願いたいものですね」
「ハハハ、御冗談を」
レルフは渇いた笑いでその男を丁重に追い出した。
嫌な客人の居なくなった部屋で一人、レルフは呟く。
「シグナレスや。今度はまた、厄介なものを連れてきたね……」
日本は世界一ダイヤが緻密で正確な鉄道、日本を占領しに来たGHQは日本国鉄(省線)のダイヤの素晴らしさに、日本の鉄道を支配することを諦めた……。そんな“日本ヨイショ”が一定の信頼性を勝ち得るほどに、日本の鉄道はダイヤにうるさかった。
もちろんそれは、通勤地獄の様相を無視すればの話ではあるのだが……。
どんな状況下でもダイヤグラムを手放さないという点では、やはり日本の鉄道はダイヤグラムに準拠していると言えるだろう。
安定輸送の為に敢えてダイヤグラムを放棄した国は少なからず存在する。
にも関わらず、日本の鉄道は、そして御岳篤志は、なかなかどうしてダイヤグラムに固執した。それが安全への王道だと信じたからだ。
果たして、その執念は“エドワード・ラッセル”にも受け継がれ、そして彼を通してシロッコ=クアール鉄道へともたらされた。
シロッコ=クアール鉄道は、開業以来の原始的な指示運転制度を放棄し、ダイヤグラム準拠運転を手にした。
その結果は、すぐに数字となって表れた。
シロッコ=クアール鉄道の輸送量が昨年同期と比べて二倍以上に増加したのである。
当然、エドワードがもたらしたものはダイヤグラムだけではない。効率の良い運転、速度を出せる運転、ロスの少ない運転。それらのエドワードにしてみれば基礎的な技術の伝授は、同鉄道の運転速度を飛躍的に高め、同時に輸送効率を爆発的に増加させた。
同鉄道を介した輸送需要が圧倒的に増加する中で、滞貨、すなわち運びきれず積み残す貨物・若しくは乗客を一切発生させることなく、同鉄道は運転を続けた。
それはエドワード一人の力でなしえたことではなく、同鉄道に従事する全ての鉄道員が、高い向上心と素直な向学心を持ち合わせたその結果であった。
これには、ヨステン・ガーフィールドという、偏屈ながら生真面目な親分の存在も大きいと、エドワードは語る。
だがしかし、この高度成長は思ってもみなかった弊害を、鉄道の根幹を揺るがしかねないとても大きな弊害を生みだしてしまった。
脱線事故の増加である。
日本の鉄道において、安全は至上命題だ。
それを裏付けるように、運転の安全の確保に関する省令(法令番号:昭和二十六年七月二日運輸省令第五十五号)というものの中には、こんな文言がある。
第二条(規範)
1.安全の確保は、輸送の生命である。
2.規定の遵守は、安全の基礎である。
3.執務の厳正は、安全の要件である。
エドワード、いや、御岳篤志が今わの際に呟いた言葉である。これは、日本の鉄道の、まさに一丁目一番地だった。
安全の確保は、輸送の生命。エドワードはそれを痛いほど理解している、だから、この世界の鉄道に出会ってまず最初にしたことが、安全の確保のための改革、すなわち、ダイヤグラムとタブレットの導入だった。
ダイヤグラムを遵守し、保安設備(=タブレット閉塞)を確保する。これこそが、この世界の鉄道、少なくとも、今目の前に横たわっているシク鉄のとっての最善策になるはずだった。
事実、正面衝突事故(並びに未遂=インシデント)は鳴りを潜めた。ヨステン曰く、月に二・三件、多い時では二日に一回は発生していた正面衝突事故、若しくはインシデントは、ダイヤグラムとタブレット閉塞の導入によって全く発生していない。
エドワードはこの報告を聞いた時、小さくガッツポーズをした。これでこの鉄道の安全は守られた。そう思った。
だが、現実は新しい問題を呼び起こしていた。エドワードの提案により、あくまでも“副次的”にもたらされた輸送の効率化は、偉大なる落とし穴をそこに作っていたのである。
エドワードはそれを、身にもって知ることとなった。
シロッコ=クアール鉄道(内部) 事故調査報告書 第 1 号
本報告書の調査は、本件鉄道事故に際し、今後のシロッコ=クアール鉄道の発展と安全の確保のために、鉄道事故及び事故に付帯して発生した被害の原因を究明し、事故の防止並びに被害の軽減を図って行われたものである。
1.シロッコ=クアール本線 ハハット駅~ミノルバ停留所間 列車脱線事故
事故経過
・シロッコ=クアール鉄道(以下、シク鉄)シロッコ=クアール本線(以下、シク本線)のアルヴスタン王国内発シロッコ(→サンクトル)行き二十七両編成の赤44列車がハハット~ミノルバ間を走行中、車掌が異常振動を認めたため緊急停止措置を行ったが、先頭より十両目の貨車が脱線した。
事故当該列車・車輛
・赤44列車
D2機関車けん引、有蓋車十一両、無蓋車七両、長物車九両編成。
事故現場概況
・平坦かつ速度の出やすい高速区間。また、同列車はミノルバ停留所を通過する速達普通列車である。
被害など
・二十二両が脱線、転覆。また、最後尾の有蓋車に添乗していた列車長が負傷した。