整理番号 新A12:シ=ク鉄道線内における重大インシデント(閉塞)
「ああ、いいところに来た。エドワードさん、ちょっと来てくれ」
慌てた様子の機関士に連れられ、エドワードは小走りに事務室のある詰所へと急いだ。
「だから青32列車はここで抑止をして……」
「黄247列車は別に運休でもいいのだろう? なら……」
「待て、まず赤11列車を最優先に考えろ。あれは皇帝の命で走る火急の国際列車だ!」
エドワードが詰所へ入るなり、そんな喧々諤々の議論が耳に入ってきた。かつて聞いたことがあるようなないような光景に顔をほころばせそうになりながら、ヨステン区長の元へ近付く。
そのヨステンは難しい顔をしていたが、エドワードの姿に気が付くと、途端に安心したように表情を緩めた。
「ああ、エドワードさん。今日からよろしく頼む」
握手をしながらエドワードは思う。
―――エドワード、さんねえ―――
昨日とは打って変わって、な態度に苦笑しながら、エドワードはヨステンとしっかり握手をする。そして、なんだか慌てた様子のヨステンに何があったのかを問うた。すると、昨日は豪快に振る舞っていたヨステンが弱り切った顔になってしまった。
この男がこんな顔をするもんなのか、とエドワードがひとり驚きながら話の先を促す。すると、彼は申し訳ないと前置きして事の次第を話し始めた。
「このカータ機関区は、帝都と北の隣国であるアルヴスタン王国を結ぶ幹線であるシ=ク本線に在する機関区だ。そして、本線はこの駅を境に帝都方面に向かって数十街区先まで単線区間が続く」
「問題が発生したのは、帝都行の赤11列車。この列車は王様からの命を受けて運転される”火急”列車で、このカータ機関区でアルヴスタン王国方面行きの青32列車とすれ違う予定だったんだ。だが……」
そう言いかけて、ヨステンは後ろをギロっと睨む。一人の男がびくりと肩を震わせ、身をすくめた。
「一人の信号掛が間違えて、アルヴスタン方面行の列車を待たずに火急列車を出発させてしまったんだ」
「なんだって!? 大変じゃないか!」
エドワードは周りをはばかることを忘れて、部屋いっぱいに響き渡る声をあげた。部屋のあちこちで、驚いた者達が手に持った物を取り落す音が聞こえる。だが、エドワードはそんなことを気にする素振りもみせず、ヨステンにつかみかかるようにして詰め寄る。
「今に大事故が起きるぞ! どうするんだ!」
ヨステンはエドワードを手でまあまあと制した。
「事故は防がれた。この先のトレビン信号時近くで”お見合い”の状態で停止し、お互いに無事だ」
そう聞いて、エドワードはその場に崩れ落ちた。
「先にそれを言えばよかったな、すまない」
その場の空気は、すっかり緊張しきっていた。エドワードはさすがに、それが申し訳なくなる。
「いや、こちらこそ早合点をした。申し訳ない」
エドワードは一言詫びを入れると、水を要求した。コップ一杯のそれが届くと、エドワードは一口飲み、後は自分の顔にぶちまけた。
「それで、何が問題なんだ?」
エドワードはしたたり落ちる水を腕で拭いながら、ヨステンにそう問いかけた。
ヨステンは多少怖気づきながらも、しっかり答えてくれる。
「今、その火急列車がこの機関区まで後退してくる。そのせいで大きな遅れが発生している。更に、火急列車はこの件で大きく水と燃料を消費した。それの補給も行わなくてはならんから、更に遅れてしまう」
彼は神妙な顔のまま、エドワードに頭を下げた。
「アンタをこの国一番の名手と見込んでお願いしたい。どうか、この火急列車を帝都まで運転してほしい」
それを聞いた瞬間、エドワードの脳裏に一つの言葉がよぎる。
―――回復運転―――
回復運転とは、列車に遅れが生じた際に、その遅れを取り戻すように運転することを指す。
具体的には、速度を(制限内で)速めたり、停車時間を短くしたりするなどの措置を取る。
御岳篤志が死の直前に行っていた「加速を止めるタイミングを遅める」という行為も、この回復運転でよく用いられる手法の一つだ。
「わかってはいると思うが」
回復運転と聞いて、エドワードの胸中に嫌なものが走る。
「それに伴う安全対策はしてあるんだろうな。もしまたお見合いなんてことになったら、俺の速度じゃ今度は停まりきれんかもしれん」
エドワードの懸念に、しかしヨステンはその点は心配ないと言い切る。
「本線の列車は火急列車通過まで全列車を抑止とした。だから、火急列車の進路に列車は一切存在しない。これは、先ほど伝話で通達済みだ」
「わかった。ならやろう」
言うより早く、エドワードはその場にあったスコップを手に取った。ヨステンはそれを見て、安堵の笑みを浮かべる。
「早々にすまない。最高の環境を整える」
「かまわん。それよりも急ごう」
エドワードの意識は、もうすでに切り替わっていた。
諸々の手続きを手短に済ませ、エドワードはサッサとホームへ走る。すると、もうすでに列車は到着していた。
「赤11列車、あと五分で補給を終わります!」
「青32列車、進入! 抑止手配とします」
「ああ、エドワード!」
喧騒の中でエドワードに手を振る者がいた。それはアイリーンだった。
「発火石に水、撒いておいたよ」
「すまないね」
アイリーンの労をねぎらいながら、エドワードは運転台に入る。
機関車は、エドワードが昨日に運転したものと同型のものであるようだった。各種機器を確認しながら、エドワードは満足そうに頷く。
「エドワードさん、機関助士にはアイリーンを付けます。よろしいか?」
ヨステンがそう提案してきた。だが、エドワードはそれに待ったをかけた。
「いや、アイリーンは機関士を。機関助士は私がやる」
ヨステンは少し意外そうな顔をしたが、すぐに納得してくれた。そして次に、また申し訳なさそうな顔になった。
「それで、もう一つお願いが……」
なんだ? とエドワードが首をかしげると、ヨステンは本当に申し訳ないとばかりに、ひとつの「お願い」をしてきた。