最後の祠と神殿 その5
魔物の暴走は、この世界では最も恐れられている災害のひとつで、どの国でもこれが起きないようにコントロールに努めている。
魔物からは良いエネルギー源となる魔石を始めとして、武器や防具から日用品まで様々な利用ができる皮や甲羅や骨など、捨てるところがないくらいに有用なものが取れる。
それに、なんといっても肉が美味しいのだ。
身体を巡る魔力をエネルギーにしているので血液がなく、血抜きが必要ないし、代謝に無駄がないのでその肉には臭みがまったくない。そして、消化もしやすい。だから、迷惑な反面、利用価値が高く、人々の生活を豊かにする存在でもある。
そんな魔物は、魔力の強い場所から離れたがらないため、魔物の森や砂漠の一部、迷宮に棲んでいてそこから離れることはない。
だが、今回は魔物を呼び寄せるマンドラゴラの叫び声で、暴走が始まってしまったらしい。
「セフィードさん、マンドラゴラの呼び声によって魔物の暴走が起きるものなの?」
「いや、普通のマンドラゴラにはそれほどの力はないはずだ。だが、さっき聞いたアレは明らかに異常だった。俺はかなり離れたところにいたが、それでも強い魔力を感じたからな。魔物には魅力的な呼び声に聞こえただろう」
非常にまずい。
ひとりならば空を高速で飛ぶことのできる、セフィードさんにとっての『かなり』離れた場所なのだから、数キロどころではない。
そういえばグラスムタンは、自決する前に胸からなにかを取り出して握り潰し、黒い炎に包まれていた。あれのせいで、マンドラゴラの叫び声が持つ力が増幅されていたのかもしれない。
「国王陛下、この国の軍部や騎士団、冒険者たちの力で、魔物の暴走は止められますか?」
「……このようなことが起きないようにと、対策がされていたのだが……これは想定外の出来事で……」
国王や、年嵩の王子たちは顔色を悪くした。
つまり、事態を正確に把握している者にとっては、今の状況は絶望感でいっぱいということなのだろう。
「……逃げて、くれ」
「陛下?」
「聖女ポーリンよ、祠を解放してくれて本当に感謝している。しかし、そなたにこれ以上甘えることはできない。だから、その空を駆けることのできる御仁と共に、魔物の手の届かぬところまで逃げてくれ!」
「そんな、国王陛下!」
「良いのですよ、聖女ポーリン」
王妃がわたしに向かって言った。
「わたくしたちを、日の光のもとに出してくれてありがとう。おかげでガルセル国の王族としての誇りを失わずに、最後まで戦うことができますわ」
その瞳には、闘志と、大きな絶望感が見える。
「ポーリンさま、最後にあなたにお会いすることができてよかったです。わたしたちは家族で力を合わせて、この国のために命を燃やすことができます。大丈夫、獣人はとても身軽で強いんですよ」
「王女殿下まで、なにを言い出すの! あなたのような小さな女の子は、安全な場所にいなくてはダメなのよ! まだまだ幼い子リスじゃないの!」
「わたし、噛み付きます! 大丈夫ですわ、ポーリンさま。だから、逃げてね……」
大きな瞳に涙を溜めた王女は「そして、シャーリーのことをお願いしますね。みんなシャーリーを愛しているから、遠くから見守ってますからって、どうぞ、どうぞ伝えてくださいませ」とわたしに懇願した。
「王女殿下、こんなに震えながら……なにを言い出すのかしら、この子は……」
わたしは子リスの王女を抱きしめた。そして、言った。
「セフィードさん、あなたは凶悪なドラゴンではなく、その強大な力を神さまのお力のもとで使う、良いドラゴンですよね」
「……ポーリンが言うのなら、そうだ」
「その力は、世界を焼き尽くすためではなく、世界を救うために使うものよ。そのように制御、できるわよね?」
「できる。ポーリンが共にいてくれるなら大丈夫だ」
「では、行きましょう」
「わかった」
わたしは子リス王女の額にちゅっと口づけを落とすと「このお兄さんと悪い魔物を片付けてきますからね、いい子で待ってて頂戴な」と笑いかけた。
「え? ポーリンさま、なにをなさるの?」
「この聖女ポーリンに任せなさい。豊穣の聖女にして闘神の加護もいただくポーリンに!」
わたしはセフィードさんと共に、少し離れた場所に移動した。
「それでは、セフィードさん」
「ん」
「……? セフィードさん?」
彼が目をつぶって前屈みになったので、わたしは首をひねる。
「……早く」
彼は長い指で自分の唇を示して「ここ」と言った。
「えっ、ちょっ、待って、セフィードさんはもう自力でドラゴンになれるわよね?」
「ならない」
「どうして?」
「怖いからやだ」
駄々っ子か?
「ん」
ううっ、セフィードさんからの圧がすごいわ!
あと、ガルセル国の王族からの視線もすごいわ!
「う、わ、わかったわ。ええと、神さまのご加護をドラゴンさんにお願いいたします」
わたしはなるべく王家の皆さんに見えないようにして、セフィードさんにちゅっと口づけた。
「きゃ、恥ずかしい……」
わたしが顔を覆って照れている横で、セフィードさんの身体から眩い光が発して、そこに巨大な白いドラゴンが現れた。
「まあ、真珠のように輝く素敵なドラゴンね。セフィードさん、今日もとってもカッコいいわ」
一族で一番美しいドラゴンの王子さまだけあって、艶といい無駄のないフォルムといいドラゴンの中のドラゴンと言っていい素敵な姿なのである。背中に巨大な白薔薇を背負っているようなオーラを感じる。
『むふん』
ちょっと照れた、嬉しそうな念話が来た。
『俺はポーリンだけのドラゴンだからな。俺のこの姿も力も、すべてポーリンのものだ。ポーリンのために生き、ポーリンを一生愛している』
「いやん、そんな、みんなの前で……照れちゃう」
『俺は全世界の前で宣言することもやぶさかではない。ポーリン、世界一可愛い俺の番、愛してる』
「んもう、んもう、セフィードさんったら。カッコいい。大好き♡」
『ポーリン、大好きだ。ずっと、永遠に俺の背に乗せていたい』
と、安定のバカップルをしていると。
「えええええーっ⁉︎」
「こ、これは、どういうことなのだ⁉︎」
「ド、ドラ、ドラ、ドラゴンだと?」
めっちゃ驚かれている。
けれど、説明している余裕はないのだ。
「それでは、行ってまいりますわね」
飴玉をひとつずつ投げ入れたくなるほど、見事に揃って大口を開けている王家のファミリーに声をかけて、わたしがひらりとドラゴンさんに飛び乗ると、セフィードさんが『軽すぎる……』と悲しそうな念話を発した。
『これでは……ポーリンが足りない』
「そう思うのなら、美味しそうな魔物を仕留めてわたしに食べさせて頂戴ね。期待しているわよ」
『……なるほど、そうか! よし、それならば俺がとびきり美味しいやつを狩ってやる』
やる気満々になったドラゴンさんが鼻息も荒く言って、大きな翼を広げた。
『行くぞ、ポーリン』




