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ただいま航海中

「大変だ、風に煽られてニックが梯子から落ちた!」


「聖女さん、聖女さんはどこだ?」


「ポーリンさーん、ポーリンかあちゃ……ねえさーん、なんか折れてるっぽいから頼みますー」


 艦内が騒がしくなった。

 海上を進む船の中でのケガや病気は、地上と違って命取りになりかねないのだ。

 一応船医らしきものはいるが、応急処置くらいしかできない。


「落下して、骨が折れてるですって?」


 厨房でトマトソースを煮ていたわたしは、鍋をかき混ぜていた木べらを料理当番の男に渡した。


「焦がさないように、これで混ぜながら煮ておいて頂戴。折れると酷く痛いのよ、かわいそうだわ」


 そしてわたしは通路に飛び出して「聖女ポーリンはここにいるわ! 落ちた人はその場に寝かせておいて頂戴、絶対に頭を動かしてはダメよ!」と叫ぶ。


「イエスマム!」


 日中は……というか、船に乗ってからはいつも農作業用のズボンを履いているわたしは、艦内を足早にどすどすと歩いた。


「ケガ人は甲板かしら?」


「こっちだ、頼む」


 頭を打っていないと良いのだけれど。


 わたしは手すりにつかまりながら狭い階段をのぼり、風の強い甲板に出た。


「聖女さん、飛ばされないように気をつけ……」


 ちょっと、最後まで言いなさいよ。

 たとえわたしが風なんかにまったく揺らがない程どっしりしていても、社交辞令ってものがあるでしょう!


「ふんっ、ふんっ、ふんっ」


 わたしは安定した足取りで、甲板に横たわって「いてててて」と呻く兵士に近寄った。


「ニック、大丈夫よ、落ち着いて神さまに祈りなさい」


「ヤバいいてえっす、聖女さん、神さま、頼みます、あいてててっ」


「うん、意識はまともみたいね、良かったわ。……よし、痛みを取るわね」


 わたしが神さまに祈ると目に祝福が宿り、胸の骨と脚の骨が折れているのがわかったので、手を当てて少しずつニックに癒しの気を送る。

 信仰心のない者に急激に癒しを行うと、精神に異常をきたすこともあるので慎重に行わなくてはならないのだ。

 幸いこのニックという兵士は、わたしの行う聖女の奇跡を目の当たりにして(ええと、主にプランター関係ね)いるので、素直に神さまにおすがりしてくれている。

 まずは痛みが収まり、それからゆっくりと折れた骨が正しい位置に動かされて元通りにつながり、損傷した筋肉が回復していく。顔を歪めて苦しんでいた兵士は、すっかりおとなしくなった。


「もう大丈夫よ。ニック、気分はどう? 落ちた時に頭はぶつけてない?」


「ああ、ぶつけていないから大丈夫だ。ありがとうよ、聖女さん。痛みがすっかり引いた。あと、神さま、いつもいろいろありがとうございます」


 さっきまで冷や汗をかいていた男性は、身体の力を抜いて横たわっていた。顔色も良くなっている。


「万一、頭痛がしたり吐き気がしたらすぐに教えて頂戴。ケガは治したけれど、歩けるようになるまでは数日間かかるわ。今日は安静にしていて。それから少しずつ、マッサージしながら動かすのよ」


「ああ、助かった。数日でこんなケガが治るなんて、とんでもなくありがてえよ。神さまのお力はもちろんだけど、聖女さんには感謝しかないぜ。ポーリンさんがいなかったら、俺は神さまの恵みがこんなに大きいなんて気がつかなかったからな」


「うふふ、そう言ってもらえると、聖女として嬉しいわ。これからもしっかりと神さまにお祈りして、清く正しく生きるように励むのよ」


「おう、がんばるぜ」


 そう言うニックは、さっきまでの真っ青な顔はどこかに行ってしまい、信仰心を持つ者の輝く瞳をしていた。


 わたしは担架に乗せられて運ばれる彼に「お大事になさってね」と手を振った。


「……いやはや、聖女ってのは大したもんだなぁ。あれ、骨が折れてたぞ?」


 様子を見守っていたディアス艦長が、顎に手を当てて感心しながら言った。


「みんな神さまのお力よ。折れていたけど二ヶ所ともちゃんとつないだから、無理せずに動かしていれば元のように治るわ」


 わたしが艦長に答えると、彼は「二ヶ所もやられてたのか! そりゃ痛えわな!」と改めて驚いていた。


「さて、料理の続きに戻るわね。今日はフレッシュなトマトソースで和えたニョッキを作るの。楽しみにしていてね」


 わたしが持ち込んだプランターでは、今が盛りとばかりに野菜や果物がなっているのだ。

 甘くて瑞々しいトマトやブロッコリー、インゲンにきゅうりにパプリカにズッキーニ。瑞々しい青菜もレタスやキャベツもある。デザートにはリンゴやオレンジもある。


「そいつはいいな! まさか、船の上で新鮮な野菜にありつけるとは思わなかったぜ。ニョッキって、あのモチモチした美味いやつだろ? 楽しみだな」


「そうよ。トマトの酸味と塩漬け肉の旨みが生きた、モチモチのじゃがいものニョッキよ」


 オリーブオイルとニンニクで炒めたから香ばしさも加わり、インゲンやパプリカも入ってカラフルな、目にも美味しい料理なのだ。

 もちろん、仕上げにチーズを削ってたっぷりかけるのもお忘れなく!

 熱々のソースの上でとろりと溶けたチーズに、辛い唐辛子ソースをお好みでかけると、エールが進むのよね。


 あ、聖女のわたしはお酒は飲まないけれど。


「聖女さんのプランター、絶対おかしいよな。なんでリンゴができるんだ?」


「リンゴの木を植えたからでしょ」


「だって、船に乗せた時は、苗木は指先くらいしか育ってなかったんだぞ? それがなんで翌日には天井すれすれまで育って、真っ赤なリンゴがぶら下がってるんだ? というか、プランターでリンゴの木が育つんだ?」


「リンゴもがんばったのよ、おほほほ」


 わたしは手をひらひらと振ると、また厨房へと戻って行った。


 今夜のデザートは、リンゴのパイを焼くつもりなの。

 滑らかなカスタードソースをたっぷり入れたあっつあつのリンゴのパイは、甘さと酸味のハーモニーが素晴らしく、表面にかけた砂糖がカリッとしたカラメルになっていて香ばしい。

 強面の兵士たちも、焼き立てのパイにはメロメロなのよ。





『豊穣の聖女』のわたしが祈りを捧げるプランターで作られている植物は、神さまの加護を受けてすくすく育ったので、この船のみんなにたっぷりと行き渡る野菜と果物が毎日収穫できるのだ。

 おまけに、プランターの片隅に置かれた籠の蓋を開けると、毎朝新鮮な卵がたくさん入っている。

 仕組み?

 神さまの奇跡にそんなものはいらないのよ。


 保存のきく食糧、すなわち、塩漬け肉やベーコン、小麦粉、乾燥豆、チーズ、玉ねぎ、じゃがいも、人参、薫製の玉子や、塩や砂糖、香辛料はたくさん船に積まれていたけれど、それだけだとどうしてもビタミン不足になる。

 第一、献立に変化もつけられない。料理だって素人の兵士たちの当番制なのだ。


 だから、わたしのプランターは大活躍で、兵士たちも「行きと帰りじゃあ食い物が格段に違うな! こいつは聖女さまさまだ!」と感激してくれる。


 その上、わたしには癒しの力がある。


 さすがに二日酔いは自業自得だから治してあげないけれど、不慮のケガや病気になりかかった状態、そしてお腹の痛みまで、聖女のお務めとして治療している。


 そのため、わたしが艦内を歩くと「聖女さん!」「ポーリンさま!」「マム!」と声がかかる。

 でも「イエスマム」までは許容できるけど「おかあちゃーん!」と呼ぶのはやめて欲しいわ。わたしはまだ未婚の乙女なんですものね。


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