最後の祠と神殿 その4
マンドラゴラと化した、いや、その邪悪な正体を現したグラスムタンの叫び声は、長い間辺りに響き、耳を塞いでいないと頭痛が起きそうなくらいに耳障りなものであった。
その残響が消え、わたしたちは恐る恐る耳から手を離す。
「ものすごい声でしたわね」
王妃がゆっくりと頭を振りながら言った。わたしは「大丈夫ですか? 身体の虚弱な者だと命を落としかねないほどの、邪悪な叫びでしたものね」と気遣う言葉をかけて、そっと神さまのご加護の光を王妃に送った。
「ありがとうございます、聖女ポーリン。おかげで楽になりましたわ」
「よかったですわ、王妃陛下。神さまの癒しのお力ですの。それにしても、最後の最後まで、迷惑な男でしたわね。世界を征服しようだなんて、本気で考えていたのかしら? でも、今の叫びで力を使い果たしたみたいですわね」
魔物には知性がほとんどないはずだ。
あのマンドラゴラ男は突然変異だったのだろうか?
「あのグラスムタンは、最初は聖霊を重んじる誠実な人物に思えました」
王妃が言った。
「見た目が平凡な男だったので、わたくしたちも油断してしまいましたが……まさか、あのような大それたことを計画していたとは。邪悪な人物かどうかを外見で判断してはならないということを、身をもって学びましたわ」
「ええ、その通りです。外見が恐ろしくても、その魂は輝くほどに美しい人物もいますもの」
そう、昔のセフィードさんみたいにね!
わたしの旦那さまは今は世界一の美形青年だけど、ドラゴンの力が暴走しないように封じられていた時には、痛々しい外見だったもの。
「……ポーリンさま、変な変身をしたグラスムタンですが、萎れて枯れてしまったみたいですわ」
子リスの王女さまが、わたしの服をつんつんと引っ張って「ほら」と下を指さした。
可愛い。
子リスと子ネズミ姉妹でユニットを組ませたい。
わたしも下を見て「ええ、マンドラゴラは枯れてしまったみたいね」と優しく言った。
そこには、グラスムタンだった奇妙な植物の姿はなく、白い灰のようなものが積みあがっているだけだ。やがてそれも、風に吹かれて消えてしまった。
彼は同じ植物として、聖霊の祠で大切にされる空の実、炎の実、光の実が面白くなかったのだろうか?
でも、他の植物を踏みにじり、聖なる力を奪い取って利用しようとするのはいただけない。こんな非道なことを考えつくあたりは、神さまを恐れない魔物らしいと言えよう。
「それにしても、光の木は見事に育ちましたわね。聖霊さまのお力は、すっかり戻ったようですわ」
神殿だった建物は崩れて、そこから植物が育って広がり、あたり一面に光の実がなって揺れている。王宮も絡みつかれて、緑色の建物になっているけれど……大丈夫よね?
その時、わたしを呼ぶ声がした。
「……ポ……リン!」
遠くの方から聞こえる呼び声は段々と大きくなる。
「ポーリーン!」
「ポーリーーーン!」
「ポーリーーーーーーーーン!」
「きゃあっ」
凄いスピードで飛んできた物体がわたしたちの入っている蔓でできた籠に貼りついたので、女性陣から悲鳴があがった。
「ポーリン! ポーリン! ポーリン! ポ……」
「はいセフィードさん、落ち着きましょう。ついでにこの籠を地面におろしてくださるかしら?」
「ポーリン、よかった! 生きててよかった!」
背中に翼を持つ滂沱の涙を流す超イケメンの登場で、籠の中に微妙な空気が漂う。
わたしはガルセル国の王族たちに「大丈夫ですわ、彼はわたしの婚約者ですの」とちょっとだけ照れながら説明した。
「ああ、ポーリン! 今助けるから!」
ぶちっ、と音がした。籠の上の蔓が、セフィードさんに引きちぎられた音である。ドラゴンさんは、今日も怪力だ。
それより、今のちぎり方はちょっと痛そうな気がする。植物に痛覚はないとは思うけれど……。
彼は籠を持つと、遥か下にある地面にエレベーター並みのスピードで降りた。
「いやあああああーっ!」
「うわあああおあーっ!」
エレベーター慣れしていない皆さんから、命の危険を訴える叫びがあがる。
「大丈夫です、墜落しませんから! セフィードさん、もっとゆっくりお願いします」
落下のスピードが落ちて、籠はふんわりと地面に着陸した。
その途端、蔓がほぐれて籠が分解した。セフィードさんに引き裂かれる前にと蔓が思ったのだろうか。
光の木さん、申し訳ございません。
「セフィー……」
「ポーリン! ああ、ポーリン!」
セフィードさんはわたしを抱きしめて「こんなにやつれてしまって! もう骨と皮しか残っていないじゃないか!」と嘆いた。
「いえ、筋肉がございます」
「痩せ細りすぎて、ぽっきりと折れてしまいそうだ!」
「いえ、標準体型でございます」
「まるで初めて会った時のように幼くなってしまった!」
「え? 痩せて、若く見えるようになったのかしら?」
わたしは、啞然としながらこちらを見ている王族に「わたし、いくつくらいに見えますか?」と尋ねると「……二十歳前くらいでしょうか?」という答えが返ってきた。
「あ、年相応じゃないの……待って、セフィードさん」
わたしは、目に涙を浮かべながらわたしを抱きしめるセフィードさんの肩を掴み、ぐいっと離した。
「つまりそれは、ぽっちゃりしていると……おばさんっぽく見えるってことなの?」
「え」
彼は言葉に詰まり、そしてしばらく考えて言った。
「包容力があるように見える……かな? 母性的、というか……なんでも受け止めてもらえそうな雰囲気があるが……」
そしてなぜか、彼はわたしの頭を撫でながら「俺はどっちのポーリンも可愛いから、よくわからない」と言った。
「見た目よりも、身体の具合はどうなんだ? ひとりで立っていて辛くはないか?」
「今すぐ開墾作業についても大丈夫なくらいに元気よ」
「……そうか、それならばいい……」
すると、ドラゴンさんはその場にしゃがみ込んで頭を抱えながら叫んだ。
「あああああもう、ポーリンが突然消えてしまうから、俺は怖くなって全部燃やしてしまおうかと思った! ポーリンが生きててよかった! 俺はポーリンがいない世界なんていらないから!」
ひいいいっ、なんてことを!
わたしが恐怖に震えていると、立ち上がったセフィードさんに再び抱きしめられた。
「ポーリンをこんな目に合わせたのはどこのどいつだ⁉︎」
「ええと、マンドラゴラが変化した冴えない神官長のおっさんでした」
「どこにいる?」
「あの辺で、灰になって、風に飛ばされてなくなりました」
「……」
セフィードさんは、グラスムタンが消えた辺りを、その場が発火しそうなほど剣呑な目つきで睨みつけた。
「さっきの嫌な叫び声は?」
「マンドラゴラの最期の叫びです」
「マンドラゴラの?」
それまで泣きベソ顔で、少し子どもっぽかったセフィードさんの表情が、SSランク冒険者のものに一瞬で変化した。
「まずいな。あれはかなりの大きな叫び声だった。そして、ここから少し離れたところには、魔物が棲む森がある」
わたしを探して飛び回っていた途中に、この国の地理に詳しくなったようである。
セフィードさんの言葉を聞いて、王子のひとりが頷いた。
「確かに、大きくて深い森があります。その深部には、森の外には現れませんが強くて凶暴な魔物が棲んでいると言われています」
「まあ。でも、森の浅いところには弱い魔物がいるのかしら?」
「魔物肉を手に入れるための、よい狩場となっています」
どんな美味しい魔物がいるのかしら?
これは、冒険者パーティ『グロリアス・ウィング』の出番かしらね?
わたしがそんな呑気なことを考えていると、光の実が一斉に揺れてざわめいた。
『ポーリン、聖女ポーリン』
ぶつかり合う光の実の音が、わたしの名を呼ぶ声になった。
『大変です、先程の叫びで魔物が覚醒しました。マンドラゴラの呼び声に誘われて、魔物の大群がこの国に迫ってきます』
「なんですって⁉︎」
その場に衝撃が走る。
『このままだと、この国は魔物たちに蹂躙され、国民たちの命が危険にさらされてしまいます』
……やられたわ。
グラスムタンは、恨みのあまりガルセル国を道連れにしようとしていたのね!




