聖霊のピンチ その7
お腹がいっぱい元気もいっぱいになったわたしは、セフィードさんに「残りのお肉を守っていて頂戴」と頼むと、光る種を握りしめて土の祠へと近づいた。
イベリコ豚よりも三元豚よりも美味しいピグルールの炙り肉は、まだ軽く半頭分あるから、一仕事のあとのお楽しみにとっておきたい。あのとびきり美味しいお肉がご褒美で食べられる(しかも、空腹になった状態なので、さらに美味しい)と思えばやる気も満ちてくるのだ。
天の祠と同じように、土の祠も周りの土の色が白く変わり、明らかに栄養が無さそうになっている。そんな場所に足を踏み入れると、圧迫感のある嫌な気がわたしを包んだ。徐々に重くなっていく身体を引きずるようにして、土の祠に向かう。
「やっぱり空気がゼリーみたい……そうだわ」
わたしは種を聖女服のポケットにしまうと、両手を合わせてしゅっと前に出した。
そして、手のひらでねっとりと重い空気をかき分けると、進むのが楽になる。
「これはいい感じね。この調子で進みましょう」
平泳ぎの要領だ。
ゼリーのプールのような空中をかきかきしながら進む姿は、側から見たら間抜けっぽいかもしれないけれど、今のギャラリーは涙目になってわたしを見守るセフィードさんだけなので大丈夫だ。
反対しても無駄だとわかった彼は、唇を噛み締めて辛そうな表情で進むわたしを見ている。
この『平泳ぎ前進法』は、思った以上に身体の負担を軽減するため、わたしは膝をつくこともなくさっきよりもずいぶん早く祠に到達した。
そしてわたしは祠の前で天に手を差し伸べて、豊穣の神さまに「どうかこの種を育てるためのお力をお授けください」と祈った。
いつもよりは弱いけれど、金の光が手に集まってきて、右手に光のスコップが再び現れたので、わたしは祠の前にしゃがんでさっそく土を掘り返し、種を植えた。
「炎の実よ、育って頂戴」
種にふわふわで養分に満ちた土をかけたわたしは両手で拳を作り、「育って、育って、育つのよ!」とぐぐっと力を込めながら祈った。すると、空の実を育てた時のように全身から汗が吹き出して、身体の中からなにかがごそっと引き抜かれるのを感じる。
「神さま、ポーリンの体脂肪をどうぞ遠慮なくお使いくださいませ……あら、もういいのかしら」
もう止まっちゃったわ。
もっと使ってくれていいのに!
「神さま、体脂肪のおかわりはいかがですか?」
……返事がない。
できることならもうひと山、ピグルールで蓄えた体脂肪を持っていってもらおうと思ったけれど、間に合ったらしい。ちょっとだけ残念である。
今度は、天の祠が復活したせいもあるのか、わたしの1ぽっちゃりしか消費しないで炎の実の種が芽を出し、すくすくと育っていく。30センチほどに育つと赤い花が咲き、6枚ある花びらが散ると艶のある赤い実がなったので、そっと収穫して祠の中に置く。
『聖女ポーリンよ、ありがとう』
「どういたしまして。炎の実が健やかに育つことをお祈り申し上げますわ」
聖霊の声に返事をしたわたしはその場に腰をおろしてひと休みしながら、祠の中の炎の実が芽吹き、根を生やし、あたり一面を早送りのように緑の絨毯にしていく様子を楽しく見守った。
「次々に実がなっていくのね。凄いわ。たくさんの炎の実が風に揺れると、大地が燃えているかのように輝くのね。とっても綺麗……そういえば、空の実は地面に青空が降りてきたみたいに見えたし……光の実はどんな美しさなのかしら? 育てるのが楽しみね」
「ポーリン! ポーリーーーーン!」
わたしが見とれていると、遠くの方でセフィードさんが肉のついた骨をぶんぶん振り回しているのが見えた。広範囲に祠を囲んでいた気が正常になったので、彼も支障なくここへ来れるはずだけれど、ピグルールの肉を守るという大切な使命があるので動かないのだろう。
1ぽっちゃりを消耗してもまだまだ3ぽっちゃりの余裕があるわたしは、立ち上がると肉に向かって……ええと、違ったわ、愛する婚約者に向かって駆け寄った。
「セフィードさん、おかげさまで祠は無事に解放されました。ありがとうございました」
「ポーリン、良かった! ああ、今回は元気なままだな。……ん? 少しだけ痩せたか?」
「ええ、少しだけね。でも大丈夫よ。食べたばかりの朝ごはんをすっかり消化してしまったみたいだから、第二回の朝ごはんにしようと思うの」
「そうか。それなら肉を軽く炙りなおそう」
空腹を訴えるわたしを見て、セフィードさんが安心したように微笑んだ。そして、再び火を起こして、ピグルールの炙り焼きの残りを温めてくれた。
「セフィードさんも、いかが?」
「いや、さっき食べたばかりだから、さすがにお腹は空かない。ポーリンの豊穣の聖女としての働きは素晴らしかった。たっぷり肉を食ってくれ」
「なんだか悪いわね……あら、美味しい! ちょっと寝かせたら肉と脂が馴染んだみたいで、また違った風味で美味しくなったわ」
「そうか。ということは、ピグルールの肉は冷めても美味しい、保存食にも向いた肉質だということかな」
「そうね。ピグルールでハムやベーコンを作ると、長く保存できてとても美味しいものができると思うわ。あとでクライドさんに話してみようかしら。香りの良い木でスモークチップを作りたいわね。豚肉だから……桜、ブナ、胡桃辺りから試してみるといいかしら。乾かした枝を砕くのは、セフィードさんにお任せすれば簡単にできそうだし」
「美味しいものを作るなら、喜んで手伝うぞ」
頼もしいドラゴンさんは、料理やおやつの下ごしらえに大活躍しているドラゴンの爪を出して見せた。これがあれば、あっという間に乾燥させた木をスモークチップに加工してもらえるだろう。
なにからなにまで役に立つ、素晴らしいわたしの婚約者なのだ。
「ありがとう。この騒ぎが落ち着いたら、試しに作ってみましょうね。ピグルールの燻製肉はきっととても美味しいわよ。楽しみねえ……」
「ああ、村で作っている干し肉も美味しいが、ポーリンが作った燻製肉もとても美味しそうだ。うちの村の新たな特産品にできるかもしれないな」
「そうね。落ち着いたら、ガルセル国からピグルールの肉を輸入する手筈を整えましょう。安定した供給がないと製品化は難しいから。あと、作り方を教えてこの国でも作れるようにするといいわね。ソーセルの町が復興するための資金源になるし、レシピのロイヤリティがうちの村に入ってくるし……それにしても、燻製肉を早く食べたいわね」
両手に骨つき肉を持ち、わっしわっしと肉を食いちぎりながら、わたしは最高に美味しい豚肉で作った燻製品を思い描いたので、余計に食欲が湧いてしまった。
そんな風に食欲全開になっていたため、わたしはすっかり忘れていた。
聖霊の祠の災難は、黒幕が引き起こしたということを。
そして、ふたつの祠を復活させたことを気づかれている恐れがあるということを。
「ふう、満足だわ……え?」
わたしは背後に異様な気を感じたので、素早く前に出た。
「セフィードさん!」
「ポーリン!」
伸ばした手は、セフィードさんに届かない。
突然現れた、黒くてゼリーでできたような巨大な手が私の身体をつかみ、そのまま後ろに引いた。
倒れて頭を打ったら大変なので、わたしはしゃがみ込むようにして衝撃を逃した。
「ポーリーーーーーンッ!」
しかし。
転んで地面にぶつかることを覚悟して身構えるわたしは、そのまま突如現れた深い穴に落ちて落下していったのであった。
「嫌だわ、このままどこまで落ちていくの? わたしは不思議な国のポーリン?」
白い聖女服を翻しながら、ふわふわ、ふわりと、不思議な穴を落ちていくわたし。
まるで童話のヒロインだわ。
やがて、わたしはふわんと床に降り立った。
石造りの床で、壁も白い石でできている……って、ここは神殿なのかしら。どこの国でも、神殿って似てるのよね。
そんなわたしを取り囲むのは、剣を持った警備兵っぽい男たちだ。なにやらわたしを見ながらひそひそと話している。
「……グラスムタンさまに敵対する、悪しき力の手先……なのか? この娘が?」
「グラスムタンさまがそうおっしゃるのだから……」
「いや、これは人違いだろう。こんなぽっちゃりした、変な娘だぞ?」
ちょっと、ぽっちゃりは認めるけど、変な娘ってどういうことよ?
失礼だわ。
わたしがむうっとした顔で彼らを見ると、「おい、機嫌が悪そうだな」「飯を食ってるところを拉致されたら、不機嫌にもなるだろうさ」なんて話している。
え? 飯を食ってるところって……あ。
わたし。
両手にひとつずつ、巨大な骨つき肉を握って来ちゃったんだわ!
セフィードさんの手に届かないから、とっさに炙り肉の塊にすがってしまったみたいね、さすがは豊穣の聖女よね、うふふ。
肉をぶら下げたわたしがくすっと笑うと、男たちは「おい、少々頭も弱いみたいだぞ。攫われたことが理解できていないらしい」「ああ、まったく動じない上に、肉を見て嬉しそうに笑っているな……どうする、この娘?」「これ、絶対に神殿の敵じゃないぞ、なにかの巻き添えをくらった女の子だぞ」「グラムスタンさまの手元が狂ったのか」と再びひそひそと相談を始めた。わたしは両手の肉を取られないように隠しながら、彼らの話し合いを見守った。
そして、相談の結果。
「娘さん、手荒なことはしたくないからこっちに来い。いや、その肉も取らないから怖い顔をしなくていいぞ。とりあえず、しばらくこの神殿にいてもらうから、待機場所に案内する」
「なに、間違いだとわかれば元の場所に返してもらえるから大丈夫だ。グラムスタンさまは聖職者だからな、信用していい」
どうやら、この神殿を建てた人間の親玉がグラムスタンという人物らしい。
わたしは兵士に連れられて階段を降り、神殿らしき建物の地下にある一室に連れてこられた。「この中にいろ。勝手に出るなよ」と入れられた広い部屋の中にはきちんとした身なりの人々が数人閉じ込められていて、彼らは新参者のわたしを見て驚いた顔をした。
「……どこのお嬢さんを攫って来たのだ? グラムスタンは、国民には手を出さないと約束したはずだろう」
「手違いで捕まえてしまった、頭の弱い娘だ。警備の都合でここに置いておくから、面倒を見ていろ」
兵士は抗議した男性に顎をしゃくると、扉を閉めて外から鍵を開けた。
「まあ……かわいそうに。驚いたでしょう」
年配の優しそうな女性がそう言って、こちらにおかけなさいとソファを勧めてくれた。
「ええと……肉売りの娘なのか? なにかの間違いで連れてこられたようだから、きっとすぐに帰してもらえるはずだ」
肉売りの娘?
……まあ、巨大な骨つき肉を持っていたら、これを市場で売っているのだと思われても仕方がないわね。
と、わたしはひとりの少女に目を留めた。
「美味しそうなお肉を売ってらっしゃるのね」
優しく声をかけて笑っているその顔は、シャーリーちゃんにそっくりだった。
そういえば、さっきの優しそうな女性も、この部屋にいる他の若いお嬢さんたちも、そして青年たちも、なんとなく顔がシャーリーちゃんに似ている気がする。
ということは、もしかして……。
わたしはどうやら、ニンニクの匂いがぷんぷんする骨つき肉を両手にぶら下げながら、ガルセル国の王族たちとご対面しているみたいだわ!




