聖霊のピンチ その3
「それではポーリンさまは、聖霊の祠をご心配くださって、ガズス帝国からはるばるいらしてくださったのですか?」
「ええ、そうですのよ」
わたしはナイフでお肉を切りながら、クライドさんに微笑んだ。
美味しいわ、という気持ちもこっそり込めて。
ソーセルの町の領主、クライドさんと、その甥っ子のサードリーさんと一緒に夕食をいただきながら、わたしはシャーリー王女のことは伏せて、聖霊の祠よりお呼びがかかったことを説明した。ちなみに、手土産にしたデザルクラーは、この町の皆さんで召し上がって欲しいのですと言って辞退した。
昨夜は最高級のデザルクラーでカニ祭りをしてしまったものね。
「わたしたちの住む『神に祝福されし村』は、村人の全員が獣人です。皆さん命からがら国境を越えていらしたため、栄養が足りずに衰弱していました。そのため今までは、彼らの傷ついた心身を癒すことを重視しておりましたが、最近は村の収穫が増えて余裕ができ、神さまのご加護のもとで新しい商売を始めたりしたのもあって生活が豊かになってきました。そして偶然にも、家族のように思っている皆の故郷の知り合いが、大変な苦境に立たされていることを知りましたの。どうやら聖霊さまが、ガルセル国を救うようにとわたしにお声がけされたようなのです。ですから、わたしにできる限りのお力をお貸ししたいと考えております」
「ガルセルの聖霊が、他国の聖女さまに……」
彼らはシャーリーちゃんが軟禁されていた事情を知らないため、『自国の聖女はなにをやっているのだ?』と成り行きを不審に思っているのだろう。
そこへ、貴族の令嬢だったジェシカさんが口を添えた。
「こちらのポーリンさまは、本当にすごいのですよ! ガズス帝国の町にスイーツのお店を展開したり、冒険者のための美味しい携帯食を考案してギルドへ卸したりして、村の生活がどんどん豊かになっていっているのです。ええ、オースタの町の人たちと獣人たちは、とても仲良くなっているんですよ。でも、なんと言っても、驚くべきものといえば輝くクワでポーリンさまが耕された農地ですよ。あの素晴らしい畑をお見せしたいわ、丸かじりしてもとっても美味しい野菜が鈴なりなの。野菜の天国だわ。それから、豊穣の聖女さまがお作りになるお菓子の素晴らしさといったら! まだまだありますわ、最近は干し肉も開発されていて……」
久しぶりの故郷の料理に舌鼓を打っていたジェシカさんから、激しくパッショナブルなわたしの推し話が始まった。その勢いに、クライドさんとサードリーさんは「ほう、なるほど」と相槌を打つことしかできない。わたしは安心して食事に専念する。
クライドさんとサードリーさんは、ジェシカさんの話を聞いて信じられないような顔をしているけれど、仕方がない。神さまのご加護の素晴らしさを信じなければ、彼女の話は大げさに思えるだろう。でも、聖霊の祠がさびれて、砂漠化に生活を脅かされている今、彼らに神さまへの信仰心を求めるのは酷というものだ。
「なるほど、聖女というのは大変な力のある存在なのですね。……ここ、ガルセル国にも聖女さまはいらっしゃるのですが。高貴な身分の方で、あまり関わりがなくて……」
「ええと、とてもお可愛らしい聖女さまだとお聞きしています!」
元気なサードリーがフォローする。
「僕たちのような田舎の貴族は、とてもお目にかかれないお方ですけど、王家の王女さまなんですよ。あ、剣士バラールはご存知ですよね?」
「お、おお、そうだな。聖女シャーリーさま、とおっしゃる方だ」
「お会いしたことがあるんですね! それは羨ましいなあ」
「誠に羨ましいことでございます」
まさか王族が軟禁されているなどということを知らないクライドさんとサードリーさんは、「聖霊の祠がこんなことになって、聖女さまはお元気で過ごしていらっしゃるのでしょうか?」「そうだね、僕もちょっと心配なんだよね」などと人の良いことを言っている。
当のシャーリーちゃんは、今頃『神に祝福されし村』で、ころころ笑い転げながら、美味しいごはんを食べたり、お友達と遊んだり、農作業のお手伝いをしているのだが、まだそれを話すわけにもいかない。
「王都には、巨大な神殿が建設されたらしいのです。聖女さまはそこにいらっしゃるのでしょうね」
そこにはいらっしゃいませんよ。
わたしは咳払いをひとつすると、ソーセル代表のふたりに言った。
「それでは、わたしは聖女として、聖霊の祠に立ち入らせていただいてよろしいでしょうか?」
「もちろんです。我が国のためにありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします」
わたしは頭を下げるふたりに「聖女の活動には国境はありませんわ。どのような場所でもわたしのお役目があるのならば、謹んでお務めさせていただきます。こちらこそ、よろしくお願いいたします」と頭を下げ返した。
そして、その夜。
クライドさんが、わたしたちのために部屋を用意してくれた。
くれたのだが。
「セフィードさんと一緒の部屋……ああ、わたしたちはまだ婚約中だって言ってなかったわ!」
夫婦だと勘違いされたため、ふたりでひと部屋だし、ベッドは広々としたダブルサイズなのだ!
しかし、動揺するわたしと違って、セフィードさんは余裕の表情だ。
「よかった。同じ部屋ならば、ポーリンを守りやすい」
イケメンの婚約者に、口元に笑みを浮かべてそんなことを言われたら、わたしの乙女心がきゅんっとなってしまう。
「浴室が付いているが、湯を浴びるか?」
「お、お風呂はいいわ。浄化の光で清めましょう」
「……船に乗っていた時は、身体を洗えと兵士たちに勧めていたのに」
「あれは、あの人たちに身体を清潔にする習慣をつけて欲しかったし、わたしが一緒にいない時にも身だしなみをきちんとしてもらった方が、病気にもなりにくいから……今日はいいのよ」
「そうか。じゃあ、俺もいいかな」
わたしはホッとする。
同じ部屋で、お風呂上がりの姿で向かい合うとか、考えただけで心臓が破裂してしまう。
「……さっき浄化してもらったから、まだ臭くないだろう? どうだ?」
気がつくと、目の前にセフィードさんがいた。
しかも、自分の胸にわたしをぼふっと抱きこんだ。
強制的に匂いの確認をさせられた!
セフィードさんの匂いを!
「く、く、臭く、ない、わ」
「本当に?」
臭くないけど鼻血が出そうよ。
「本当、大丈夫だけど、ね、ね、念のために、もう一度浄化しましょうかっ?」
セフィードさんの胸板に鼻を押しつけられる、というとんでもない事態に、純な乙女のわたしは激しく狼狽えながら彼に尋ねた。
「ん、頼む。虎みたいにポーリンに嫌われたくないから」
「虎……あ、バラールさんね。別に嫌っているわけでは」
「ポーリンは、虎よりドラゴンの匂いが好き、だろう?」
見上げると、目の前に美しい顔があり、真紅の瞳がわたしを見下ろしていた。
「す、好きです」
「そうか」
その美しい顔が、わたしの頭に近寄り、金髪に埋まってくんくんした。
「……ポーリンは、甘くていい匂いがする。俺の好きな匂いだ」
「ひょあああああーっ! じ、浄化の、ご加護を、お願いいたしますううううーっ!」
頭の匂いを婚約者に嗅がれてしまい、さらに動揺したわたしは、全力で神さまにお願いした。
その途端、部屋中が閃光と言っていいほどの強い光に包まれた。
というか、光が大爆発した。
「うわあっ、なんだこれは?」
「眩しい、目が、目がーっ!」
巻き添えをくらってしまったらしい人たちの叫びが、領主館の中に響き渡る。
「あら、どうしましょう」
勢い余って、この屋敷すべてを浄化してしまったようだ。
でもまあ、身体に悪いわけではないし、むしろ軽い不調は解消されるありがたい浄化の光なのだから、聖女ポーリンからの大サービスということで勘弁してもらおうと思う。
「それじゃあ、もう寝よう。野営の疲れが残っているだろうからな」
「え、そ、そうね……きゃっ」
わたしはセフィードさんに抱き上げられた。彼はわたしをベッドに運ぶとそっと横たえて、わたしの頬を撫でて「ポーリン、すべすべで可愛い」と呟いた。
これってもしや?
乙女の純潔のピンチ的なアレなの?
でも……セフィードさんとは一生共に生きるお約束をしているし、彼の子どもをたくさん産もうと決意しているし、結婚式前ではあるけれどいいのかしら?
で、でも、どうしよう、緊張する!
「ポーリン、好きだ」
彼の顔が近づき、わたしの頬に唇が触れた。
「セフィードさん……」
「おやすみ」
わたしが目をパチクリさせていると、彼はわたしに布団をかけてくれた。
「おやすみなさい……って、セフィードさんはどこで寝るの?」
「ん……このソファに座って」
怪力のドラゴンさんは、長椅子をひょいと抱えてベッドの脇に持ってきた。
「ポーリンの顔を見ながら、護衛をする」
「あら、セフィードさんだって疲れているでしょ? 休まないとダメよ」
「……この国には、妙な気配がする」
「気づいていたのね」
そう、ガルセル国に入ってから、わたしは圧迫感のような嫌な気を感じていた。さっき、浄化の光を爆発させてしまったのも、その圧を払おうとして力が入り過ぎてしまったということも原因のひとつだ。
「俺たちの屋敷や村なら、いつも強い力で守られているから安心できるが、ここではなにが起こるかわからない。そして、ポーリンになにかあったら、俺は……」
セフィードさんは「自分でも、なにをするかわからなくて怖い」と、迷子の子どものように呟いた。
「だから、ポーリンがちゃんとここにいるか確認していないと、眠ることはできない」
「うーん、困ったわね……」
わたしは起き上がってベッドから降りると、収納庫に置いた大盾を持ってきて、枕元に立てかけた。
「近くにこの盾を置いておくわ。さすがに結界を張っておくのは憚られるけれど、ゼキアグルさまのご加護があるこの大盾が近くにあるならば、滅多なことは起きないと思うの。さあ、一緒にやすみましょう」
敵意を感じる場所では男女交際的に妙なことにはならないと思うので、わたしはシーツをぽんと叩いてセフィードさんを呼んだ。
「……」
セフィードさんが、わたしの左側に横になった。
「ポーリン、手を繋いで寝よう」
わたしは思わずふふっと笑ってしまってから、「いいですよ」と言ってセフィードさんの右手を握った。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
少ししてから、セフィードさんが言った。
「今、俺は幸せだ。ずっとポーリンの隣にいたい」
わたしもよ、と言いたかったけれど、心地よい疲れと安心感の中で、わたしはそのまま夢の国に吸い込まれていった。




