聖霊のピンチ その1
「聖女? 豊穣の聖女?」
「なんだそれは……聖霊と関係があるのか?」
「聖女がどうしてデザルクラーに乗ってくるんだ? どう見てもおかしいだろう」
警戒を緩めてもらうために、少し離れた場所で様子を見ていると、兵士たちが相談する声が聞こえてきたが……最後の意見に頷いてしまう。
うん、確かに、ビジュアル的にかなりおかしいよね。
爆走するカニゾリは、聖女の乗り物らしくないと思うわ。
「ポーリンさま、わたしが話をつけてきますね」
ジェシカさんがそう言って、デザルクラーから飛び降りた。彼女は両手を上にあげて武器を持っていないことを示しながら、町の警備をする兵士たちに近づく。
「わたしの名はジェシカ・サイリク。王都にあるサイリク家の四女です。今は冒険者ギルドに所属して、Aクラスの冒険者として働いています」
「サイリク家、だと?」
場がざわついたが、ジェシカさんが笑顔で会釈をすると兵士たちが敬礼した。
「失礼いたしました! サイリク家の方が辺境のこの町にいらっしゃるとは……」
「いいえ、お務めご苦労さまです。今回は一冒険者として、ガルセル国に賓客をお連れしました」
「そうでしたか」
ちゃんとコミュニケーションが取れているようなので安心する。どうやらジェシカさんを連れてきたのは正解だったようだ。
「サイリク家って、有名なの? それがジェシカさんのご実家なのね」
わたしがバラールさんに何気なく言うと、彼は「サイリク家……かなりの名家じゃないか。どうして冒険者なんてやっているんだ?」と驚いている。どうやらジェシカさんは、いいところのお嬢さまだったらしい。
そのまま彼女は、兵士たちと話しあった。彼女はいかにもガルセル国民です、という狼の獣人だし、名前を知られた家の令嬢ということもあり、若い女性(しかも美人)のジェシカさんに兵士たちの警戒が緩んだ様子だ。
ということで、わたしたちもカニから降りて向こうへ参加することにする。
「ポーリンさま、どうぞこちらへいらしてください」
「ええ、ありがとう」
ジェシカさんが呼んでくれたので、わたしたちは安心して近づく。
「あの方が、レスタイナ国の『豊穣の聖女』であり、今はガズス帝国内にできた『神に祝福されし村』の奥方さまでいらっしゃる、ポーリンさまです。お持ちになっているあの盾は神さまの加護がある特別な盾で、お陰でガズス帝国から無事にこの地へやってくることができました」
「おお!」
「神具をお使いになられているのか!」
どよめきが起きる。
「『神に祝福されし村』というのは、砂漠近くの村が砂に飲まれたために行き場をなくし、命からがらガルセル国からガズス帝国に渡った獣人たちが住む村なのです。あちらのSSクラス冒険者の『黒影』こと、領主のセフィードさまが獣人たちを救い、飢えないように助けてくださって、今では皆幸せに暮らしているんですよ」
「SSクラス冒険者の領主だと?」
「帝国にはすごい人物がいるのだな」
「待ってくれ、砂漠に飲まれた村の生き残りが……存命なのか?」
「そうですよ。あのおふたりがお骨折りくださって、飢えたわたしたちの仲間を助けて、住む場所を与えてくれたのです。聖霊のお告げを信じてガズス帝国に渡った人たちの話を知ってますか?」
「聞いたことがあるが、それを信じた者たちは、根拠ない夢にすがり皆命を失ったのだと思っていた」
「ドラゴンの元へ行けとか、荒唐無稽なお告げだったそうじゃないか」
はい、荒唐無稽な強すぎるドラゴンさんが、ここに実在してますよ。
セフィードさんをちらっと見て、わたしは心の中で突っ込んだ。
「ああ、そうだ。魔石を回収しておこう」
ぼーっと話を聞いていたセフィードさんはそう言って、放置してあるデザルクラーのところに戻るとカニのお腹にガッと爪を差し込み、500円玉くらいの大きさの真っ赤な魔石を取り出して戻ってきた。
「これは……ほら、大きい。後で『ポーリンのお部屋』を飾ろう」
わたしに見せながら少し嬉しそうにいい、ポケットにしまう。
待って、魔石の使い道が間違ってるわ!
それを家畜籠をデコるためのグッズだと思わないで!
そんなに力の強そうな魔石は、売るとめっちゃ高いと思うから!
セフィードさんとバラールさんも連れてジェシカさんのところに行き、まずは一歩前に出て挨拶をした。
「ガルセル国の皆さま、ごきげんよう。わたしはレスタイナ国の豊穣の聖女、ポーリンですわ。縁あってガズス帝国の『神に祝福されし村』に住んでおります」
「おお、あなたさまが豊穣の聖女さま……」
「身体中から強い力が溢れていられる。光り輝くようだ。さすがは聖女さまだ」
「なんてお美しい……白くて張りのある肌に、これほど艶やかな金髪を持つとは……神々しいくらいの美しさではないか」
「素晴らしい体格だ! 福々しいし、どっしりとした落ち着きがあるし、なによりも優しさに満ち溢れていらっしゃる!」
「なるほど、豊穣の聖女さまだけある、素晴らしいお姿だ。思わず膝をつきそうになるほど……言葉を失うほどにお美しいお方だな」
獣人の兵士たちが、憧れの瞳をわたしに向けた。
ぽっちゃりを超えたぽっちゃり聖女が、彼らのとっては豊穣の象徴に見えるのだろう。
わたしを『しろぶた』扱いした、ガズス帝国の宮殿にいた礼儀知らずたちとは大違いである。
「俺のだから」
後ろから、ぼそっと声がした。
聖女服の背中を摘まれた。
ドラゴンさんは、安定の可愛さである。
わたしは聖女らしく、その場の人たちに笑顔でゆっくりと頷いて見せてから言った。
「突然の訪問で、お騒がせしてしまいごめんなさいね。急ぐ事情がございましたの。こちらの方はガズス帝国で活動する冒険者にして領主のセフィードさん……わたしの婚約者ですわ」
「ああ」
せっかく前に引っ張り出したのに、コミュ障のドラゴンさんはひと言言うとわたしの後ろに下がってしまった。でもって「婚約してるから」と、また背中を摘んでいる。
安定のコミュ障ぶりである。
その代わりにバラールさんが前に出る。
「俺はバラール。ガルセル国の王家に仕える剣士だ」
それを聞いた兵士たちは、皆目を見張った。
「け、剣士バラール、だと?」
「本物なのか⁉︎」
兵士たちの間に衝撃が走った。
どうやら彼は、超有名人だったらしい。
まあ、しばらく国を離れていたジェシカさんが知っていたくらいなのだから、そこそこ名を知られた武人だとは思っていたけれど。
バラールさんは、にやりと笑った。
「もちろん本物だ。なんなら武技で証明するぞ」
彼はそう言うと、背中の大剣を引き抜いた。
「俺と手合わせしたい者は、誰だ?」
その迫力に、兵士たちは後ずさった。
「うわあっ、こんな大きな剣を扱えるなんて!」
「只者ではない……ということは、本物の剣士バラールなのか?」
「いや、なんでこんな辺境に剣士バラールが現れるんだ、話がおかしくないか?」
「……剣士バラールって、勇猛でケダモノじみた恐ろしい外見だと聞いたが……」
「遠くからだが、俺は見かけたことがある! ……もっとこう、歳をとって、髭が生えている男だったぞ」
「強い虎のおっさんって噂だよな」
「この男は若いし……というか、ずばり言って美丈夫、だよな?」
「そうだ、恐ろしくないし、普通にカッコいい男だぞ」
「ということは、やっぱり偽者なのか? いやいや、だが、とても強そうだし、サイリク家の令嬢が身元を保証しているんだから」
「……本物の剣士バラール、なのか? 良い身体つきをしているが、顔が全然もじゃもじゃしてないぞ?」
「おっさんでもないし」
「そうだ、おっさんじゃない」
ふむふむ。
どうやら『もじゃもじゃっとした虎のおじさん』と見られていた『剣士バラール』さんが、さっぱりと髪を切り、髭を剃ったので、別人だと思われてしまっているようだわね。
「バラールさん、身だしなみの大切さが身にしみていますか?」
「ああ……」
虎がしょんぼりしている。
今はイケメンになったと褒められているんだから、喜べばいいのに。
濡れた子猫のようにかわいそうなので、わたしは口添えすることにした。
「この方は確かに剣士バラールさんですわ。ええ、確かに初めてお会いした時には40歳くらいに見えたし、とても臭いし、汚れているし、髪も髭も伸び放題でもじゃもじゃして怪しい虎男でした。けれど、よく洗って村で髪と髭の手入れをしたらあら不思議、このように見違えるような素敵な青年になったのです……」
ただいまお嫁さんを募集中です、と付け加えそうになり、慌てて口をつぐむ。
「そうなのですか」
「聖女さまはさすがですね!」
「あの、もじゃも……老けて見られ……まあ、なんというか、強いと有名な剣士バラールからこれほど魅力を引き出すとは! これは奇跡と言って良いくらいですよ」
「おほほほほ、出会った時のバラールさんのことを思うと、わたしもそう思いますわ。今は全然臭くないんですよ」
「はい、臭いませんね!」
「全然臭くないです!」
ふとバラールさんの顔を見ると、瞳から光が消えていた。
「……否定はしないが……事実だが……ポーリンさまの言葉が痛い……」
虎はがっくりと肩を落としたのだった。
褒めてあげたのに、どうしてかしらね?
「ということで、わたしたちをガルセル国に入国させていただけますかしら?」
「もちろんです。ようこそいらっしゃいました、聖女ポーリンさまと御一行さま」
「歓迎をありがとう。さっそくですが、この町の冒険者ギルド長をこちらにお呼びくださいませんこと? このデザルクラーはとても美味しい魔物なので、ぜひぜひお引き取りいただきたいのです」
そう、この巨大なカニは、昨夜食べた最高級のサイズではないけれど、なかなか手に入らない、ものすごく美味しい高級な魔物なのだ。
昨日の夜の小さめサイズのカニ……アレは特別に美味しい、世界の珍味と言えるくらいのレベルなのよ。バラールさんが言った通り、並の冒険者では狩るのが難しい魔物なの。
この巨大サイズのデザルクラーも、手練れの冒険者が大勢でかからなければ倒すことができない魔物よ。
だから、兵士たちが一斉に目を輝かせたのは当然ね。
「もちろんです!」
「おい、早くギルド長を呼んでこい!」
「あと、領主さまにも連絡を!」
兵士たちはバタバタと動き始めた。
「聖女さま、ありがとうございます。この魔物は殻が硬くて、良い加工材料になるのです」
「たくさんの防具が作れて、この町の経済が回ります!」
兵士たちも、騒ぎを聞いて門まで集まってきたらしい人たちも、巨大なデザルクラーを見て笑顔になっている。
「あ、そうなのですね。それは良かったですわ、ええ、良い加工材料ですものね、ほほほほ」
そうだったわ!
デザルクラーは食べるだけではなかったわね、すっかり失念していたわ。
でも、わたしは豊穣の聖女だから……食べること中心でも仕方がないわよね?




