ガルセル国へ その7
山を降りて森を出ると、そこはいきなり砂漠の始まりだった。
「まあ……これが砂漠というものなのね」
わたしは初めて見る光景に言葉をなくしていた。
日本で生まれ育ったわたしには、砂がたくさんある風景といえば即鳥取砂丘、というイメージしかなかったので、地平線まで続く一面の砂に圧倒されていた。
しかし、この砂漠は想像していたより暑くない。
体感温度は日本の猛暑くらいだろう。むしろ、日本よりも湿度が低いために蒸し蒸しした感じがなくて、日差しが強いけれど身体は楽である。
けれど、ここを徒歩で渡るとなると話は別だ。
山越えは、神さまのお力で道を作りながら来たので、獣人であるジェシカさんもバラールさんも楽々猛ダッシュすることができた。けれど、砂地となると今までのようにはいかない。ここで走るのはいくら身体能力が高い獣人でも難しい。
「ここからは、かなりペースが落ちるな」
一度この砂漠を越えてきたバラールさんは、うんざりしたように言った。
「まあ、2日で魔物の山を越えられたんだ。数日かかっても、楽な旅だと言えよう」
「いや、それは楽とは言えない。ポーリンを数日間もこんなに暑い場所に居させたらかわいそうだ」
いやん、セフィードさんったら優しい!
ポーリンはぽっちゃりさんだから、暑さに弱いのよ。
もうすぐ花嫁になるのに、汗疹ができたら嫌だわ。
「しかし、砂漠を渡る時に速度が落ちるのは仕方がないぞ?」
バラールさんに生温かい視線を向けられたわたしは(もしや、彼はぽっちゃりさんの事情に詳しいのかしら?)と目を細めた。
「……ちょっと待ってろ」
セフィードさんが背中からドラゴンの翼を出して言った。
「デザルクラーの背中はよく滑る。砂を弾くようにできている」
「だからなんだ? って、おい!」
セフィードさんが空に飛び立ち、バラールさんの「最後まで説明してくれ、気になるだろうーっ!」という言葉に送られて砂漠の奥へと消えていった。
「仕方がないからお茶にしましょう。おやつを食べながら、セフィードさんの帰りを待つことにするわ」
「すかさずおやつとは、聖女さまはブレないな! どんな場所でも食欲が失せないあたりがさすがだ……」
腹肉の付近を見るのはやめてほしい。
聖女服の下には乙女の秘密が隠されているのだ。
ということで、砂漠を眺めながらわたしは椅子に腰掛け、ふたりは倒れた木に座り、おやつタイムです。
最初の堅焼きフルーツケーキを食べ終わった頃、遠くの方に砂煙が見えた。
「なんだあれは? まさか、砂漠の魔物がここまで襲ってきたのか?」
「バラールさん、落ち着いて。ゼキアグルさまにご加護をお願いしあるから、大盾の周りにいたら安全よ。どんな魔物も突破できない結界で守られていますからね」
セフィードさんは仕事が早いわね、と思いつつ水筒のレモン水を飲みながら言った。
昨夜の野営地で育てたレモンで作ったレモン水は、爽やかな酸味が身体の疲れを癒やしてくれる。甘くしていないから、ケーキを食べながらごくごく飲むのにちょうどいいのだ。
「おそらくあれはセフィードさんだと思うわ。今日はなにをとってきたのかしら?」
ドラゴンさんの『とってこい』は、想像がつかない。夕飯のおかずには早すぎるし……。
「あれは、巨大なデザルクラーじゃないですか? しかも、ひっくり返っていますね」
目のいいジェシカさんが言った。どうやら裏返ったカニを、セフィードさんが引きずってきているらしい。
そういえば、さっき『カニの背中はよく滑る』なんてことを言っていたっけ……。
砂煙が近づいてきて、わたしにもセフィードさんが見えた。甲羅の部分だけでも5、6メートルはありそうな立派なデザルクラーを爪に引っかけて、砂漠を引きずってきた彼は、徐々にスピードを落とすと、わたしたちの前で止まり、地面に降りた。
「ほら、よく滑る」
そして彼は「その椅子を」と言った。わたしがレモン水を片手に立ち上がると、旅のお供になっている愛用の椅子を持ち、カニの裏側、つまり上を向いている方に爪でガッガッガッガッと穴を開け、椅子の足を差し込んだ。器用なドラゴンさんのDIYである。
深く食い込んだ椅子は安定感があり、セフィードさんが軽く揺さぶってもガタつかない。
「ここはポーリンの席だ」
さらに、カニの上に毛布を広げた。
「ここはバラールとジェシカ」
彼は椅子に縛りつけてあったロープをほどくと、カニのふたつのハサミに結びつけて繋いだ。
「俺はここを引っ張る」
これでできあがり、らしい。
「こ、これは?」
「まさかと思いましたが……これで砂漠を越えると?」
バラールさんとジェシカさんが驚いている。
セフィードさんがすごい。
カニでソリを作ってしまった!
こんなものすごいソリを引っ張れる者は、世界中を探してもセフィードさん以外にはいないだろう。
ドラゴンさんの腕力は無限大なのだろうか。
「ありがとう、セフィードさん。これはとても素敵な乗り物だと思います」
わたしがお礼を言うと、彼は嬉しそうに「ふふっ」と笑った。そして、真面目な顔でわたしに腕を差し伸べた。
「乗る時に滑るといけないから、俺が乗せる」
そう言うと、セフィードさんは大盾を持ったわたしをお姫さま抱っこしてくれた。
ドラゴンの腕力は無限大!
彼は「軽いな」と言ってから、カニのお腹(お腹、よね?)に飛び乗ると、わたしを椅子に座らせて、居心地良く整えてくれた。
「盾を持てるか?」
「ええ、大丈夫よ」
「よし。途中でおやつが食べたくなったら、椅子の背にカバンをかけておくから取り出せばいい」
「ありがとう、セフィードさん」
ちょっとちょっと、うちの旦那さまが無敵すぎるんですけど!
好き! 超好き!
獣人ふたりは自力でカニにのぼってきて、ピクニックシートのように敷かれた毛布の上に座った。
「これ、大丈夫なのか?」
「試しに引いてみる」
セフィードさんがそう言ってロープを握ったので、わたしは防御の光を放つ大盾を身体の前に構えて、カニゾリの出発に備えた。バラールさんとジェシカさんも、カニのお腹から出ているなにかを掴んで衝撃に備えた。
結論から言うと、カニゾリの乗り心地は最高であった。
かなりのスピードを出しているのにも関わらず、ソリは砂の上を滑るように走って、わたしたちは揺れを感じない。これはおそらく、ゼキアグルさまのご加護のせいだろう。
砂の上を疾走する怪しい物体を狙い、砂漠に棲む魔物たちが襲いかかってくるのだが、セルフシールドバッシュ状態のわたしたちはすべてぽーんぽーんと弾き飛ばして走った。目を瞑っていたら、いつ魔物がぶつかったのかわからないくらいに静かだ。
それに、走り出したら結界が強化されたのか、日差しも気にならなくなった。神さま特製のクーラールームに入っているようである。
そして、セフィードさんはドラゴンなので、このくらいの暑さなどなんともないらしく、真っ黒な服装をしているのに汗ひとつかいていない。
「大丈夫なのか? 俺たちはこんなに楽をしていていいのか?」
意外に親切なバラールさんが、セフィードさんひとりを働かせていることを気にしている。
「セフィードさん、おやつを食べる?」
「もう少し進んだらもらう」
安定のスピードでソリは進んでいく。
どんどん進んでいく。
止まらずに進んでいく。
セフィードさん、疲れないのかしら?
「ポーリンさま……黒影、めっちゃ楽しそうですね」
なぜか激しく尻尾を振りながら、ジェシカさんが言った。
「こんなに大きなカニを引いて猛スピードで走るのって……」
彼女の瞳はキラキラしていた。
え?
もしかして、羨ましいの?
遊び好きの狼の血が騒ぐのだろうか。犬科の生き物は、猛ダッシュして物をとってきたり、なにかを引っ張り回して遊ぶのが好きだったような気がするわ。
彼女が一緒に引っ張りたいなんて言い出したらどうしよう。
「ジェシカさん、落ち着きましょう。セフィードさんには彼のタイミングでおやつを食べてもらうことにして、わたしたちは休ませてもらいましょうね。聖霊の祠に到着したら、バラールさんとジェシカさんは忙しくなるかもしれませんし」
とりあえず、美味しいおやつで口を塞ぐのであった。
カニゾリは、おそらく新幹線くらいのスピードで引かれていたのだと思う。流れる風景の勢いから、そう推測できる。
わたしたちがおやつを食べる以外にやることがなく座っていると、前方に町のようなものが見えてきた。
「え? こんな砂漠の近くに、あんなに立派な町があるの?」
石造りの壁に囲まれた外壁を見て、わたしはバラールさんに尋ねた。すると、彼は暗い顔をして言った。
「砂漠地帯が広がり、村をいくつか飲み込んでしまったのだろう」
「そんな……」
わたしとジェシカさんは、絶句した。
「ガルセル国を離れている間に、こんなことになっていたなんて……」
故郷の変貌を見て、ジェシカさんが声を詰まらせた。
「今までは、聖霊の力で砂漠化を食い止めていたのだ。謎の神殿ができてから聖霊の力が弱まり、人々の祈りが届かなくなってしまった」
「なんて恐ろしいことでしょう」
わたしは光る盾を見た。
大丈夫、闘神ゼキアグルのお力はまだ届いているわ。
聖女であるわたしは、信仰心以外の力を持っていないのだ。神さまがいなければ、ちょっと太めの単なる可愛い女の子なのである。
「なんか出てきた」
セフィードさんがそう言って、カニゾリのスピードを落とした。
「……なんだあれは? 人が乗っているぞ!」
「魔物が襲ってきたんじゃないのか?」
「まさかと思うが、戦争なのか!」
兵士らしい人たちが武器を持ってこちらの様子を窺っている。
「大変だわ、ガルセル国の人たちに敵襲だと思われちゃう!」
そりゃあそうよね。馬車しか乗り物がないこの世界で、巨大なデザルクラーをかっ飛ばしてきたんだもの。
わたしは椅子から立ち上がると、町の門を守るように集まってきた兵士たちに叫んだ。
「皆さーん、こんにちはああああああーっ! わたしは豊穣の聖女おおおおおおおーっ! ポーリンと申しまあああああああーすっ!」
お腹の底から声を出すと、バラールさんとジェシカさんが「ひっ」と小さく叫んで耳を押さえた。
「なんて大きな声なんだ!」
「さ、さすがです、ポーリンさま。耳がぐあんぐあんいっちゃってますぅ……」
あらやだ、狼は耳が敏感なのよね。
ごめんなさいね、ジェシカさん。




