ガルセル国へ その5
「うわあ、なんでデザルクラーがこんなところに⁉︎」
巨大な黒いカニを見て、驚く虎さんなのである。
ジェシカさんが「なにか食べられるものを探してきますね」と姿を消し、入れ替わりにバラールさんが戻ってきたところだ。彼は蔓で縛った大量の薪を両手にひとつずつ持っていたが、その場にどさっと取り落とした。
「襲われているわけじゃないのか」
「もちろんよ。神さまの結界を越えられる魔物はいないもの。それにしても、すごい量の薪ね! びっくりしちゃったわ。ありがとう、バラールさん。このカニ……じゃなくって、デザルクラーは今夜のごはんよ。セフィードさんが取ってきてくれたの」
「虎のバラール、これは美味いらしいぞ」
セフィードさんは森の木の根元をざっくりえぐり、倒してから鋭いドラゴンの爪で削り、先の尖った頑丈な棒を数本作ると、力尽くで地面に埋め込んで、カニを吊るすための道具を作っている。
彼は、唖然とする虎に頷いてみせた。
「特に、この大きさが一番美味しいと、小耳に挟んだことがあるが……知ってるか?」
「……その通り……この大きさのデザルクラーは最高級品だ。凶暴でなかなか倒すことができない、硬い殻に身を包んだデザルクラーは大変な美味で、なかなか庶民の口には入らない食材だが……しかも小さなものは大きなものに守られていて、群れを壊滅させないと手に入れられないはずなのに、なんであっさりと、しかも2匹も狩ってきているんだ?」
「普通に、上空から一撃で……」
セフィードさんはわざわざ手を止めて説明しようとしたのだが、バラールさんがぶんぶん手を振りながらそれを遮った。
「いやいい、もう気にしない、どうせ非常識なやり方だとわかっているだろうから、俺は深く考えないぞ。俺は砂漠の獰猛な魔物がおかずにされても、なにも気にせずに味わうからな。ははははは、そうかそうか、今夜はデザルクラーが食べられるのか、こいつは楽しみだ!」
「ええ、楽しみにして頂戴。……セフィードさん、落ち込まないでね」
わたしは、コミュ障で傷つきやすいドラゴンさんに、優しく声をかけた。
「バラールさんは、今日はたくさん走って疲れているし、恐ろしい魔物の山を越えたトラウマもあって、気持ちが不安定なのよ。温かい目で見守ってあげましょうね」
「……なるほど。この山や砂漠で酷い目に遭ったのだから、それは仕方がない」
心優しいセフィードさんは、納得した表情で作業を再開した。
バラールさんはというと、たくさんの薪を竃の近くの地面に置きなおすと、野営地の端の方をちらっ、ちらっと見た。
「なによ、バラールさん。気になるなら素直にお聞きなさいな」
「……あれは、なんだ?」
「レモンの木よ。カニ……焼いたデザルクラーにレモンを絞ってお醤油をかけたら、絶対に美味しいと思って、さっき育てたの」
「それは……まあ、豊穣の聖女だしな」
「ええ、よくあることよね」
レモンに含まれるクエン酸は疲労を取る働きもあるから、野営地に一本、レモンの木が生えていてもいいと思うのよね。
「で、その隣にあるのがバナナの木。食べると疲れが吹っ飛ぶ、美味しい果物よ」
酸っぱいレモンと対照的に、甘い果物も食後のデザートに欲しいから、その隣にはバナナの木も育ててあるの。お砂糖なんかいらないくらいに甘い完熟バナナだから、そのまま食べても、皮がついたまま焼いて食べても、トロッとした甘味がお口を天国に連れていってくれるはずよ。
剥くだけですぐに食べられるから、ここを訪れる冒険者の栄養補給にも最適ね。神さまのお恵みですくすくと育ったから、わたしたちが立ち去ってもこのままここに生えていると思うの。
そうそう、さっき試しに、結界を張ってくれている大盾の隣にバナナを一房置いたら、ぴかっと光って消えてしまったの。今頃は闘神ゼキアグルさまもバナナをもぐもぐしていると思うわ。
「……ははははは、今夜も豪勢だな!」
少し顔を引き攣らせた虎が、天に向かって笑い「デザルクラーを焼くならば、もっと薪を集めてこよう!」と森の中に消えた。なかなか頼りになる虎である。巨大なカニを焼くには大量の薪が必要なのだ。
「さて、これは石焼きにするわけにはいかないわね」
日本でお馴染みのタラバガニなら、ジェシカさんが用意してくれた石の上で焼きガニが作れるけれど、デザルクラーはタラバガニよりもずっと大きいのだ。
「デザルクラーの料理は俺に任せろ」
セフィードさんはそう言うと、出来上がった物干し台のようなところにカニ……もう、カニでいいわよね、巨大なカニを二杯、蔓で縛ってぶら下げた。
「この下で火を起こして、デザルクラーを丸焼きにする。この蔓は魔物の一部だから、火に強くて焼け落ちない」
「まあ、さすがだわ。まさに男の料理ね」
ワイルドな野外料理をするセフィードさんが、男らしくてカッコいいわ!
彼はカニの下に薪を積み、ふたつの木切れを激しく擦り合わせて火を起こした。そして、それを薪の下に差し込んでふうっと息を送ると、あっという間に燃え上がった。
「俺はドラゴンだから、火の扱いは得意なんだ」
彼は、驚くわたしにふっと目を細めて笑った。
「砂漠に棲む魔物だから、かなりの強火で炙らないと中まで火が通らないと聞いている」
「そうなのね……それにしても、すごい火だわ」
それはもはや『業火』と呼んでもいいくらいにボーボーと燃えている。
「ポーリン、火傷するといけないから、離れたところで待っていろ」
彼はそう言うと、わたしを抱き上げて安全なところに運んでくれた。
「ふふっ、優しいのね。セフィードさん、ありがとう」
「優しいのはポーリンの方だ。こんなに可愛いのに、俺のような男と結婚してくれるなんて……」
「セフィードさん……」
「火も熱いが、あんたたちの方が熱い!」
突っ込まれたので見ると、いつのまにかバラールさんが戻って来ていた。
「お帰りなさい」
「これだけ薪があれば足りるだろう」
彼はまた大量の薪を運んできてくれていた。
黒いカニは全体が火に包まれて、次第に色が赤く変わっていく。薪はたっぷりあるので安心だ。
わたしは持ってきた小麦粉に、近くの小川から汲んできた水と蜂蜜、そして塩を混ぜてこねた。簡単な焼きパンを作るのだ。竈の下でも火を起こして、細長く伸ばして木の枝にくるくると巻きつけたパンだねを、火のそばの地面に刺す。
カニを焼いてる方の火では、強すぎて丸焦げになりそうだからだ。魔物のカニだけあって、かなりの猛火で焼いているんだけど、焦げたりしていない。ただ、いい匂いがあたりに立ち込めて、お腹が鳴るのが辛いわ。
「ポーリンさま、いろんなものが見つかりましたよ」
ニコニコ顔のジェシカさんが戻ってきたので、彼女の戦利品を見る。
潰すと美味しい油が出てくる殻入りの胡桃に似た木の実に、味の良いキノコ。炒めて食べると美味しい野草も何種類かあるし、野生のニンニクもある。それに、小さなジャガイモに似た芋も。これは、焚き火の中で焼くとほっくりして美味しいので、すぐに火に入れた。これらはみんな、カニの良い付け合わせになる。
ジェシカさんが木の実を割って次々に取り出してくれたので、わたしはそれを石の上ですり潰し、出てきた油でキノコと野草とニンニク、そしてカランバードの肉を濃いめに味付けして取っておいたものを加えて炒めた。
「食欲をそそるいい香りがしますね」
「そうね、炒めたニンニクは風味が良いし、元気も出る素晴らしい食材よ」
見ると、真っ赤に焼けたカニをセフィードさんがドラゴン化した爪の先で突いている。
「音が変わった。焼けたようだ」
そして彼は、その怪力でカニの脚を一本ちぎり取り、わたしの方に持ってきた。
「セフィードさん、熱くないの?」
「俺はドラゴンだから、火山の火口に入っても平気なくらいに火には強い」
両手をドラゴン化させたセフィードさんはカニ(というか、ものすごく固いことで有名なデザルクラー)の脚をバキバキッと折った。すると、ふわっと湯気が上がり、中から白いカニの身が現れた。
ぷりぷりである。
美味しそうなカニの汁が滴り落ちている。
なあああああんて美味しそうなのーっ!
セフィードさんはカニの身をふうふうして冷ましてくれてから「ポーリン、あーん」とわたしに差し出した。
「あーん……んんんんんんん、んまっ!」
美味しい!
カニ、美味しい!
美味しい、美味しい、美味しい、美味しい、美味しい、美味しいいいいいいいーっ!
美味しいの那由他倍!
わたしの語彙が飛んでいった!
「なにこの、甘味と旨み……ふわんとしてぷりんとしてジューシーな、汁気たっぷりのピチピチしたカニ肉! 美味しい! 美味しいとしか言えないわ……なにもかけなくても美味しい……まずは、岩塩を振っていただきましょう。それから、レモン醤油の登場よ!」
親切なセフィードさんは、ばっきばっきとカニの脚を割って、ジェシカさんとバラールさんに手渡してから、自分も食べ始めた。
「……これは美味いな」
目を見張るセフィードさんに「きっと焼き方が最高に上手だったからよ。ありがとう、セフィードさん」とお礼を言うと、彼は少し照れながら「ポーリンが喜ぶといい、と思いながら焼いたからかもしれないな」と笑った。
うわあああああん、好き!
セフィードさんが大好きすぎてもう、もうっ!
隣ではジェシカさんもバラールさんも、カニ脚のあまりの美味しさに言葉もなく、ひたすらカニを味わっていた……はずなのに、わたしたちをちらっと見て「デザルクラーの身も甘いが、このふたりはもっと甘いな」「ですよねー。お砂糖マシマシで、口がジャリッとする感じですよね」「そら、この岩塩を振るといい」「このしょっぱさで生き返りました」なんて言いながら、仲良く塩をカニにかけていた。
めちゃくちゃカニ食べたい。




