シャーリーの事情 その5
ディラさんが腕を振るった夕飯は、とても美味しかった。
お屋敷に住むグラジールさんとディラさんの役割は家令とメイドだけど(妖精として存在するための事情があるらしい)実際は家族のようなものなので、いつも通り、ふたりも一緒にテーブルについて一緒に食べた。
今夜は、ディラさんが言っていた通り、よく煮込まれてお肉が柔らかくなったビーフシチューと、とれたて野菜のサラダにアンチョビドレッシングをかけたもの(このアンチョビは、軍艦に乗っていた時に食べたものだけど、あんまり美味しいので王都からお取り寄せをしているのだ。ちなみに、運ぶのはドラゴン便にお任せよ)焼きたてのパンとチョコレートケーキにアイスクリームを添えたものというメニューだ。
フルコースのディナーではなく、気のおけない同士の楽しい夕食メニューである。
けれど、ツインテールビルや『神に祝福されし村』の祝福された農地で採れた野菜が材料である上、最近は料理を作ることにハマっているディラさんの心がこもっているのだ。
「美味しい! このシチュー、とっても美味しいですね」
「ネズミちゃんにそう言ってもらうと、がんばった甲斐があるってもんっすよねー」
ディラさんは、わたし以外の人に料理を振る舞うのは初めてなので、少し緊張していたのかもしれない。シャーリーちゃんが上品にスプーンを使って「お肉が柔らかーい」といい笑顔でシチューを食べる様子を見て「へへっ」と笑い、嬉しそうな顔をした。
食事の後は、時間を見計らって焼いておいたまだ温かいフォンダンショコラだ。
「おおっ、ケーキを切ったら、中からチョコレートがとろって出てきたっすよ! さすが奥方さま、芸が細かいっすね、こんなの初めて見るなあ……ふううっ、とろ甘ぁ、これは美味しいっすね」
ディラさんが、初めてのフォンダンショコラを食べながら感想を言った。
「うふふ、ありがとう。溶けたチョコレートって格別に美味しいわよね。この前、セフィードさんがお土産にものすごく美味しいチョコレートの塊を買ってきてくれたから、いろんなデザートが作れて楽しいわ。セフィードさん、ありがとうございます」
わたしがお礼を言うと、中から流れ出てきたチョコにびっくりしていた可愛いドラゴンさんは「んっ」と満足そうに頷いた。
「そうっすね、旦那さまのおかげっすね。一昨日でしたっけ、奥方さまがチョコレートババロアって言う、もんのすごく美味しいやつを作ったのは! あれはぷるんぷるんして、奥方さまのほっぺたみたいでしたよねー。あれも面白い食べ物っすね」
「あら、ディラさんはチョコレートババロアが気に入ったのね」
「チョーお気に入りっすよ! マジ美味しいです、ぷるぷるが口でとろんとろんになって、甘くてチョコレートの味がぱーっと広がって! 後で作り方を教えて欲しいっす。シャーリーちゃんにも食べさせてあげたいんで。ね?」
「食べたいです、すごく美味しそう……」
「うんうん、可愛いネズミちゃんのお口に、甘くて美味しいババロアをあーんしてあげるっすよ」
「わあ、嬉しい!」
シャーリーちゃんが、子どもらしく顔を輝かせて大きな声で言ったので、バラールさんは驚いた顔で彼女を見た。
そう、先日「そうだわ、ゼラチンを使ったお菓子が食べたいわ」と思いついて、ツインテールビルの骨からゼラチンを作ってみたのである。
寒天は天草という海藻から作られるが、ゼラチンは動物の骨や皮から作る。いわゆる『コラーゲン』と呼ばれる健康にも美容にも良い成分なのだ。
ツインテールビルの骨をよく洗ってから、神さまのご加護で浄化して煮込むと、不純物がすべて取り除かれたためか、とても澄んだゼラチン液ができた。それを水で薄めて砂糖とレモン汁を入れて果物を固めるだけでも、光の中でキラキラと輝く、子どもたちが大喜びするおやつになるのだが、わたしはこれもこの村の特産品にできるかもしれないと思いついた。
というわけで、濃いゼラチン液を固めて乾かしてから粉砕する、という方法で粉末ゼラチンを作り、様々なデザートを作って研究している。そのうち、オースタの町で開いているカフェ『ハッピーアップル』でも出すつもりだ。
そのゼラチンを使い、先日、搾りたてミルクの生クリームとチョコレートを合わせて、ミルキーでぷるんぷるんのとろけるチョコレートババロアを作ったのだ。
「あたしは妖精なんですけど、なんか、あれを食べた後にやたらとお肌がもっちもちぷるっぷるしてきたんっすよねー。なんすか、奥方さまのほっぺたが感染るデザートなんっすか?」
「ディラ、奥方さまを病原菌みたいに言うのはやめなさい」
いや、グラジールさんの方が失礼だからね!
伝染してないから!
でも、コラーゲンは美肌にいいと言われているし、神さまのご加護で作ったゼラチンには、さらに特別な作用があるのかもしれないわね。売り出す時に『美人になるデザートはいかが?』ってうたい文句に入れてもいいかしら。
そんな会話をしながら、和やかに夕食が終わった。
わたしたちは食後のお茶を飲みながら、いよいよバラールから話を聞くことにする。
「ガルセル国は、今はどんな状態なのかしら」
わたしが尋ねると、シャーリーちゃんの表情から子どもっぽさが消えた。バラールが席を立ち、彼女の後ろに控える。
「聖女ポーリンさま、改めまして名乗らせていただきます。わたしはガルセル国の第五王女にして聖霊の聖女である、シャーリー・アラベラ・ガルセルと申します。この度は、救いの手を差し伸べてくださいまして、ありがとうございました」
シャーリーちゃんは頭を下げて言った。
「こうしてポーリンさまにお会いすることができたのも、聖霊さまと、ポーリンさまの神さまのお導きだと存じます。謹んでご加護にお礼を申し上げます」
「そうですね、すべては神さまのお導きなのでしょうね」
わたしは、ガルセル国を守る聖霊も、わたしがお仕えする神さまも、ひとつに繋がった存在だと思っている。レスタイナでの教えは『神は幾多にしてひとつ』なのだから。いろんな顔がある神さまたちは、実はひとつの存在である、ということなのだ。なにしろ神託で神さま本人がおっしゃっているのだから、間違いはない。
「聖女としてのシャーリーちゃんに、神さまからなにか神託のようなものはありましたか」
「はい」
彼女は力強く頷いた。
「恥ずかしながら、ガルセル国では神さまの使いを名乗る人間たちに聖霊の祠を蹂躙されてしまい、王家の者たちは彼らに軟禁されています」
「軟禁、ですって?」
わたしは思わず立ち上がって、セフィードさんを見た。
彼は顔をしかめながら「予想以上に穏やかでないな」と呟く。
「そのことは、ガルセル国内外に伝わっていないのか?」
セフィードさんが尋ねると、バラールが口を開いた。
「可能性は少ないと思う。ガズス帝国の密偵がガルセル国内に潜んでいる可能性はあるが、作物の収穫が減ったのと徴兵とで国内の様子は不安定だ。そのどさくさに紛れて王族が軟禁されたから、まだ情報は外部には漏れていないだろう」
シャーリーちゃんは、暗い表情をした。
「神殿のものは、巧みに情報を操作して、神官が我が物顔に振る舞っている今の状況を、ガルセル国王家が認めているかのように思わせているのです。神官たちは人間ですから、獣人たちを従わせることができません。しかも、国民が信仰する聖霊を蔑ろにしているのですから、反発されることは必至です。そこを、王族の後ろ盾があると偽って、人々を無理矢理に抑えつけているのです」
わたしは「神さまを騙って、王家を騙って、二重の意味でまったくもって許しがたい者たちですね」と目を細めた。
「わたしたちは、聖霊の祠の上に建てられた神殿の中に閉じ込められていました。王宮の隣にあった、風の祠の上です。閉じ込められてから半月ほどが過ぎたある日、わたしの元に聖霊の光が現れて、こうおっしゃいました。『わたしの大事なお客さま 砂を越え 森を越え わたしの大事なお客さま 天の祠に空の実を 土の祠に炎実を 風の祠に光る実を 納めて天に祈りませ』と。その後には、何度お呼びしても聖霊の光は現れませんでした。弱った力を振り絞り、神託をくださったのではないかと思います。そして、その数日後に、光がバラールを連れてきたのです」
「俺が非番で部屋にいたら、聖霊の光が現れたんだ。急いで剣を掴んで追いかけると、王族しか知らない隠し扉から緊急脱出用の通路へと連れて行かれて、そこを進んでいったら神殿に通じてシャーリーさまの閉じ込められている部屋に着いた」
「そしてわたしは、他の王族の勧めでバラールと共に軟禁されていた部屋から脱出し、砂の砂漠と魔物の森を越えてやって来たのです」
「そうだったの……」
ふたりは過酷な旅をして、ここにやって来たのだ。
「ポーリンさま、ガルセル国には三つの祠があって、その周りにはいつも果物の木が育ち、たわわになっていました。しかし今は、聖霊の力が弱り、木が次々と枯れているそうです。王宮の風の祠にも、以前はギリルという木がたくさん生えていて美味しい実をつけていたのですが、数個しかならなくなり、やがて神殿を建てるためにとすべて斬られてしまいました」
「木が……なるほどね。もしかすると、木が元気に育つことによって聖霊の力も強まるのかしら?」
「そうだと思います。そして、聖霊のお力で作物もよく実るので、祠に力を取り戻すことがガルセル国の飢饉を救うことになると思うのです」
そう、それでシャーリーちゃんはこの『豊穣の聖女』の元へと導かれたのね。
「か弱き乙女でいらっしゃる聖女ポーリンさまに、このようなことをお願いするのは心苦しいのですが……我が国を救ってもらえないでしょうか」
真面目に話しているのに、バラールは鼻に皺を寄せて余計なことを言った。
「か弱き乙女? そんなものがどこに……ぐっ」
「俺の妻……になる人に、なにか文句でもあるのか、虎よ」
バラールが、またしてもセフィードさんに『猫持ち』されて、ぷらーんとぶら下がっている。
「そうよ、バラール。わたしは心優しきか弱き乙女なのよ? ……ちょっとばかり闘神ゼキアグルさまに贔屓されてるけど、基本的にはか弱いのです」
「か弱き、者が、あんな森の中に、やってくるわけが、ないだろうが! しかも、おやつを、山ほど、持参して!」
虎はもがきながら言い、それを見たディラさんがけらけら笑った。
「奥方さまはか弱くて可愛い女の子だけどさ、食べられるとなると虎も食べちまうから、口には気をつけた方がいいっすよ」
「……」
虎の動きがぴたりと止まった。
もう、いやねえ。
わたしはドラゴンも虎も食べません。
今食べたいのは、スリーテールビルのお肉なのよ、おほほほ。
どこかにいないかしらねえ。




