シャーリーの事情 その3
「バラールの態度が、かなり軟化していたわね。身体の汚れと一緒に気持ちのしこりも流れ落ちたのかしらね」
シャーリーちゃんのところに戻りながらセフィードさんに言うと、彼は「そうだな」と頷いた。
「危険な旅をしてきたから、山で会った時には気持ちがささくれ立っていたのかもしれないな」
「ささくれ立って、ね。ガルセル国を飛び出して、何日も砂漠やら魔物の山やらをさまよっていたとしたら……シャーリーちゃんが、かわいそう」
「そうだな。虎はともかく」
わたしに対してかなり当たりが強かったから、暴言を思い出すと虎に対しては優しい気持ちになれないわね。
「ポーリンを悪く言ったこと、俺は許してないから。ただ、あのネズミの子に免じているだけだから」
セフィードさんも、優しい気持ちになれてないみたいね。
しかし、彼にとって、わたしを見ただけで拒否反応が出るほどに『人間』は問答無用で敵だったということだ。ガルセル国で、人間が余程の暴挙に出ているのだろう。
あの国は、今はどうなっているのだろうか。
村の人たちの祖国でもあるから、もしかすると彼らの縁者や親戚もまだまだ多く残っているのかもしれない。
「バラールの態度があれくらい落ち着いているなら、ディラさんと喧嘩にならないと思うし、お屋敷の方に連れて行けそうだと思うの」
嘆きの妖精のディラさんは、思ったことをそのまんま言っちゃうし、わたしのことを気に入ってくれているから敵には容赦ないのよね。虎が失礼なことを言ったら、耳元で、例のものすごい変顔をしながら叫び声をあげるかもしれないわ。
「彼らの話の内容によっては、村の人たちが聞いたら心を傷つけてしまうかもしれないから、向こうで詳しく聞きたいのよ。あと、シャーリーちゃんには消化の良い夕飯も食べさせておきたいし」
「そうだな、碌な内容ではなさそうだろうから、聞かせたくないな……。俺も、皆の気持ちを傷つけたくない」
村の人たちのことをとても大切に思っている優しいセフィードさんは「グラジールたちに話してくる」と言って、空へと飛び立った。
「……自由に空を飛べるって素敵ね。どんな気持ちがするのかしら」
みるみる小さくなるセフィードさんを目で追いながら、わたしは思った。
というわけで、わたしはリアンとミアンの家に行った。
「あっ、聖女ポーリンさま」
わたしの姿を見たシャーリーちゃんが座っていた椅子からポンと立ち上がったので、「あら、そのまま座っていなさいな。身体の調子はどうかしら?」と言った。
「はい、とても元気になりました。ここに来た時にとても美味しいすりおろしたりんごを食べさせてもらって、そうしたら身体の中から力が湧いてきました。バラールも、すごい勢いでりんごを5個くらい食べていました。わたしはすぐに起きられるようになって、美味しいアップルパイも食べて……今はチーズパンを食べています」
シャーリーちゃんの手には、炙ったパンの上に、これもとろけるまで炙ったチーズが乗せられている、とても美味しいものがあった。
ルアンが、わたしにお茶を入れてくれながら笑顔で言った。
「甘い物を食べた後は、塩辛いものが欲しくなりますし、シャーリーちゃんが遠くから旅してきたのなら、塩分が不足しているかもしれないと思ったんです。それに、チーズは身体に力がつく良い食べ物ですからね」
「それは良い判断だと思うわ。ありがとう、ルアン」
わたしが褒めると、犬のお母さんは嬉しそうな顔をした。
自分で言うのもなんだけど、わたしは豊穣の神さまに仕える聖女だから、食べ物に関しての発言は神さまを代弁しているとみなされるのだ。
つまり、ルアンは神さまに褒められたことになる。
「そういえば、村の子どもたちはどこへ行ったの?」
「畑仕事と後片付けの手伝いをしに行きました」
子どもとはいえ、この村では大切な働き手なのだ。元々身体を動かすことが大好きな元気な子ばかりなので、美味しい作物ができる畑のお世話を楽しんでやっている。よく食べ、よく働き、よく遊ぶこの村の子どもたちは、みんな健康で、出会った頃には栄養が足りずに痩せ細っていたけれど、順調にふくふくと太ってきている。
と言っても、動きも代謝も激しい獣人なので、ほとんどは筋肉なんだけどね。
「ただいまー!」
ミアンの声が明るく響いた。続いて「虎のバラールさんを、ケントさんのところに連れて行きました。きちんと身だしなみを整えてきましたよ」というリアンの声もした。
「お疲れさま。ふたりともありがとう……ね? え?」
「おじさんの毛が減ったでしょ」
「さっぱりしましたよね」
え?
嘘?
「あなた……バラール?」
「おう」
ひゃああああ、声がバラールだわ!
「あなた、そんなに若かったの?」
そこにいたのは、おじさんではなく精悍な好青年だったのだ。しっかりと筋肉がついたたくましい体つきで、髪は短く切り揃えられ、髭もなくなっている。
「驚いたわ、わたしはてっきり、40歳くらいの男性だと思ってたもの!」
「よ……酷いぞ! 俺はまだ20代だ!」
ワイルドなイケメンと言ってもいいくらいの姿に変身したバラールが、頬を引きつらせて言った。
「そうなの?」
「そうだ、あんたと同じくらいだぞ」
「わたしと同じ?」
え、待ってよ。わたしはまだ、ぴちぴちの19歳なんだけど……いくら若返っても、さすがにあなたは19歳には見えないわよ?
だが、彼は言った。
「そうだ。俺は28歳だからな。あんたもそれくらいだろう?」
「にじゅうはち……」
わたしはしばらく沈黙して、それから言った。
「わたしは19歳よ」
その場が静寂に包まれた。
ルアンが両手で口を押さえている。
虎が突然、素っ頓狂な声を出した。
「……うえええええーっ? 嘘だろ、そのでっぷり……どっしり……いや、その貫禄があるから、てっきり、俺と同じか、下手すると歳上だと思ってたのに! ってことは、俺は、19の小娘に叱られてたのか?」
「な、あなたより歳上ですって?」
「いや、その腹肉……ふくよかさだろ。なんだかお母さんっぽいし、とても20歳そこそこには見えない……から……」
なんという。
なんという!
失礼な虎でしょう!
独身のうら若き聖女に対して、言ってはならないことを言いましたね!
「……虎よ。そこに直りなさい」
わたしは威厳を込めてバラールに言った。
彼は及び腰になり、数歩後ずさる。
「お、おい、やめろ、その後ろに背負った恐ろしい光はなんだ、それを俺にぶつける気なのか?」
「天罰です」
「やあめえろおおおおおおおおおーっ!」
虎が猛ダッシュで逃げて行った。
そして、ドラゴンさんに捕獲されて帰ってきたのであった。
「いろいろすまん。本当にすまん。悪気はまったくなかったんだ、すまん」
自分よりもずっと細いセフィードさんにぷらーんとぶら下げられた虎が、丸まった哀れな姿で言った。
「……すまん」
うううっ、許したくないわ!
わたしとシャーリーちゃんは、仲良く籠に入って空を飛んでいた。
「お屋敷はすぐなのよ。料理上手なメイドがいるからね、楽しみにしていて頂戴」
「はい、ポーリンさま」
美味しい予感に、ネズミちゃんの目が輝いた。
「あと、見た目はものすごくカッコいいというか、綺麗な家令のお兄さんがいるんだけどね。彼は触った物をことごとく壊してしまうという残念な美形さんだから、大切なものは渡さないようにしましょう」
「はい。なんだかすごい人ですね」
「いい人なんだけどね、とても残念な感じなの」
彼を森に放り込んだら、すべての魔物を倒すんじゃないかしら、と思う時があるわ。
でも、森自体が壊滅してしまう危険があるから、やらせないけどね。お肉が取れなくなったら大変だもの。
わたしたちが仲良く女子トークをしている下では、全力疾走している虎がいる。
籠は定員いっぱいなので、男子には身体を張ってもらいましたのよ、決してさっきの報復ではないの、おほほほ。
でも、セフィードさんに放してもらってから、アップルパイとチーズパンをもしゃもしゃ食べたバラールは、顔色もいいしむしろ力が有り余っている感じだったので、これくらいは食後の腹ごなしなのだろう。
「ねえ、バラールってどんな人なの?」
わたしはシャーリーちゃんにこっそり尋ねた。
「彼は王家に仕える剣士です。とても強くて、厳しくて……とても優しい人なのです。わたしのことをよく守ってくれました。わたしがケガひとつせずにガズス帝国に来られたのも、バラールが剣が折れるほど魔物と戦い、守ってくれたからなんです」
「そうなの。厳しい旅だったのね」
シャーリーちゃんは、こくりと頷いた。
「けれど、国に残してきた家族や国民のことを考えると、これしきのことで弱音を吐くわけには参りません。皆が大変な時にわたしひとりが、こんなに良くしてもらって、美味しいものを食べさせてもらって……」
シャーリーちゃんは目を潤ませた。
この子はあれほど衰弱して、お腹もすいて喉も渇いて、歩けないほどに弱りきっていたというのに、まだまだ弱音を吐いてはならないと思っているのだ。
「わたしは、ポーリンさまはもうご存知だと思いますが、ガルセル国の末の姫にして聖霊の聖女なのです。皆に大切にしてもらっているわたしには、皆の苦境を救う義務があるのです。ですから、ひとりバラールを連れて、国から逃亡してきました」
「大変でしたね」
「……」
シャーリーちゃんは、口をきっと結んで、ひとことも弱音を吐かなかった。
けれど、鼻をひとつ、すんっと言わせた。
幼いお姫さまは、王族としての覚悟をして生きている。この小さな肩に、ガルセル国を背負っているのだ。
「よくがんばりました。あなたのがんばりは、神さまが全部おわかりですよ。さあ、この甘いお菓子をお食べなさい。チョコレートの柔らかなボールは、身体と心の疲れを癒やしますからね」
わたしがシャーリーちゃんの口にトリュフチョコレートを入れると、ネズミのお姫さまは小さな両手で頬を押さえて「美味しい」とにっこりした。




