シャーリーの事情 その2
泉に行くと、下着1枚の姿のバラールが泡にまみれていて、そのマヌケな姿にわたしは目を見張った。
「あらま……見事に丸洗い中だわ!」
犬耳をつけた可愛いリアンとミアンの姉妹がシャボンの葉でわしわしとバラールを擦り、これでもかと泡立てている。
予想に反して、虎がおとなしい。
いい歳をしたおじさんなのに、いちいち突っかかってくる失礼な虎ではあるが、犬の姉妹に泡立てられながら、ご丁寧に頭の天辺までソフトクリーム型の泡を乗せられて、なす術もなく立ち尽くすバラールを見たら同情心が湧き起こってしまった。
彼は、わたしに対しての反抗的な態度とはうって変わったとても優しい目で、無邪気な子犬たちを見ながら言った。
「お嬢さん方、もうこれくらい泡立てばいいと思うんだがなあ……かなり綺麗になったんじゃないか?」
「あらダメよ、わたしたちの犬の鼻がいいと言うまでは、よく身体を洗いますからね! もう、虎さんほど汚れた人を見るのは初めてですよ。ネズミちゃんが朦朧としてたのは、臭いのせいもあったんじゃないかしら」
お姉さんのリアンが、腰に手を当てて弟をたしなめるような口調で言い、バラールは「なんだと、俺の臭いでシャーリーさまが……」と衝撃を受けた表情になった。
ええ、リアンの意見をわたしも支持するわ。
ネズミのお姫さまは、臭いとは言えず我慢していたのね。かわいそうに。
そう思いながら、わたしとセフィードさんは気配を消して様子を伺う。
セフィードさんは陰に生きる冒険者、すみっこ大好き『黒影』さんなので、このように潜伏するのも得意なのである。
わたしは、若干、若干よ、存在感が大きいので大変なんだけど、セフィードさんに習いながら獲物を見つけたら身を潜めて気配を消す訓練をしたので、キャッキャと虎の丸洗いをするふたりと洗われる哀れな虎に気づかれることはない。
「この泉は少し温かいでしょう? この通り、シャボンの葉がとても泡立つのよ。寒くないはずだから、もう少し我慢してね。ミアン、背中にもよく泡を立てるのよ」
「はーい。虎のおじさん、ミアンの手が背中に届かないからちょっと屈んでくれる?」
「こうか?」
「虎さん、前の届くところはご自分で洗ってくださいね」
「おう」
「パンツの中もですよ」
「お、おう」
リアンに言われて、中腰の虎は自分の身体を擦った。
素直だわね。
そう、この泉は温泉ではないかと思う。ちょっとぬるいので、沸かさないとダメだと思うけれど、獣人たちにはちょうどいい温度らしくて、石鹸の代わりになるシャボンの木を周りに植えたら、みんな喜んで身体を洗いにくるようになったのだ。
女性と男性とが時間を分けて使っているけれど、そのうち掘り広げて男湯と女湯を作ろうかなと考えている。
で、その泉の浅い所に立っているバラールは、困った顔をして、犬の姉妹に丸洗いされている。
「いや、寒くはないから大丈夫だ」
中腰をキープするのは大変だと思うけど、さすが剣士だけあって姿勢が安定しているので、わたしは感心した。
「あわあわー♪ あわあわー♪」
「なあ、こっちのお嬢さんは、目的を見失っていないか? 一緒に泡だらけになってるぞ」
「わーいわーい、すごく泡ができて面白いね!」
楽しそうなミアンが尻尾を振ると、シャボン玉が空中を舞った。
なるほど、あの子は目的を見失っているようだ。
「見て、あんなにシャボン玉が飛んで行ったよ」
「ミアン、シャボン玉遊びは後にしなさいね。そうね、そろそろ臭いが取れてきたかしら……ええ、もうよくてよ」
リアンがふんふんと匂いを嗅いでから、おしゃまな感じに顎に人差し指を当てて、おすまし顔でバラールに頷いた。
「それじゃあ、そっちの川の近くに行ってください。身体を洗い流しましょうね。そこで流すと汚れた水は川の方に流れていくから、泉は綺麗なままなのよ」
「ほほう、うまくできているもんだ……うわっ!」
その時、わたしとセフィードさんに気づいたバラールが、慌てて前を隠そうとした。
パンツを履いているから大丈夫ですよ。
「な、いつの間に?」
パンツ一丁の虎のおじさんを見ても動揺しないわたしは、鼻でふんっ、といった。
「お気になさらず結構よ、今さら照れなくてもよろしいわ。リアン、ミアン、ありがとう。よく洗えたら、この服を着せておやりなさいな」
わたしは、バラールのために町で買ってきた服を、近くの木にかけた。
「虎のパンツもある」
殿方の下着を持つのは、さすがにはばかられると思ったので、セフィードさんにお任せしていた。彼は服の上に下着を乗せた。
ちなみに、虎のパンツはしましまではなくベージュだ。
「奥方さまー! 見て見て、泡がたくさんですごいでしょ!」
「そうね、ミアン。とても上手に泡立てたわね。きっと虎のおじさんは、ふわふわの柔らかな毛並みになったわよ」
「ふわふわ……お髭もふわふわになるかな。よくあわあわしておくね」
ミアンに髭のあたりをもしゃもしゃっと洗われて、バラールは、眉をへの字にして情けない顔になった。しましまの尻尾が力なく垂れている。
「いや、その、これは……」
幼い女の子に丸洗いをされる虎は『自分には変な趣味はない! 誤解しないでくれ!』と鋭い眼光でわたしたちに伝えようとした。
わたしは厳かに言った。
「保護者のあなたがしっかり洗って身体を清潔に保たないと、シャーリーちゃんの健康にも教育にも悪いと思いますよ。そうだわ、彼女は今、美味しそうにアップルパイを食べていたから大丈夫ですから、安心なさいね。ほっぺたもピンク色をしていたし、かなり元気を回復してきたみたいだわ」
よかったわね、と言うと、バラールは「……この村の人々には、とても親切にしてもらった……その、助けてくれて感謝する」と軽く頭を下げた。
「虎さん、もっと下に下げてください。そして、目をつぶってね」
下げた頭にリアンが遠慮なく水をかけて、泡を洗い流す。
「リアン、タオルは持ってきたわね?」
「はい、奥方さま」
しっかり者のお姉ちゃんに抜かりはないようだ。
「それじゃ、虎さんを拭いて新しい服を着せたら、連れて戻ってきてね」
「わかりました、お任せください、奥方さま。……ミアン、もう綺麗になったから、あわあわしなくていいよ」
せっかく流したのに新たな泡を立てられた虎は、とうとうその場に座り込んであぐらをかいた。そこにリアンがじゃぶじゃぶと水をかける。
リアン、容赦なくて素敵よ。
「あわあわ遊びはすごく面白かったね! おじさん、また遊ぼうね、今度はシャーリーちゃんも一緒にあわあわしようっと」
「またやるのか? しかも、姫さままで参加、だと?」
「わーいわーい」
ミアンは手のひらにすくって、バラールに水をかけて笑った。
ふと気がつくと、泡の中から半裸のおじさんが現れてきていたので、わたしは回れ右して退散することにしたが、ふと足を止めた。
「そうだわ。そのもじゃもじゃっとした頭と髭も、なんとかした方が良くない?」
わたしの言葉を聞いて、リアンが言った。
「奥方さま、わたしも気になってたんです。狐のケントさんに、虎さんの身だしなみを整えてもらったらどうですか?」
「そうね、彼はセンスがいいから、きっとこざっぱりするように髪と髭を整えてくれるはずよ。リアン、お願いできる?」
「はい、お任せください」
リアンは、もう子どもから少女になろうという年頃なので、いろいろと気が利くしっかり者なのだ。
「おい、待ってくれ、俺の意見は無視されるのか? この髪と髭は虎としてのアイデンティティというか……」
「おじさん、狐のお兄ちゃんにカッコよくしてもらうといいよ!」
ミアンは無邪気に言った。
「身だしなみを整えてない獣人は、ほんっとうにモテないからね。虎のおじさん、やっぱりお嫁さんはいないの?」
「うぐっ」
「狐のお兄ちゃんはモテモテなんだよ。で、可愛いタヌキのお嫁さんが来たの」
「うぐうううっ、おのれ狐、羨ましい……それに引き換え、俺は……」
「そのもじゃもじゃがいけないと、ミアンは思うよ」
「虎としての……アイデンティティが……少女に全否定……」
純粋な子どもの言葉がバラールの心を抉ったようだ。彼は両手を泉の中についてしまった。
ミアンの容赦のなさも、素敵よ。
有名な剣士をあっさりと斬り伏せてしまったミアンは「大丈夫、これからだよ、あきらめたらおしまいだよ。ミアンがケントお兄ちゃんによく頼んで、おじさんをハンサムな虎にして、素敵なお嫁さんをもらえるようにしてあげるから。ね?」と虎を慰めた。
「このミアンに任せてよ!」
「……おう」
虎は、完全降伏したようだ。
次回、『虎、丸刈りにされる』をお楽しみに!
(↑うそです)




