ポーリン、冒険する その7
「バラールが……酷いケガを。どなたか存じませんが、お願いします……どうぞこの人を……バラールを、助けて、くだ……」
「シャーリーさま!」
バラールは、真っ青な顔をしながら自分を気づかう少女を見て、顔を歪めた。泣きそうな虎になっている。きっと、とても大切な女の子なのだろう。
「おね……が……」
そのまま、意識を失ったようだ。
「シャーリーさま、しっかりなさってください! ああ、姫……」
「わかりました。この失礼な虎は必ず助けるから、安心なさい」
わたしは目を閉じたままの少女に言った。
「バラール、あなたが喧嘩腰でいると、その子は大変なことになるわよ。こんなに小さな子に気遣わせて恥ずかしいと思わないの? 早く手当をしましょう」
「偽聖女のお前の言うことなど」
「はいはい、わかったわ。そんなにわたしのことが嫌いなら、わたしはなにもしないから落ち着きなさい。ジェシカさん、このバラールはわたしに対して偏見を持っているみたいだけど、悪人ではなくこのお嬢さんのことを守っている、そういう認識でいいのかしら」
「……そうですね、ポーリンさま。悪人ではない、というのは保証できませんが。でも、獣人の風上にも置けないかなり嫌なやつなんで、こいつは助ける必要はないと思います」
「あらま。温厚なあなたがそんなに怒るなんてね」
ジェシカさんは、吐き捨てるようにして「虎は捨てておいて、女の子の手当てはお願いします」と言った。余程頭にきているようだ。
「ほほほ、わかりました。セフィードさん、町に戻ってわたしの乗ってきた籠を持ってきてもらえるかしら? このふたりを『神に祝福されし村』に連れていきましょう。向こうに着いたら、村に住む獣人の仲間たちがあなたたちの手当てをしてくれるわ。わたしは手を触れません。バラール、それならいいわね?」
「偽聖女め、この俺を呼び捨てにするとは……」
「失礼な虎に敬語は要りませんわ。あのね、有名な剣士だかなんだか知らないけれど、他人に礼儀を求めるなら、まずは自分からですよ! 今のあなたは躾がなっていない虎です、立派な大人がそんなことでどうするのですか、そんなことではそのお嬢さんに恥をかかせますよ!」
「な、なんだと、貴様、貴様は……」
「そのお嬢さんが大切ならば、あなたはもっときちんとなさい!」
わたしはピシャリと虎を叱りつけた。虎は「ぐぬぬぬ」と唸り、なにも言えなくなった。
「セフィードさん、わたしたちはここにゼキアグルさまの結界を張って待っているわ」
わたしは大盾を地面にさくっと刺して、表面に彫られた神さまの名前を指でなぞって微笑んでから、天に向かって祈った。
「闘神ゼキアグルさま、ポーリンの名においてお願い申し上げます。この場に護りの加護をくださいませ」
すると、盾の名前から赤い光が頭上に広がり、わたしたちの居場所を包むように降り注いだ。いつもながら、頼もしいご加護だ。
「さすがはゼキアグルさま、素晴らしい結界ですわ……しかも、とても美しいです。いつもご加護をありがとうございます」
すべての魔物から完璧にわたしたちを守ってくれる、きらきらと光る中で、バラールはぽかんと口を開けた。
「な……んだ、これは。こんなものは見たことがない……貴様はいったい……」
「これは神さまのありがたい結界ですよ。この中には魔物は入ってこれないし、血の臭いも外に漏れないから気づかれにくくなるから、ここにいれば安全なのよ。じゃあ、セフィードさん、よろしくね」
「わかった、すぐ戻る」
彼は背中のバッグをわたしに渡すと、翼を出して垂直に飛び上がり、姿を消した。
「と、飛んだ、だと?」
わたしは驚く虎は無視して言った。
「じゃあ、しばし休憩ね」
わたしは別の木の根元に座り、ジェシカさんに「おやつにしましょうよ」と言った。そして、虎によく聞こえるように言った。
「ねえ、ジェシカさん。おそらくバラールは、わたしの食べ物なんて欲しくないでしょうからね……本当は、その女の子に水を飲ませてあげたいんだけど」
「水を……」
出血多量気味の虎は、思わず、といった様子で呟く。
砂漠を越えた上にこの山を登ってきたのなら、ふたりともかなり喉が渇いているはずだ。
「脱水すると、いろいろな辛い症状が出るから、早くお水を飲ませてあげたいんだけど。そうだわ、ジェシカさんの味見した水なら大丈夫かしら? つまり、普通の人間のわたしのことは信用できなくても、獣人のジェシカさんが飲んだ水を、さらにバラールが毒味したのならば、納得してその子に飲ませるかしらね?」
「そうですね。飲ませるかもしれませんね」
わたしは水筒をひとつ、ジェシカさんに渡した。彼女は口を開けると中の水をごくごく飲んで、水筒をバラールに渡して、わざとらしく丁寧に言った。
「剣士バラール殿、どうぞ」
「……」
バラールはしばらく黙って水筒を見つめていた。やがて彼は小さな声で「すまん」と言ってそれを受け取り、口をつけた。数口飲んで大丈夫なことを確認すると「シャーリーさま、水です。口を開けられますか?」と女の子に尋ねた。
うっすらと意識があるらしい彼女は震える唇を開けて、半ばこぼしながらも水を飲む。
「……おいし……」
「その水筒はバラールに差し上げるわ。少しずつでも、水を飲ませて頂戴。あと、あなたが気を失ったらその子を運ぶ人がいなくなるから、あなたもしっかり水を飲んでおきなさい」
「貴様は、この俺に……」
「もうっ、そういうのはあとで元気になってからにして。今は体力を温存なさい。ほら、ぐずぐずしないでさっさと飲む!」
わたしは孤児院のいたずら坊主たちにしたように虎を叱りつけると、バッグの中から甘いおやつを取り出した。干した果物やナッツやシリアルを固めた栄養満点のバーだ。これは村で量産して、冒険者ギルドにおろしている。美味しくて力の出る携帯食として、とても評判がいいのだ。
「ジェシカさん、申し訳ないけど、これをかじってからあの虎に渡して」
「ふふっ、わかりました。バラール殿、見てください。かじりますよ」
ジェシカさんがバラールさんに見せつけながら毒見をして、バーを渡す。
「バラール、よく噛んでから飲み込むのよ。見たところ、あまり食事をとれていないみたいだから、急に食べると胃が拒絶しちゃうわよ」
「ふんっ、わかっている……ん? いい匂いがするな」
バラールは甘いバーの匂いを嗅いでから、ひと口かじって「!」という顔をした。
驚いた猫のようなので、わたしは噴き出しそうになるのをこらえた。
「なんだ、この食べ物は?」
「美味しいでしょ。うちの村で作っている携帯食なのよ。でも、ゆっくりよく噛んで食べるのですよ。お腹と相談しながらね」
彼はもう文句を言わなくなった。もぐもぐと口を動かしてバーを食べている。
美味しいものの前では、怒りも不安もおさまるのだろう。
どうやら彼の口にも合ったらしく、虎の喉が少しゴロゴロいってしまっているが、わたしは気がつかないふりをした。
「シャーリーさんにもなにか食べさせたいけれど、保存食は固いから難しそうね。村に着いたら、まずはりんごのすりおろしを食べさせてもらうといいわ。バラール、着いたら村の人に、ポーリンからりんごを食べるように勧められたと伝えるのよ。そしてあなたはりんごを丸かじりなさいね」
「りんご……おう」
バラールはまだしかめつらだが、小さく頷いた。
「その、この結界は……」
そこへ、籠を持ったセフィードさんが空から降ってきた。
「ポーリン、籠を持ってきた」
「ありがとう。バラール、ふたりでこの中に入りなさい。セフィードさんが仲間の住む村に運んでくれるわ」
「おい、これは、家畜籠だろう! 我々を侮辱するのか!」
まためんどくさいバラールが荒れ始めたので、わたしは籠をポンと叩いて言った。
「こんなに可愛い家畜籠がどこにあるっていうのよ、失礼ね。目を開いてちゃんと見なさいな」
まあ、確かに豚の運搬には使ったけれどね。
今はわたしの大切な籠なのよ。
「……『ポーリンちゃんのお部屋』だと?」
「可愛く魔石でデコってあるでしょう」
わたしはディラさんが付けてくれたプレートを指さして「ふふん」と笑った。
「わたしが愛用している籠よ。ありがたく乗るがいいわ!」
バラールは、わたしと籠とを何度も何度も見比べてから、がっくりと肩を落とした。
「なんだかもう……いや、わかった。どうやら俺が間違っていたようだ……すまなかった、ありがとう……いい籠だな……」
デコった籠を見て脱力してしまったのか、なぜか素直になったバラールは、シャーリーさんを大切そうに抱えると、ゆっくりと籠の中に入った。
「セフィードさん、村に着いたら、例のりんごを食べさせるように伝えてね」
重要なので、セフィードさんにも頼んでおく。
「わかった、祝福のりんごだな。ふたりを置いたらすぐにここに戻るから、悪いがもう少し待っていてくれ」
「わたしたちは大丈夫よ、よろしくお願いします」
籠を持ったセフィードさんが飛び上がり、村に向けて去って行った。
「じゃあ、ジェシカさん。ここでおやつでも食べて待ちましょう」
というわけで、本格的におやつタイムが始まったのであった。
虎のバラールは、籠が気に入ってます。
猫ちぐらに入った猫を想像してください。
顔はごついおっさんですが、
お耳がついているから許してw




