ポーリン、冒険する その6
「こっちです。血の臭いが強くなってきました」
わたしたちはジェシカさんの後を全力で追いかけた。
農作業をしているから体力には自信があるけれど、神さまの加護による上底冒険者のわたしは山道には慣れていない。なので、山なのに身軽に進んでいく、ベテランのふたりのスピードに追いつくのは難しい。
と、その時、おやつのカバンを背負っている黒影さんが、大盾を持つわたしをひょいと抱き上げた。
「こっちの方が早いから」
正面を見て走りながら、セフィードさんが言った。
わたしという大荷物を抱えているのに、まったくスピードが落ちない。
なんかもう、お仕事中のセフィードは普段の食いしん坊さんとは違う顔ばかりなので、無駄にときめいてしまう。
「あの、ありがとう」
心の準備もなく急にお姫さま抱っこをされたりすると、恋愛偏差値が非常に低いわたしとしては胸のドキドキが大変なことになってしまうのだが、今はそれどころではない。
脳内に、前世で読んだような学園ラブコメを展開しそうなわたしは、気を引き締めようと努力する。
やがて、ジェシカさんが足を止めて木の向こう側を示しながら言った。
「これ以上近づくと、向こうにも気づかれると思います」
セフィードさんが、そっと地面に降ろしてくれた。どすんと落とさないあたりに、彼の愛情を感じる。
「かまわないわ、早く行きましょう。魔物と戦ってケガをしているなら急いだ方がいいわ」
鼻の良い魔物たちが、遠くから血の臭いに気づいて集まってくる恐れもある。
わたしたちはわざと物音を立てながら進んで、出血しているらしい獣人の前に姿をあらわした。
「誰だ?」
「あらま、子ども?」
そこには虎の耳がついた大男が、丸くて小さな白いネズミの耳をつけた10歳くらいの女の子を抱いて、木の根元に寄りかかるようにして座っていた。まっすぐな長い髪は銀色に輝き、水色の服を着た少女はほっそりしていて、妖精のように美しい。
というか、この子は痩せすぎのような気がする。
がっちり体型の虎の男性は、突然現れたわたしたちを警戒しているが、どうやら彼には立ち上がるだけの体力が残されていないようだ。出血しているのは彼らしく、身体中に血がこびりついている。
服装は、かなりボロボロになっているが、冒険者が着るものではないようだ。元はなにかの制服だったのかもしれない。
わたしはケガをしている男性に声をかけた。
「大丈夫ですか? わたしたちはガズス帝国にあるオースタの町の冒険者パーティー『グロリアス・ウィング』です。この付近の見回り依頼を受けて回っているところです。見たところ、ケガをされているようですが……」
女の子の状態が良くないようなので、わたしはなるべく静かに声をかけて敵ではないことを伝えようとしたのだが。
「失せろ、人間」
即、敵意を剥き出しにされた。
「あら、もしかして人間はダメな方? 獣人至上主義とかだったら、今は引っ込めて欲しいのだけれど」
わたしは思わず呟く。世の中には様々な差別を行う人がいるのだ。
けれど、ムキムキの男性だけならともかく、か弱い女の子がいるのだ。あの子はなんとか助けてあげたい。
わたしがジェシカさんを見ると、彼女は顔をこわばらせながら男性を凝視していた。
「まさか、剣士バラール殿?」
「もしかして、この虎の人はジェシカさんのお知り合いなの?」
「知り合いというか……有名な方なので、顔を知っています。彼は剣士バラールという、ガルセル国ではその名が知られた、王家に仕える戦士です。そして……」
「黙れ、裏切り者の狼め! 勝手に人間に情報を漏らすな、獣人の誇りを捨てたのか!」
「なんですって? 聞き捨てならないわね!」
虎男のバラールさんの言葉に、ジェシカさんは声を荒げた。
両者とも、耳の毛が逆立っている。
ジェシカさんは、狼の耳がついた、こげ茶の髪をショートカットにした二十歳の女性なのだが、いつも明るく、冒険者にしては落ち着いた穏やかな性格をしている。
「わたしを裏切り者呼ばわりするほど、あなたはなにを知っているの? いくらバラール殿でも侮辱は許さないわよ」
ジェシカさんは、相手がケガ人でなければ、飛びかかって喉を掻き切りそうな勢いだ。
彼女が本気で怒る姿を初めて見たので、わたしは驚いた。きっと獣人にとっては、誇りというものがとても大切なもので、それを貶められると酷い侮辱になるのだろう。
喧嘩になりそうなので、わたしはふたりの間に割って入った。
「ふたりとも、少し落ち着きましょう。バラールさん、ジェシカさんは大変立派な方です。初めて会った女性を侮辱するのは紳士的とは言えませんよ。それよりも、そのぐったりしている女の子の容体を見せていただけますか? ケガをしているのはあなただけで、そのお嬢さんではないですよね? 発熱をしていませんか?」
「近寄るな!」
虎のバラールさんは、牙を剥き出しにして恐ろしい唸り声をあげた。
「お前のような胡散臭い女に、この方を触れさせるつもりはない。ここから立ち去れ」
「まあ……駄々をこねないでくださいな。わたしたちが立ち去って、あなたはそのお嬢さんを助けられるというの? 今の状態では、ふたり仲良く魔物に食べられた後始末をわたしたちにしろと言っているようなものですわ。愚かなことを言わないで頂戴、早くその子を手当てしないと……」
「来るな!」
「きゃっ」
どこにそんな力が残っていたのか、彼はわたしに向かって鋭い爪を伸ばし、その腕を振るった。
しかしそれは、わたしを庇ったセフィードさんが出した爪に弾かれる。
「おい、失礼な虎。俺の番に手を出すと、ただでは置かないからな」
バラールさんは恐ろしい表情で、敵意を表している。
「そっちこそ、このお方に触れたらただでは……なんだと? その闘気、まさか……くっ、この俺を圧倒するとは、き、貴様は、人間でも、ただの獣人……でもないな?」
「……」
「なんという荒ぶる威圧感……強い……強い男だ……」
女の子を守るように抱えて、セフィードさんを見るバラールさんの額から、汗が流れ落ちた。
「貴様、な、なに奴?」
拳で語り合う系なのかしら? なんて思いながらも、わたしはまた割って入る。
「まあまあまあ、小さな女の子を助けるのが先よ。バラールさん、早くその子をわたしに見せて頂戴。わたしの名はポーリン。『豊穣の聖女』ポーリンよ。神さまのご加護で癒しを与えることができます。だから……」
「聖女だと? ふん、人間のくせに聖女を名乗るな、偽聖女め! さては邪悪なるものの手先だな? 聖女とは、この、この……」
バラール(さすがにむかっときたので、呼び捨てに決定よ)は、聖女という言葉に反応してわなわなと唇を震わせた。
ジェシカさんとセフィードさんが、そんなバラールに対してさらに腹を立てたようで、わたしをぐいっと押しのけて虎男に怒鳴った。
「ポーリンさまが聖女を名乗らなかったら、誰が名乗るのよ、アホ虎のうすらトンカチ! 駄虎! 頭空っぽのバカ虎、バラールじゃなくてばかーるだ、ばーかばーか!」
「おい、ダメ虎! 俺の番を侮辱すると、例えケガ人でも許さない! ポーリンは最高に可愛くて優しくて綺麗で素晴らしい神の恵みの結晶でこの世の宝石とも言える聖女の中の聖女なんだ、わかったら這いつくばってニャンと鳴け駄虎! にゃーごにゃーごばーかばーか!」
ひいっ、コメントに困るわふたりとも!
そして、セフィードさんがそんなに長いセリフが言えるなんて知らなかったわ!
でも、内容!
恥ずかしい!
しかもなんだかレベルが幼児っぽい!
「な、な、なんだと、貴様ら……」
「……た……たすけて……」
妙な雰囲気の中、ネズミの少女の小さな声がした。




