魔物との闘い2
「うわあ……これがセフィードさんの本当の姿だったのね……」
その美しさを褒めそやされたというドラゴンの王子は、本当に美しい姿をしていた。きらきらと輝く白銀の鱗と真紅の瞳。まるで宝石でできているようだ。
見上げるほどの立派な体躯のドラゴンの鼻先に、なにかがふわふわと浮かんでいた。
あれは……女の子?
長い黒髪に、白いメッシュが入っている女の子は、セフィードさんと同じ真紅の瞳をしている。とても可愛らしい子だ。
でも、どこから現れたのだろう?
空を飛んでいるということは、彼女は魔法使いなのだろうか?
『……名前……思い出した……』
セフィードさんの念話が聞こえた。
『フレデリカ……フレデリカだね……』
「ええ、そうよ。お兄さま」
女の子が言った。
って、お兄さまですって?
ということは、この子がドラゴンの国で虐待されていたという、セフィードさんの妹さんなのね!
『フレデリカ……う……』
巨大なドラゴンの瞳から涙が溢れて落ちてきたので、わたしは「おっと!」と避けた。
洗面器一杯分の塩水なんて浴びたくないもの。
『どこに……今までどこに……』
「わたしはずっと、お兄さまと共におりましたのよ」
フレデリカさんが、首を傾げてにこっと笑った。
「フレデリカさん、あなたはもしや、セフィードさんの身体に絡みついていたあの……」
泣くドラゴンさんを放置して、彼女はわたしの前にふわりと降り立った。
「ふふふ、あらためて初めまして、聖女ポーリンさま。フレデリカと申します。その通りですわ。わたしは、お兄さまが二度と暴竜と化さないように、お兄さまの力を封じておりました」
「セフィードさんの身体の痣は、フレデリカさんだったの」
セフィードさんがドラゴンブレスですべてを焼き尽くそうとしていた時、姿を消したというフレデリカさんは、セフィードさんの封印へと姿を変えていたということなのだろう。彼の半身を覆っていたひきつりと痣は、呪いではなく、セフィードさんを救おうとした妹さんの愛情だったのだ。
「深く傷ついたお兄さまが、もしもまたドラゴンの姿をとったならば、再び惨劇が起きてしまう恐れがあったのです。そうなったら、今度はこの世界が滅んでしまっていたでしょう。ですから、わたしはなんとかお兄さまを守ろうと神さまに祈りました」
「フレデリカさん……」
彼女はわたしの手を取った、いや、取ろうとした。
フレデリカさんにはもはや肉体を持たない存在だったのだ。
「聖女さま、お兄さまのお心をお救いくださってありがとうございました。怒りと悲しみと狂乱の火に焼かれ、砕け散りそうだったお兄さまの心は、ポーリンさまの無私の愛で潤い、優しさを取り戻しました。お兄さまはもう孤独ではありません。わたしは……わたしは、本当に弱くて、力がなくて、その結果、お兄さまを追い詰めて……わたしのせいで、お兄さまは多くのものを失い、辛い日々を……送って……」
「なにをおっしゃるの、フレデリカさん!」
わたしは実体のないフレデリカさんの手を自分の手で包み込んだ。
「フレデリカさんは弱くなどありませんわ。あなたはとても強い女性です。セフィードさんの幸せを祈り、彼に寄り添って、ずっと力の暴走を食い止めていたのでしょう? 生半可なことではありませんわ! あなたは強くて立派な、素晴らしい女性ですわ」
「……聖女さま……」
「あなたは全世界に誇って良い、大変素晴らしい行いをなさったのですよ。がんばりましたね。とても偉かったですわ。フレデリカさん、ありがとう。感謝いたします」
「う……そう……聖女、さま……わたし、がんばって……偉かった、の?」
人形のように美しく整っていた少女の顔が崩れて、泣き顔になった。
「ねえ、偉かった、の? わたし、わたしは……許してもらえるの?」
「許すどころか、誇りに思いますわよ!」
「でも、わたしの、わたしのせいで……わたしがダメなドラゴンだったから……お兄さまが……わたしのせいで暴走をして、ブレスですべてを焼き払ってしまって……」
「いいえ、間違えてはなりませんわ! フレデリカさんのせいではありませんよ」
わたしは強い口調で言った。
「ふざけたことを考えてはなりませんよ! フレデリカさんはまったく悪くありません。人の外見ばかりを重んじて内面を見ない愚かな者たちが、すべての責を負うべきなのです。フレデリカさんは、これっぽっちも悪くないのです」
「……聖女、さま、わたし……あ、ううっ、うわああああああああーっ」
フレデリカさんは、天を仰いで号泣した。
その隣で、巨大なドラゴンがぼろぼろと涙を零して『フレデリカ、ごめん、俺のためにありがとう、フレデリカ、ありがとう』としゃくりあげている。
「おふたりとも、今までよくがんばりましたね。偉かったですね」
わたしは、ふたりの心の中にずっと刺さっていた大きな楔が涙で溶けて落ちるようにと、優しく声をかけて見守った。
そして、泣いて泣いて、ようやく泣き止んだフレデリカさんは「そうね、わたしは偉いの。とてもがんばったの。ふふ」と肩をすくめて笑った。
「聖女さま、ありがとうございます。これで心おきなく神さまのもとへと昇ることができますわ」
『フレデリカ!』
セフィードさんは頭をぐっと下げると妹さんの顔を覗き込み『フレデリカ、せっかく会えたのに……』と目を潤ませた。
「お兄さま、もうわたしのお役目は終わったのよ。これで安らかに神さまの御元に昇れるわ。お兄さま、素敵な女性と出会えてよかったわね。ポーリンお姉さまを大切になさるのよ?、わたし、おふたりをずっと見守ってますからね」
いたずらっぽく笑ったフレデリカさんは「それでは聖女さま、わたしに神さまの祝福をくださいませ」と言った。
「これからも兄をよろしくお願いします」
「わかりましたわ」
わたしはフレデリカさんに頷き、神さまに祈りを捧げた。
「神さま、フレデリカさんに、この素晴らしい女性に、どうぞ祝福を!」
すると、天から金色の光が降り注ぎ、フレデリカさんを包んで輝いた。
『フレデリカ!』
「お兄さま、ポーリンお姉さまと仲良くなさってね。そして、またいつか神さまの御元でお会いしましょうね」
『フレデリカ……』
「ごきげんよう、お兄さま!」
ひらひらと手を振って、フレデリカさんは天に昇って光となり、消えた。
『うう……フレデリカ……』
「セフィードさん! 感傷に浸っている時間はありませんわ!」
わたしは海の方をびしりと指差した。
「さあ、あの魔物をなんとか料理……いえ、なんとか倒しましょう!」
ドラゴンはまだ目をうるうるさせて空を見上げていたが、海を見ると尻尾の先をびくりとさせた。
『大変だ、魔物の主が上陸しようとしている』
「ええ」
『ドラゴンブレスで一網打尽に……』
「それは待って!」
わたしは手のひらをセフィードさんに向けて、制した。
「セフィードさんの全力のドラゴンブレスでは、たこがすべて炭になってしまいますわ」
『そっ、それは困る!』
食いしん坊ドラゴンは、尻尾をピンとさせて言った。
『たこ焼きやカルパッチョサラダやたこのトマト煮込みが!』
「そうです。それに、醤油を塗ってこんがりとあぶったたこの串焼きが、食べられなくなるということです」
『それは絶対にダメだ!』
セフィードさんは頭を下げて『ポーリン、ここに乗ってくれ』と言った。
『ドラゴンは、背に乗せたものを決して落とすことがない。ここに乗って、たこを退治するための指示をしてくれ』
「ほほほほほ、よろしいですとも!」
わたしはお古の聖女服をリメイクした野良着を翻し、ひらりとドラゴンにまたがった。
「いざ、大だこ退治へ!」
『美味しいたこを! たくさん狩ろう!』
「そして楽しいたこ祭り!」
気合はばっちりですわ!




