魔物との闘い 1
『そろそろガズス帝国に着くぞ』
籠を持って飛んでいる、怪力ドラゴン族のセフィードさんが念話で知らせてくれたので、しばし瞑想状態にあった(……お昼寝とも言う)わたしは目を開け、籠の外を見た。
前回と違ってまだ午後なので、目立たないように高いところを飛行しているようだ。遥か下に街並みが見える。
うん、絶景。
日本と違って、夜になると真っ暗だから夜景は見られないけど、明るいうちは眺めがいいわね。
『右側が海岸だ。……かなりの数のたこに襲われているようだな』
セフィードさんが籠をくるっと回して、海の方が見えるようにしてくれた。
「うわあ、たこだらけだわ」
予想したよりも魔物が多いので、わたしは驚いて言った。レスタイナ国からの帰りに見た大だこの魔物が、海岸に押し寄せている。海の生き物なので陸上での動きは良くないが、長い触手を振り回すたこ達との闘いに、ガズス帝国の兵士たちは苦戦しているようだ。
「……あら、あの光は『戦の聖女』アグネッサお姉さまだわ!」
兵士達に混ざって、神さまの祝福の光に包まれながらアグネッサお姉さまが闘っているのが見えた。非常事態なので、レスタイナ国の聖女も参戦しているようだ。
お姉さまは剣技に優れているが、敵があまりにも多すぎる。
その闘いの中に、一際強い者がいる。アグネッサお姉さまと同じくらいに強い。
ただの人間が神さまの祝福を得ている聖女並みに強いなんて、これは凄いことなのだ。大剣を振り回してたこをざく切りにしている筋肉質で体格の良い男性なのだが……あれは誰なのだろう?
『皇帝が出ているな』
「ええっ? キラシュト皇帝が?」
一国の皇帝が、前線で魔物と闘っているの?
『あいつは元々軍人で、冒険者でいえばSSランク並みに強い。とはいえ、滅多なことでは剣を取らないが』
キラシュト皇帝なら、納得ね。
なんといっても、このわたしをお姫さま抱っこできた男性ですもの。
わたしは目を凝らして、淡く光る清らかな光を探し出した。
聖女の癒しの光だ。
「あそこだわ。セフィードさん、左の平地にわたしを下ろしてください。おそらく、けが人があの場所で手当てを受けているはずよ」
聖女のお姉さまが、癒しの力を使って大だことの闘いで傷ついた人たちを治しているようだ。わたしもそこに加わろうと思う。
『わかった』
空を飛ぶセフィードさんは、王都に入るのもフリーパス状態だ。彼は何度もこの国の指名依頼を受けているらしいから、門番も警戒しないのだろう。
セフィードさんが救護班に向かって高度を下げ、わたしの乗っている籠を着地させた。そして、外から扉を開けてくれる。
「ありがとう、セフィードさん」
「俺は魔物を倒してくる」
「気をつけて行ってらっしゃい!」
セフィードさんは、背中の翼を羽ばたかせて、海の方に飛んで行く。わたしは彼を見送ると、闘いで負傷した人々の方に行った。
「皆さま、大丈夫ですか?」
「あっ、聖女さんじゃないか!」
レスタイナ国からの船に乗っていた顔見知りの海軍兵士が、わたしの姿を見て驚いた声をあげて、すぐに「うっ……」と呻いて顔を歪めた。
わたしは癒しの光を目に集めて彼の身体を見る。
「脚の骨が折れているわね。さあ、癒しのお祈りをして治すから、あなたも神さまにお祈りして頂戴」
口には出さないけれど、かなりバッキバキに折れているから、神さまの癒しがないと2度と歩けないレベルの負傷だ。
「ああ、聖女さん、頼む。神さま、俺の脚を治してくれ。俺はみんなを守らなくちゃいけないんだ」
気を失う程の痛みがあるだろうに、気丈な彼は目をつぶって、素直に神さまに祈った。あの旅で散々神さまの奇跡を見ていたから、受け入れるのもスムーズなのだ。
わたしが折れた脚に手をかざすと、天から金の光が降り注ぎ、あっという間に折れた脚が治った。
「……相変わらずすごいな」
「骨はつながったけれど、体力が消耗しているし、ケガが完全に治るには時間がかかるから、戦闘には戻らないでね」
「ああ、わかった。後衛に回って王都の人たちを避難させてくる」
彼は、急ごしらえの寝床から立ち上がり、その場で足踏みをして治り具合を確かめると、兵士としての任務を果たしに戻っていった。
「ポーリン、無事だったのね! どこにいたの? あの豚はなに?」
「アリアーナお姉さま!」
治療の合間に声をかけてきたのは、『天空の聖女』アリアーナだった。
「諸事情がございまして……不本意ながら豚を身代わりにして、とある村の開拓をしておりました。それよりも、皆さんを癒しましょう」
「……まったく事情がわからないけれど、ポーリンが元気そうでよかったわ。すっかり細くなっちゃったみたいだけれど」
ウエストのくびれができただけなのに、やつれたとか細くなったとか言われてしまうのはなぜなのかしらね。
ともかく、わたしはお姉さまと協力してけがをした勇敢な人たちを治療した。
お姉さまが神さまのお力で癒すところを見ているせいで、神さまへの信仰心がガズス帝国の人にも芽生えているらしく、治療は効率よく進んだ。
けれど、魔物たちとの激しい戦闘で、次から次へとあらたな患者が運ばれてくる。
「……様子がおかしいわ」
お姉さまが言った。
「『戦の聖女』であるアグネッサさまと、武勲を誇るこの国の皇帝が参戦しているというのに、けが人が減らないなんて」
「そうですね。わたしと来たセフィードさんも、SSランクの冒険者でかなりの戦力になるはずなのに……」
救護兵が、またひとり顔見知りの兵士を連れてきた。
「黒影さんが加わったのに、まだ収まらないの?」
「おお、聖女さん! いてててて」
「はい、まず治しましょうね」
兵士に祈らせてケガを治す。
「大変なんだ、巨大な魔物の親玉が現れて、かなりてこずってる」
「親玉? あの大だこよりも、もっと大きな魔物が出たの?」
「ああ。変異種らしくて、陸地でも普通に動けるから、なんとか仕留めないと王都が蹂躙されてしまう」
変異種ですって?
わたしはアリアーナお姉さまと顔を見合わせた。
「ガズス帝国に来たお姉さまは、おふたりですか?」
「そうよ。こんなことなら、ベガお姉さまにも来ていただけばよかったわ」
アリアーナお姉さまは、少し考えてから言った。
「ポーリン、ここを任せてもよくて?」
「お姉さま! まさか……」
「わたしも前線に出ます。風のお力は攻撃にも使えますからね」
「そんな、危険すぎます!」
神さまの加護があっても、聖女は万能ではないし、アリアーナお姉さまはアグネッサお姉さまと違って闘いの場に出たことがない。
いくら緊急時とはいえ、リスクが大きすぎるのだ。
しかし、アリアーナお姉さまはいつものように穏やかに微笑んだ。
「わたしは聖女です。国は違っても、皆、神さまの愛し子なのよ。ですから、力を尽くして救わなければなりません。魔物の変異種を放置していたら、甚大な被害が出てしまうわ」
「でも、でも、……ええっ?」
突然、ものすごい勢いでなにかが吹っ飛んできて、木を数本なぎ倒した。
その赤と黒のなにかは……。
「嘘でしょ?」
わたしは、その正体を見定めると同時に駆け出した。
「セフィードさん!」
「……う……」
それは、血塗れになったセフィードさんだったのだ。
「しっかりして! 今すぐに治すから」
「……ポ……リン……」
片目が潰れて、翼が半ばもげかけたセフィードさんの姿にショックを受けながらも、わたしは神さまに祈った。
「神さま、お願いします。セフィードさんを助けてください」
力なく倒れているセフィードさんを抱き上げて、わたしはひたすら祈った。すぐに天から神さまの祝福の光が降りてきて、セフィードさんを癒していく。彼は『神に祝福されし村』で普段から働いているので、神さまとはつながりが深いのだ。
「……ありがとう。もう大丈夫だ」
セフィードさんがふらつきながら立ち上がった。
「……少し手強いな」
少しどころではないと思うわ!
「行ってくる」
「待って!」
身体の傷は治っても、体力は回復していないのだ。この状態で前線に戻ったら、今度はどれほどのケガをするかわからない。もしも即死したら、聖女には助けることができないのだ。
「行かないでください」
わたしがすがり付くと、彼は困ったような顔をして口の端っこで笑った。
「行かなければならないんだ。このままでは、たくさんの人が死ぬ」
「でも、今のセフィードさんが行ったら……」
彼はそっとわたしの腕を外して言った。
「あの魔物をやっつけたら……ポーリンに話したいことがあるんだ」
「待って、本当に待って!」
それは言ってはいけないセリフよ!
「大丈夫だから」
全然大丈夫じゃないから!
わたしは外されそうになった手をもう一度戻してセフィードさんを止めた。
「いたいいたいいたい、ポーリンは力が強すぎ! 俺を絞め殺す気か?」
「あ、あら」
気がついたら、ぎりぎりと締め上げてたわ。
でも……戦闘不能になるくらいに……負傷させてしまえば……。
いけないわ、ポーリン!
聖女のわたしが、そんなことを考えてはダメよ!
「……わかりました」
彼を止めることはできない。
それならば、わたしも覚悟を決める。
わたしは涙をこらえながらセフィードさんに言った。
「わかりました。どうしても行くと言うならば、わたしが頂いている神さまの加護をすべて、セフィードさんにお渡しします」
「加護を、すべて?」
「……はい」
わたしは神さまに祈った。
神さま、今までありがとうございました。
この世界に転生させていただいて、ありがとうございます。美味しい物をたくさん食べられたし……大切な人にも出会うことができました。
感謝を申し上げます。
この命を、もう神さまにお返ししても構いません。
ですから、どうかこの心優しいドラゴンさんにご加護をお与えください。
この人が傷つかないようにお守りください。
聖女ポーリンの最後の祈りを、どうかお聞き届けください。
「セフィードさん……どうぞ、受け取ってください」
わたしはきょとんとしているセフィードさんの顔を引き寄せて、そっと口づけた。
「ポーリン……」
天から眩く輝く光が降り注ぎ、わたしたちを包んだ。
そして。
しゃりん、と、聞き慣れた音がした。
しゃりん。
しゃりん。
……しゃりんしゃりんしゃりんしゃりんしゃりんしゃりんしゃりんしゃりん。
セフィードさんの身体から、大量の黒い鱗が落ちて輝いて、消えていく。
しゃりんしゃりんしゃりんしゃりんしゃりんしゃりんしゃりんしゃりんしゃりん……。
すべての鱗が落ちた時、セフィードさんの身体は真っ白な光に包まれ、それは大きく広がり。
「……セフィードさん?」
そこには、白銀に輝く身体に深紅の瞳を持つ、とても美しく、そして恐ろしい程の力に満ちた、巨大なドラゴンが現れたのだった。




