危機、または、過保護な人々4
「じゃあポーリン、この依頼を受ける手続きをしてこよう」
「待て黒影、だから、そのマイペースな行動を自重しろ!」
部屋を出て行こうとしたセフィードさんを、ギルド長のドミニクさんが素早く回り込んで止めた。
「きちんとした説明をしないと、この依頼を受けさせないぞ」
「……ならば、ガズス帝国からじかに依頼を受ける。報酬のたこ増しで」
「おい! そして、たこ増しってなんだ!」
「どうした? あんたが美味いたこを食べ損なっても、俺は知らんからな」
無表情に、無駄にカッコよくキメるセフィードさんに、ドミニクさんは両手をあげて降参した。
「わかった、俺が悪かった。頼むから、状況の説明をしてくれ。あと、その『たこ』のことからは離れてくれ。ほら、座って」
その時ちょうど、お茶とアップルパイが運ばれて来たので、セフィードさんはおとなしく座った。
彼は現金なドラゴンさんなのです。
「それで、このお嬢さんが、レスタイナ国から来て行方不明になった聖女なんだな?」
「ポーリンは特別な力を持つ『豊穣の聖女』だ。輿入れしたポーリンがその後どうしたかと思い、王宮に様子を見に行ったら、王宮内のごたごたに巻き込まれて、嫌がらせを受けたり呪われたり毒を盛られたりしていたから、連れ出した」
「……呪いに毒だと? とんでもないな。仮にも王妃になる人物に毒を盛るとは、ガズス帝国の連中はどうなっているんだ? まったくもって穏やかじゃないな」
ドミニクさんが唸る。
「ああ。丁重に扱うならともかく、ポーリンを害することはたとえ帝国が相手でも俺が許さない。あの国の王家は嫁が多いから面倒なことになっているんだ。……俺は、嫁はひとりでいいと思う」
セフィードさんが、わたしをちらりと見ながら「番はひとりだけというのが、俺にとっては絶対のことなんだ」なんて言ったから、なんだか恥ずかしくて、つい目を逸らしてしまう。
いや別に、わたしは決してね、セフィードさんのお嫁さんになったわけではね、ないのですけれどね。
そんな意味ありげなことを言われると、照れますね。
「ちなみに、豚は俺がポーリンの代わりに置いてきた」
心のつっかえ棒をいきなり外されて、わたしはずっこけ、そこをすかさずドミニクさんが突っ込んだ。
「おまっ、豚もお前のせいなのか! 女性の身代わりに、なんで豚を選ぶんだ! 失礼極まりないぞ!」
そうだそうだ!
もっと言ってやれ!
「……ぽっちゃりして金髪で青い目だったからだが」
ぶう!
「ポーリンは、王宮にいた時はもっと、横幅も前後もたっぷりとしていて、豚も驚くくらいの体格の良さだったんだがんごふうッ!」
乙女の秘密を漏らすセフィードさんの脇腹に、わたしの拳がのめり込み、彼は椅子ごと横に倒れた。
「ぐ……さすがだポーリン……いい、拳、だ」
そんな状況でもフォークを離さないセフィードさんが、よろよろと起き上がりながら、口の端をくいっと上げながらわたしを褒めたけれど、全然嬉しくない。
「なんと……SS級冒険者の黒影を沈めた、だと? これほどのダメージを与える重い一撃をくらわすとは……なるほど、お嬢さんは、本当に聖女なんだな」
違います。
それは聖女のお仕事ではありません。
「ドミニク、一連のことは俺の一存でやったことだ。冒険者ギルドには迷惑をかけない」
起こした椅子に座り、ちゃっかりアップルパイの続きを食べながら、セフィードさんが言った。
「そうは言っても……」
ドミニクは顔をしかめた。しかし、セフィードさんは淡々と続ける。
「ガズス帝国側が文句を言ってきたら、拳で黙らせる」
「聖女が?」
違うわ!
わたしが睨むと、ドミニクさんは椅子から飛び上がって部屋の隅に逃げた。
「なんという殺気だ! さすがは聖女と言うべきか。俺はお嬢さんに逆らうつもりはないから、その拳は収めてくれ」
「ポーリンを怒らせると怖い。どんなものでも美味しく料理されてしまう」
「ああ、実感しているぞ。魔物もならず者も、聖女の拳の前には単なる肉塊に過ぎん、ということだな。わかった」
わからないでください!
ドミニクさん、あなたは脳まで筋肉なのですね!
わかったようなわからないような、微妙な説明をしてアップルパイタイムを終えたわたしたち(あら、もちろんわたしもいただきましたよ。当然ですわ)は、商業ギルドに持っていくはずだった残りのアップルパイもドミニクさんに渡し、ギルドのカウンターに行って帝国からの大だこ退治の依頼を受けてから、オースタの市場に行った。
「ポーリン、ガズス帝国へ行くための食糧を買っておけ。なんでも好きな物を買え」
セフィードさん、いい人ね!
というわけで、わたしは市場で売っている美味しそうな物を片っ端から買い、その時にお醤油の瓶も2本買った。本当は樽で買いたかったんだけど、セフィードさんに「どうやって持ち帰るつもりだ?」と聞かれて諦めた。
そのうち、セフィード便で樽をいくつか運んできてもらうことにするわ。
そんなわけで、わたしは美味しい物が詰まった袋とお醤油の瓶を抱えて、セフィードさんに運ばれてお屋敷に戻った。
「セフィードさま、奥方さま、お帰りなさーい」
「お帰りなさいませ」
ディラさんとグラジールさんが、出迎えてくれた。
「ただいまー。でも、すぐにまた出かける用事ができてしまったのよ」
聖女のお姉さま方と、皇帝夫婦との間の誤解を解いて、できれば友好関係を強めたいわ。戦争が起きたら経済も不安定になり、人々の豊かな食生活に支障が出てしまうもの。そのようなことを、この『豊穣の聖女』ポーリンが見逃すわけにはいきませんの。
「依頼が入ったから、ポーリンと共にすぐにガズス帝国に向かう。籠の用意をしてくれ」
「はいよー」
わかっているのかいないのか、呑気な返事をするディラさんである。
今回はオースタ町行きとは違って長距離の旅になるので、例の家畜用の籠が必要なのだ……豚の入ってた籠ね……無念だけど……おやつがたくさん積めるし……。
「あ、そうだわ。このお醤油の瓶を預かってもら……」
「おっと、奥方さま! グラジールに割れ物を渡しちゃダメだよ」
ディラさんが、瓶を取り上げながら言った。グラジールは、わたしに伸ばしかけた手をそっと下ろす。
「はっ、そうだったわね」
このイケメン家宰は、こんなにも美形なのに、めちゃくちゃ不器用な粗忽者なのだ。
お醤油の瓶なんて渡したら、絶対に割られてしまう。
「申し訳ございません……」
しょんぼりするグラジールさんに、わたしは「お土産にたこを持って帰ってくるわね。お醤油をかけて炙ると、とても美味しい焼きだこになるから、楽しみにしていて頂戴」と優しく言って慰めた。
「それでは、行ってくるわね」
わたしは、籠の小さな窓から外を覗いて、頭を深く下げるグラジールさんと、手をひらひらと振っているディラさんに言った。セフィードさんが飛び立ち、籠がふわりと浮かんだ。
空の旅が始まってしまうと、わたしにはもうやることがない。
仕方がないので、のんびりとお昼寝をしたり、おやつを食べたりした。
来る時と違って、黒影さんにもおやつタイムを設けた。
ドラゴンである彼には、本当は食べ物は必要ないんだけどね。最近は、わたしと一緒にちゃんと3食プラスおやつを食べているのだ。
森の中に着地して、ディラさんが持たせてくれた、瓶入りの水を飲みながら、オースタの町で買い込んだおやつを食べる。
「……ポーリン」
「なあに?」
並んで座ったセフィードさんの方を見る。彼は前方を見たまま、ぼそぼそと言った。
「レスタイナ国から来た聖女が一緒に帰ろうと言ったら……ポーリンは、国に帰るのか?」
焼き菓子を嚙りながら、黒ずくめのセフィードさんは横目でちらりとわたしを見た。
そして、すぐに視線を前に戻す。
「……レスタイナに、帰ってしまう……のか……」
セフィードさんたら。
あからさまに気落ちした様子の彼を見て、わたしは胸がきゅんとしてしまった。
「帰りませんよ」
「……本当に?」
彼は、探るように上目遣いでわたしを見る……くうっ、あざといわね、このドラゴンは!
わたしの胸をどれだけきゅんきゅんさせれば気が済むのかしら!
「本当です」
わたしは口の中に干した果物にキャラメルをかけた、めっちゃ甘くて美味しいお菓子を放り込むと、もぐもぐと噛んでよく味わった。
「なぜならば、レスタイナ国でのわたしのお役目は終わったからです。『豊穣の聖女』には見習いのクララがいて、彼女が今ではレスタイナ国の聖女としてのお務めをしているはずです。ですから、わたしは神さまより新たに賜ったお役目……すなわち、『神に祝福された村』を村の皆さんと盛り立てるという課題に、全力を尽くしたいと思っておりますわ」
わたしはセフィードさんの赤い瞳をしっかりと見つめて「ですから、これからもよろしくお願いしますね」と言った。
「そうか……うん……」
セフィードさんの言葉は少なかったけれど、おやつを噛むスピードが、もきもきもきもきもきもきっと、ものすごく早くなったので、わたしは胸の中がほっこりとした。




