閑話・聖女は蜂蜜が欲しい
『神に見放されし土地』改め『神に祝福されし村』には、美味しいりんごがなっている木がある。
わたしが初めて村を訪れた時に、ビタミンが豊富でみずみずしくて、甘酸っぱい蜜のたっぷり入ったりんごをみんなに食べさせたくて(もちろん、自分も食べたかった)耕したばかりの畑の片隅に種を植えた。
わたしの(煩悩に満ちた)祈りを、豊穣の神さまは気前よくお聞き届けくださった。
さすがは豊穣の神さま、わたし(の腹)に似て太っ腹である。
りんごは植えた途端に芽を出し、天に向かってどんどん伸びて、奇跡に言葉も出ない村の人たちが、ぽかんと口を開けて見上げる前で白い花を咲かせて、真っ赤な実がたわわになった。
青々と葉が茂るりんごの木の下は、農作業の途中で休憩するのにとても良い場所だし、赤い実を嚙ると甘酸っぱい美味しさが身体に染み渡り、疲れも取れるのだ。
いくらもいでもすぐに実がなる、この不思議でありがたいりんごを、わたしもたくさん食べているが、りんごの美味しい食べ方は生だけではない。煮たり焼いたりすると、また違った美味しさがあるのだ。
さっとバターで焼いて、皮のついたレモンをキュッと絞って風味をつけても美味しいし、赤ワインで煮込んで泡立てた生クリームをかけると大人のデザートだ。
そして、アップルパイである。
元々甘いりんごなのだが、パイ皮に詰めて焼くならやはり甘味を加えたい。
砂糖を使ってもいいのだが、ちょっとコクと風味を出すために蜂蜜も加えると、尚更美味しくなるのだ。りんごと蜂蜜は、ゴールデンな組み合わせだと言えよう。
蜂蜜が欲しい。
蜂蜜があれば、サツマイモとりんごとレモンと一緒に煮た、とても美味しいおやつもできるではないか。
そう、レモンも蜂蜜とはベストフレンドなのである。そして、レモンの皮から香り立つあの風味は、りんごの美味しさを一層引き立てるのだ。
そんな美味しいハーモニーに、ほっこりと優しい味のサツマイモが加わったら、それはもう無敵の美味しさだ!
甘くとろんとなるまで煮たりんごと、爽やかなレモンの香り。ほっこりして、表面が少し崩れるくらいに柔らかく煮えた、中まで味が染みたサツマイモ……甘くからんだ蜂蜜……甘酸っぱとろんとろん。
まさにゴールデンな四重奏、お口の中は甘い天国だ。
そうだ、これをパイの具にしてしまったらどうだろうか?
わたしは食に対しては貪欲であり、手間を惜しまない。
なので、パイ皮を作る時も、新鮮なバターを何度も何度も何度も(以下略)たたみ込み、無数の層にするものだから、焼いた時にはパリパリパリリッと高く焼き上がる。
その中に、この素晴らしい金のハーモニーをたっぷりと詰め込むのだ。
とろんとろんにさっくさくが加わって、もはや尊さの極み、完璧すぎるおやつが出来上がるのだ!
……食欲が暴走してしまいました。
でも、こうなると、蜂蜜が欲しくてたまりません。
この奇跡のアップルパイを、セフィードさんに食べさせたい。
普段は無表情で、なんとなく影が薄くてぼーっとしているセフィードさんは、美味しい物を食べる時には瞳が少年のようにキラキラと輝くのだ。
お口がもきもきもきもきと、小動物のように動くのだ。
コミュ障ドラゴンだから、大抵ひっそりと隅っこの方で食べているので、余計にリスっぽくて可愛い。
口の端にパイのかけらとか付けちゃって、あざとくリスっぽい。
ひょろりと背の高い美形(顔のまだらがだいぶ取れてきたので、今は明らかにイケメンの範疇に入るのだ)なのに、リスっぽく可愛いとか、無敵だろう。
これは、食べさせるしかないでしょう!
村の近くには森があるのだから、蜜蜂も住んでいるような気がしますね、ええ。
聖女の勘はよく当たるのですよ。
というわけで、蜜を入れるための革袋を持って、セフィードさんと一緒に森にやって来た。村の人の話によると、野生の蜜蜂らしきものを目撃したということなので、期待できる。
「蜂蜜がたくさんあるといいですね。美味しいおやつが作れますよ」
「……」
無言であるが、セフィードさんのテンションがひっそりと上がったのを感じる。赤い瞳が輝き、油断なく辺りを見回して蜜蜂を探している。
「向こうから、羽音のようなものがする」
ドラゴンは耳も良いようだ。
森の中の道を進んで行くと、木々の間に黄色っぽいものがチラチラ見える。
「あれだ」
わたしたちは、今度は道無き道を進んで行った。この森には強い魔物はいないし、万一いたとしてもセフィードさんが瞬殺して今夜のおかずになるだけなので、まったく警戒しないで進む。
「蜂がいた」
「……でかっ!」
わたしの予想していた蜂とは違う。
だって……子犬くらいあるのよ?
黄色と黒のしましま模様の子犬くらいの蜂が、ぶんぶんいいながら空を飛ぶとか、物理法則をまるっと無視しているよね?
わたしたちは、蜂の跡をつけてさらに進んだ。すると、やはり蜂の巣があった。
あったのだが。
「あんまり蜜が溜まってなさそうな巣ですね」
「蜂蜜は、花から集めるんだろう? この辺りは植物が育ちにくいから、花も少ない」
「あー、そうだったわ!」
ここは『神に見放されし土地』だったんだっけ。
土地が痩せているから、花も育たないわよね。
「とりあえず、あるだけ蜜を集めてこよう」
セフィードさんは、革袋を片手に巨大な蜜蜂の巣に近寄る。当然のことながら、蜂たちは巣を守ろうとして彼の前に飛び出してくるけど、セフィードさんには針など効き目がなく、平手でぺしっと蜂を叩き落としてしまう。
「蜜を出せ」
あ、蜂たちがセフィードさんの殺気を浴びて固まった。
……なんだか、セフィードさんが蜂蜜強盗に見えてきたわ……。
わたしがそっと近づいても、蜂たちは遠巻きにして様子を伺窺っているだけだ。彼らから『盗るの? うちの蜜を盗るの?』という気持ちが伝わってくる……。
『うちの蜜はちょっとしかないの、でも盗るの?』って、完全にわたしたちは悪者じゃない?
「おとなしく蜜を寄越せば、巣は壊さないでおいてやる」
うわあ、やっぱり悪者だ!
これは聖女にあるまじき行動になってしまうわ。
わたしは考えた。
蜜がちょっとしかないから、わたしたちは蜂蜜強盗になってしまう。でも、蜂蜜がたっぷりあるならば、少し分けてもらっても良いはず。
「セフィードさん」
わたしは悪事(?)に手を染めそうな黒ずくめのセフィードさんに言った。
「蜂蜜をもらう前に、お花を増やしましょう。これでは蜜蜂が全滅してしまいます」
蜜と花粉が蜜蜂のごはんなのだ。
蜂が全滅したら、もう蜂蜜は採れなくなってしまうし……なにより寝覚めが悪い。
「花の種を撒くのか?」
「いえ、土から変えなくてはなりません。お花畑を作ります」
わたしは蜜蜂たちに「ちょっとそこでお待ちなさい」というと、セフィードさんを引っ張って離れた所に連れて行った。
「この辺りからあの辺りまで、木を伐って根っこを掘り出してもらえますか」
「容易いことだ」
さすがはドラゴンです。
手から鋭い爪を出したセフィードさんは、木々の間を走り抜けるとあっという間に木を切り倒し、片っ端から爪に引っ掛けて飛び上がるとあっちの方にまとめてしまい、切り株もザックザックと掘り返してこちらもまとめてしまった。
「これでいいか?」
「はい、素晴らしいです」
目の前には、陽の光が差し込む空き地ができている。わたしが両手を天に伸ばして神さまに祈りを捧げると、そこには金のクワが現れた。
「さあ、耕しましょう……あらっ」
「そのままでいろ」
わたしが地面にさくっとクワをさすと、背中から翼を生やしたセフィードさんが飛びながらわたしの腰をつかみ、そのまま後ろに引っ張っていった。軽い手応えと共に、みるみる固まった土がふんわりと耕されていく。
これはまるで、耕運機である。
とにかく速い。
けっこう広い空き地が、あっという間に畑になってしまった。
見た目はまぬけだけど、高性能の耕運機となったわたしたちの手で、森の真ん中に畑ができた。
さあ、あとは……。
「神さま、美味しい蜜が採れるお花の種が欲しいです」
神さまに丸投げよ!
祈りを捧げると、天からさらさらと花の種が降ってきて、畑に撒かれた。そして、奇跡の力で種は芽吹き、すくすくと育ち、蕾となり花が開いた。
素敵なお花畑の完成よ!
「さあ蜂さん、これからはたくさんの蜜がとれてよ!」
子犬大の蜜蜂が、出来上がったお花畑に押し寄せてきた。大喜びでぶんぶんいいながら蜜を集めては巣に運び、また戻ってきて集めている。
わたしとセフィードさんは、蜂の邪魔にならないように畑の外でその姿を見守った。
「あの調子なら、あっという間に巣がいっぱいになりそうな感じね」
「花も次々と咲いている。採りつくすこともなさそうだな」
何日か経ったらまた来ることにしようと、村へ帰ろうとしたわたしたちに、蜜蜂が体当たりしてきた。
「攻撃……ではないみたいよ」
「俺たちを巣の方に誘導しようとしている」
蜜蜂の巣の前に行くと、蜂の巣からはもう金色の蜂蜜が垂れそうになっていた。そこへ、蜜を集めた蜂が戻って来ては巣に蜜を置いていく。
身体が大きいから、蜜を集めるのもものすごく速かったらしい。わたしたちを誘導した蜜蜂は、これを持っていけと言わんばかりにわたしたちの周りをぶんぶん飛んで、セフィードさんが巣の下に革袋を広げるのを見ると、満足したように花畑の方に去って行った。
巣から溢れ出した金色の蜜が、革袋の中にトロトロと溜まっていった。この量ならアップルパイを作るのに充分だ。
見ると、一部の蜂は巣の増築作業に入っているらしい。この様子だと、入り用な時にはまた蜂蜜を分けてもらえそうだ。
「わあ、たくさん蜂蜜が手に入りましたね」
わたしは蜂蜜でいっぱいになった革袋を担ぎ「さあ、帰りましょう」と言った。
「戻ったらさっそくアップルパイを焼きましょうね」
石窯で焼いたアップルパイは、とても美味しいのだ。
それに今回作るのは、いつものアップルパイとは違うスペシャルなパイなのだ。
考えただけで涎が出てきてしまう。
「そうか、さっそく作るのか。ならば、急いで帰ろう」
セフィードさんは再び背中から翼を出すと、蜂蜜の袋を持ったわたしをひょいと抱き上げてしまった!
「セ、セフィードさん!」
「こっちの方が速いからな」
食いしん坊なドラゴンは、わたしをお姫さま抱っこすると空高く飛び上がり、そのまま村へ向かって猛スピードで飛んだのであった。
パイは、想像以上に美味しくできました。
そして、三角に切ったパイを嬉しそうにもきもきと食べるセフィードさんは、やっぱりリスのようでとても可愛かったです。




