聖女、活躍する!4
生物には突然変異というものが起きる。
遺伝子の配列に物理的な変化が起きて、親にない形質が突然現れるのだ。
わたしは遺伝子に詳しくないし、だいたいこの世界に遺伝子が存在するのか、むしろ遺伝子ではなく魔法の力で生物が存在しているのではないだろうか、などと考えてしまう。
時々、物理法則を無視しますからね。
聖女なんて特に、無視の極みですからね。
とにかく、突然変異というものがあるのだ。
そして、ドラゴン一族にはそれが起きたのではないだろうか。
鼻持ちならない、嫌な奴らであったドラゴン一族に、一際美しい少年と(ドラゴン的に)醜い少女が生まれた。そして、この兄妹はとびきり心が美しかった。
ふたりは異端の存在であり、古いタイプのドラゴンたちは存在を脅かされたと感じたのかもしれない。
そして、彼らを責め立てた結果はこの通り、自然淘汰である。
ドラゴン一族は滅びた。
この、優しいドラゴンをひとり残して。
「今でも俺は後悔している。なぜもっと早く妹を連れて逃げ出さなかったのかと。まだ幼くても、この身には翼があったのだから。あいつらから上手く逃げ出していたなら妹は気が触れたりせず、結果は変わっていたのではないかと……」
「結果的には、同じだったと思いますよ」
わたしは冷静に言った。
「幼いあなたが妹さんを連れて逃げても、ドラゴンたちは地の果てまであなたたちを追いかけてきたでしょう。世間を知らない幼いドラゴンが、自分勝手でしたたかな古株のドラゴンの追跡を振り切れたはずもないでしょうし、そのようなことをしたら、この世界が余波で滅びていたかもしれませんね」
ドラゴン以外の生き物も全滅していたと思う。
「……そうだな。すべてのドラゴンがブレスを吐いたら、世界中が火の海となっただろう。普段はほとんど縄張りであるドラゴンの国から出ることはないが、俺たちが飛び出したら追いかけてきただろうからな。自分たちを至上の存在だと考えているドラゴンは、他の生き物など単なる障害物とみなして焼き尽くしただろう」
「……つくづく危険な存在ですね」
幸いなことに、どうやらドラゴンたちは、強大な力を持つけれどコミュ障気味だったらしく、滅多に外には出なかったようだ。
国に引きこもっていてくれて非常に助かった。
もしも世界を征服しようなどと考えたなら、ゴジ○とモス○とキングギド○が10匹ずつ、同時に世界に解き放たれたくらいのパワーでの破壊行為があっただろう。
こわいこわい。
「そんなわけで、俺はあんたをここに連れて来たんだが……ポーリン」
「なんですか?」
「ここでの生活は、辛くないか? あんたはいつも笑顔でいるが……本当は身体に負担がかかり、それでやつれたのではないのか?」
「やつれてなんかいませんってば!」
わたしは立ち上がり、セフィードさんを見下ろして胸を張った。
「やつれたのではなく、程よい運動でシェイプアップされたのです。むしろ、わたしの美しさに磨きがかかったのですわ!」
ばさっ、と、いい女風に長い金髪をかき上げ、わたしはイケてるポーズをとった。
「元気いっぱい、健康優良乙女ですから、どうぞご心配なく」
「そうなのか」
「そうなのです」
「……それならば、ポーリンは、ここでの暮らしが気に入っているのか」
「はい、お友達もできて、とても楽しく暮らしていますわ」
「……その、それならば、ずっとここにいてくれるか?」
わたしは大きく頷いた。
「『豊穣の聖女』ポーリンは、神さまと畑のお導きのまま耕し、作物を植え、そして美味しい物を皆さんに提供させていただきます。それがわたしに与えられた神命、聖なるお役目なのですから!」
ふふっ、きまったわ!
「……そうか。それならば良かった」
川辺で体育座りをするセフィードさんは、わたしを見上げて眩しそうに目を細め、そしてふっと笑った。
「ポーリンが幸せならいいんだ」
「……」
なっ、なっ、なんなの、この親切ドラゴンは!
冒険者として出稼ぎに行き、村のみんなのために翼をパタパタさせて食糧を買い込んでくる、雛鳥に餌を運ぶ親鳥のようなドラゴンは!
空いた時間でせっせと畑の石を運び、石窯を作るための粘土を遠くの山からぶら下げて飛んでくるのほほんとしたドラゴンは!
他人とのコミュニケーションが上手くとれなくて、なぜかいつも隅っこの方で、もきもきうまうまとごはんを食べているドラゴンは!
表情筋が発達してなくて無表情だし、上手いことも言えないくせに、なんで時々爆弾を投げつけるような可愛い笑顔を見せるの!
ドラゴンブレスよりも凶悪なんですけど!
動揺したわたしは、セフィードさんの隣に体育座りをした。
「……ポーリンは俺の身体をだいぶ治してくれたが、まだこの通り、呪われた醜い身体だ。もう一生ドラゴンの姿にはなれないと思うし……欠陥品だ。……こんな俺に、いつも優しくしてくれて……俺は、嬉しい。……あの屋敷を、あんたにやってもいいと思っている。だから……」
彼は、俯いてぼそぼそと言った。
「……ずっと側にいてくれとは……言わないが……しばらく……少しだけでも……いてくれると……」
わたしは横目でコミュ障王子を見た。
「村の者も、ポーリンのことを好いているし……グラジールもディラも、あんたが来てから張り切って、楽しそうだし……」
「そうね、みんなとても良くしてくれています」
「……なにか、欲しい物があったら、俺が買ってくるから……不自由はさせないし……」
「……」
「その……今、欲しい物はあるか……?」
「バターと、白い小麦粉と、卵が欲しいです」
「お、おう」
「石窯ができたから、アップルパイを焼こうと思うんです」
「アップルパイ、か」
「セフィードさんが好きな、アップルパイを、焼きたいんです」
「……ポーリンのアップルパイは、とても美味しくて……俺は、好きだ」
「わたしも、アップルパイは……好きです」
「……楽しみだな」
「はい」
なんだかアップルパイのような甘酸っぱい空気の中で、わたしとセフィードさんは並んで、光る川面を無言で眺めていたのであった。