愛の逃避行?3
いろいろと状況がおかしい。
日本の女子高生が転生してファンタジックな世界の孤児になるとか、その美少女孤児に実は神さまの加護があって聖女になるとか、その時点でわたしの人生は波乱万丈過ぎる。
でも、聖女になってからは、お姉さま方と一緒に真面目にお務めに取り組む、安定した毎日を送っていた。
もうそれで、『ポーリンは穏やかな人生を送りました、めでたしめでたし』と終わらせたかったのに。
実質は人質だけどガズス帝国にお嫁入りするというのも、びっくりイベントであったが、政略結婚はよくあることなので納得していた。その後、イケメンなワイルド系皇帝に予想外に気に入られて『レッツ! 子作り!』宣言をされたあたりから、敬虔な聖女としての人生から外れた気がしたが、あれよあれよという間に、今度は謎の凄腕冒険者である、黒影さんの『奥方さま』ポジションについてしまった。
ちなみに、やはり『セフィードさま』というのは黒影さんのことであった。『黒影』というのは冒険者としての通り名だそうだ。
だが、しかし。
数奇な運命に翻弄されるぽっちゃり美少女(自称)であるポーリンは、このくらいのことでは動揺しないのです。
どっしりと構えて、なぜこのような誤解を受けているのか、原因を探ろうと思います。
朝ごはんをいただきながら。
「ディラさん、よろしかったら、お茶の他に朝食をいただきたいのですが」
落ち着いた……というか、なんとなく暗い雰囲気の部屋に通されたわたしは、ソファに腰掛けてメイドのディラさんに言った。
「夜通し籠に入って旅をしていたので、ちょっとしたお菓子を摘んだだけですの。ですから、きちんとした朝食をいただきたく存じます」
「ああ、朝食をね」
「はい」
「朝食……ちょうしょく?」
にこにこしていたディラさんは、目を見開いて家令のグラジールさんの肩を掴んだ。
「グラジール! そうだよ、人間は物を食べるんだったよ!」
「……そうでしたね……」
肩を掴まれたイケメン家令は、身体をふらつかせた。
「わたしとしたことが、そのような大切なことを失念していました……」
「だよね! あたしたち、すっかり忘れてたね! こりゃ参ったね!」
「参りましたね……」
わたしは激しく動揺するふたりに尋ねた。
「すみません、どうなさったのですか?」
「奥方さま、大変申し訳ございません」
美形青年は、銀色に輝く髪をサラリとそよがせながら、頭を下げて言った。
「わたしもディラも妖精なので、空気中の妖気を糧にして生きております。そのため、特に食物を摂取する必要がないため、食事を取っていないのです」
まあ、そうだったのね。
ごはんを食べる楽しみがないなんて、お気の毒だわ。
「そのため、この家では食事をする習慣がございません」
「うん、そうなんだよ、お茶を飲むくらいだよね」
ディラさんが笑顔で「美味しいお茶は好きなんだ」と言った。
……まあ。
ええっ?
なんですって⁉︎
嫌な予感に、わたしの血の気が引いた。
それって、まさか……。
「そのため、食材もございません。つまり、奥方さまにお出しするお食事を作ることが……」
食べ物がない……。
わたしは、細く細くなった手足を思い出した。
ぽたぽた落ちる点滴の粒を思い出した。
食べたいのになにも食べられない、水の一滴さえも口に入れてもらえない日々を思い出した。
「食べられない……の?」
わたしは立ち上がって、頭を抱えて言った。
「食事が、ない。ごはんがない。ごはんがないですって! 『豊穣の聖女』ポーリンに、ごはんを抜けと……そんなこと、許せません、絶対に嫌よ、いやあっ、ひいいいいいいいいーッッッ!!!」
「きゃあっ!」
「うわあっ!」
わたしが絶望のあまり悲鳴をあげると、ディラさんとグラジールさんが耳を押さえてうずくまった。
「な、なんという恐ろしい叫び声だ! このわたしが、膝をついてしまうなんて……無念」
「こんな凄まじい叫び声は、あたしたちバンシーにだって出せないよ! 身体も心も凍りついたよ!」
だが、わたしにはふたりを気遣う余裕はなかった。
食べ物がないと思った途端に、身体の底から空腹感が湧き出してくる。
「いい、すごくいいよ! あんた、とんでもない才能を持ってるんだね、今すぐバンシーの長になれるよ!」
なぜか瞳に熱を宿したディラさんが、立ち上がって迫ってきたけれど、わたしの形相を見てまた「ひっ」と変な声を出した。
「ごはんを……食べ物を……」
ゆらり、とディラさんに近づくと、彼女は腰を抜かしてしまった。
「ま、待って、やめて、あたしは食べても美味しくないよ、妖精なんてまともな人間の食べ物じゃないからさ、奥方さま、お願いだから落ち着いてっ、あたしを食べないでーっ!」
「奥方さま、お気を確かに! 妖精は食べ物ではございません、いえ、わたしも食べられませんから、美味しくありませんから、ちょっと、本当に、お待ちくださいませ!」
へっぴり腰のイケメンが、真っ青な顔でふるふると頭を振るディラさんを部屋の隅まで引きずって、わたしから離した。
「奥方さま、どうかお静まりくださいませ!」
「……いったいなんの騒ぎだ」
なんとなくぼーっとした顔の、黒影さんことセフィードさんがやってきた。
「お前たち、俺を寝かす気がないだろう……」
「旦那さま、それどころではありません!」
「なんだ?」
「奥方さまのお食事がないのです!」
「あ」
『あ』じゃないわよ黒影さん! じゃなくてセフィードさん!
わたしのごはん、どうしてくれるの⁉︎
「うん、素朴だけど、噛み締めると味わいのあるパンね。このチーズとよく合うわ」
「……それは良かった」
わたしは、セフィードさんがどこからか調達してきたパンとチーズを両手に持って、ムシャムシャと食べていた。飲み物は、ディラさんが淹れてくれた蜂蜜入りのお茶だ。テーブルに、デザート用のオレンジの実も転がっている。
この屋敷の主人である黒影さん……セフィードさんが、翼を出してひとっ飛び、お買い物してきてくれたのだ。
ディラさんが身体を震わせて言った。
「……ったく、恐ろしさのあまりに消滅するかと思ったよ、旦那さま! まだ脚がガクガクするよ!」
グラジールさんも、端正な顔をしかめて言った。
「セフィードさま、このような大切なことは、あらかじめ準備していただきませんと困ります。なにしろわたしたち妖精は、この地を離れることが難しいので」
「ああ、悪かった」
背中をちょっぴり丸めたセフィードさんが、一言謝った。
どうやら反省している様子だ。
「豚を探すことに集中して、つい」
「まあ確かに、あの豚はいい豚でございましたからね」
「そうだよ、金色に光る青い目の豚なんてそうそうお目にかかれないよね! あの籠も良かったしさ! 奥方さまにぴったりだったよ」
「ふふん」
セフィードさんが得意そうな顔になる。
が、わたしの氷点下の視線に気づき、首を傾げた。
「どうかしたか?」
まったく乙女心をわかってないわね!
わたしは黙ってチーズを食べた。
「……まあいい。それより、奥方さまっていうのはなんだ?」
明るいバンシーのディラさんが、けらけら笑いながら言った。
「いやあねえ、奥方さまは奥方さまでしょ。この聖女さんはセフィードさまの奥さんにするために連れてきたんでしょうが。照れなくていいんだよ、旦那さま」
「は?」
「なかなかお似合いの、素晴らしい奥方さまでいらっしゃいますね。この『神に見放されし地』に来ても、まったく動じない肝の座り方が大変素晴らしい。見た目に違わず中身もどっしりとしていらっしゃる」
にこりともせずに、美形青年が褒めた。
なぜかあまり嬉しくない。
でも、気になるんですけど。
その『神に見放されし地』って言葉。
「それでは、わたしたちは仕事がございますので、席を外させていただきますね。奥方さま、どうぞごゆるりと。食べ足りなかったら、また旦那さまにひとっ飛びしてもらってください」
「じゃあね、セフィードさま、あとはよろしくね! ふふっ、このこのー、新婚さんめ!」
無表情なグラジールさんも、主人を主人とも思わないめちゃくちゃ明るいディラさんも、部屋を出て行った。
さて、セフィードさん。
どういうことなのか、説明していただこうかしら?
さらさらヘアに赤い瞳の、顔半分はイケメンの不思議な冒険者が、きょとんとした顔で言った。
「お前は俺の嫁になるつもりなのか? ……物好きだな」
……あーこれ、ダメなやつだわ!




