愛の逃避行?2
黒影さんに、豚が入っていた籠に押し込まれたわたしは、鞄を背中に当てて心地よく寄り掛かっていた。幸い変な臭いもなく、狭いけれどなかなかいい感じの籠である。
……ポーリン、自分の適応力がこわいわ。
それにしても、とんでもないことになった。
家畜用の籠に詰め込まれて、空を飛んで王宮から逃げ出す羽目になるなんて。
これからどうなるんだろう?
黒影さんは、なにを考えているんだろう?
レスタイナ国から来た人質のような立場の聖女が豚になってしまったなんて、そんな話が通じるわけがないのだ。
まさか、通じないわよね?
通じたら、泣くわよ!
なんてことをぐるぐる考えて、眠れない夜を過ごすはずが……やっぱり寝てました。
空を飛びながら、熟睡してました。
起きたらお腹も空いてました。
すみません、わたしは心身ともにタフな、健康優良乙女なのです。
「あら、もう外が明るいわ」
一晩中飛び続けるなんて、黒影さんたらタフな男性ね、なんて思いながら小さな窓から籠の外を見ると、ちょうど太陽が昇るところだった。
「まあ……神々しいばかりの朝日だわ」
わたしは両手を組み合わせて、神さまに祈りを捧げた。
「いつもご加護をくださいまして、ありがとうございます。ポーリンはどこに行ってもどんな場所でも、豊穣の神さまの敬虔な聖女でございます」
たとえ豚の籠に入れられてもね。
すべては神さまのお導き。
わたしは聖女としての役目を果たし、清く生きればいいの。
神さまにお祈りをして心が軽くなったわたしは、侍女に持たされたおやつを食べ始めた。どんなことも、よく眠ってよく食べれば乗り切ることができるのだ。
「あら、この干した果物をたっぷり焼き込んだケーキは美味しいわね。お茶が欲しくなるけれど……」
『もうすぐ着くから、そうしたら茶を飲ませてやる』
脳内に声が響いてきたので、わたしは驚いた。
「黒影さんは、念話が使えるんですか!」
『ああ』
「耳もいいんですね」
『お前がぶうぶういびきをかいて眠っていたのも知っている』
「ぶっ……それは乙女に言ってはならないことです!」
わたしが真っ赤になって叫ぶと、黒影さんは『そうなのか? 別に気にすることでもないだろう。よく眠れたようで良かったじゃないか』となんでもないように答えた。
この人、絶対わたしを女性扱いしてないわよね。
してたら、身代わりに豚なんて連れてこないわよね。
ふんふんっ!
わたしは口におやつを詰め込んで、もぐもぐ食べながらやさぐれた。
そして、籠の外を見ているとすっと高度が下がり、森の中に降りて行くのがわかった。やがて籠の底が地面に着く振動が伝わってきた。
「着いたぞ」
黒影さんが籠を開けたので、わたしは外に出て伸びをして、それから目の前にあるお屋敷を見た。
森の中にある、貴族の住むような立派なお屋敷なのだが、なんとなく陰鬱な雰囲気がする。寂れてる、と言ったらいいのだろうか。人の息遣いが感じられない家なのだ。
「黒影さん、ここはどこですか」
「俺のうち」
「はい?」
「俺のうちだと言っている」
わたしはお屋敷と黒影さんを見比べた。
「他に連れて行くあてもないし、ここならしばらく身を隠していられるだろう」
「……ありがとうございます」
こ、これは、彼氏のうちに連れてこられたということですか⁉︎
甘酸っぱいラブロマンスの始まりですか⁉︎
すみません、嘘です、調子に乗りました。
右手に鞄、左手におやつの袋を持ち、ナイトウェアに厚手のガウンを着込んだスリッパ姿のわたしが、そんな華やかな立場に立つわけありませんものね、身代わりに豚を連れてこられる女ですものね。
と、お屋敷の中からふたりの人物が現れた。
ひとりは若い男性だ。長い銀の髪を後ろでひとつに縛り、緑色の瞳をしたその男性は、おそろしく端正な顔をしている。身を包むのは、かっちりとしたいわゆる執事服だ。貴族の家にいる、あの人たちが着ているのと同じ服だ。
あれですか、これはイケメン執事ってやつですか?
そして、クールな雰囲気なのは、腹黒なのを隠しているからですか?
そして、もうひとりの女性は、鮮やかな緑色の髪を後ろでまとめてメイド服を着ている、オレンジの瞳の美人さんだ。『お帰りなさいませ、ご主人さま』と言って、男性に鼻血を出させそうな色っぽ可愛い系の美人だ。ぽっちゃり可愛い系のわたしとはキャラがかぶらなくて良かったと、内心でほっとする。
「今戻った。これが聖女ポーリンだ。喉が渇いているそうだから、世話を頼む」
黒影さんは「俺は寝る」とひとこと言って、さっさとお屋敷に入ってしまった。
「ちょっと、黒影さん!」
ひとり置いていかれて、わたしは動揺する。
と、イケメン執事(仮)が言った。
「かしこまりました。……とても籠がお似合いの方ですね。サイズもぴったりで」
……こ・の・や・ろ・う。
わたしは聖女光線が出そうな鋭い視線で、イケメン執事(仮)を睨んだ。
「いらっしゃいませ。わたしはセフィードさまからこのお屋敷をお預かりしています、家令のグラジールと申します」
イケメン家令は、わたしの視線を華麗にスルーして、挨拶をした。
でも、セフィードさまって誰?
「これは、メイドのディラです」
美人さんは笑顔で言った。
「こんにちは! あら、おはようかしらね? あたしはディラよ。えっとね、種族は『嘆きの妖精』なの。知ってる? 知ってるわよね? 死者が出る時に泣き叫ぶのがお仕事の有名な妖精よ。でもね、仲間が泣く顔を見るとおかしくてどうしても笑っちゃってね、あんまり笑い転げるもんだから『あんたは嘆きの妖精に向いてないから他所に行って仕事を探してこい』って追い出されちゃったのよー、もう参っちゃったわ!」
「……はあ」
わたしは、やけにお喋りな色っぽ可愛い美女に、気の抜けた返事を返した。
今、妖精とか言いませんでしたか?
「だってね、ほら見て見て、みんな揃ってこういう顔して泣き叫ぶのよ」
ディラは空に向かって人の心をかき乱すような凄まじい声で「ひいいいいいいーッ!」と泣き叫んで見せた。
「ぶふぉっ!」
わたしは吹き出してしまった。
美女が、えらい変顔をしていたからだ。
声も凄まじいけど、変顔はもっと凄まじい!
屋敷の窓が開き「ディラ、うるさい」と不機嫌な黒影さんの声がして、ぱたんと閉じられた。
「あたしの顔を見た? これだから、嘆きの妖精は決して姿を見せないのよ。だって、こんな顔で泣き叫んでいるのを見られたら、誰も怖がらないから仕事にならないでしょ?」
わたしは激しく同意して頷いた。
「で、ここでメイドを募集してたから働いてるわけなの。よろしくね」
美女はパチンとウィンクをした。
その横で、グラジールと名乗った家令はため息をついた。
「ちなみにね、この仏頂面で顔だけはいい家令は『家付妖精』よ。ただし、ものすごく不器用で家事が一切できないの。あははは、笑っちゃうわよねー、家事ができない家付妖精なんて、落ちこぼれもいいとこじゃない、ねー」
「ディラ、黙りなさい」
傷ついた顔のイケメン家令が不機嫌そうに言った。
「だから、あたしがいないとこのお屋敷は回んないの。なんかあったらあたしに言ってね」
「ええ、ありがとう。よろしくお願いいたしますわ」
わたしが返事をすると、ディラは「あらあ、あんたってすごくお上品ねー」とわたしの背中をばんばん叩いた。
ディラさんは、美女なのにおばさんっぽいですね。
「ディラ! お前は礼儀知らず過ぎます!」
「はいはい、お上品な家令さん」
グラジールはもう一度ため息をつくと、わたしに言った。
「長旅でお疲れでしょう。ディラにお茶を淹れさせますので、ひと息ついたらお部屋でお休みください、奥方さま」
「そうよ、いいから寝ちゃいなさいよ、このディラさんがとびきり美味しいお茶を淹れてあげるからさ、奥方さま!」
「……奥方、さま?」
「セフィードさまのお嫁さんなんでしょ? あんたも物好きね。起きたらお風呂に入れてあげるからさ、きゃー、いやーん! この新婚さんめー!」
あははははと大笑いするディラの前で、わたしは固まった。
さっきから、衝撃的な話ばかり聞いたけど。
今のが一番ショッキングだわよ!
奥方さま⁉︎
嫁⁉︎
どういうことなの、黒影さん!




