愛の逃避行?1
その晩、黒影さんがなにかをやらかすのではないかとなかなか寝付けなかった……と言いたいところだが、実際はベッドに横たわって目をつぶったら、そのまま朝まで熟睡してしまったわたしである。
ポーリンは、心身ともにタフな健康優良乙女なのです。
皇帝陛下は、回復したロージアさまといちゃいちゃするので忙しいらしく、特に沙汰はなかった。もしかすると、すでにポコポコとお子が授かっているかもしれない。
キラシュト皇帝は、運が強そうだからだ。
そして、聖女の癒しでロージア姫が元気になったという話が王宮にも国内にも流れた。そのうち、陛下から正式な発表があるかもしれない。
となると、残りの3人の王妃の立場が悪くなる。3人とも、病の第一王妃に代わって世継ぎを産み、次期王母としてのし上がるという野望を抱いていたはずだからだ。
しかし、その第一王妃が健康体になってしまった今、その夢が遠ざかり、この恨みをどこにぶつけるかというと、かよわき聖女ポーリンへとなるわけだ。
ますます部屋の外に出にくくなってしまうわ!
昨夜、わたしの部屋のベランダに現れた黒影さんは、あの後戻ってこなかった。
個人の力でどうにかなる問題ではない。だが、ほんの少しだけ、彼がわたしを助けてくれるのではないかという期待をしてしまった(だって、黒影さんは非常識に強い謎の冒険者なのよ? ロマンチックな小説なら、ヒロインを助けて恋に落ちる役回りじゃない?)わたしは、現実はこんなものよね、と気落ちしてしまって、やさぐれている。
「ああもう、食べることしか楽しみがないわ」
わたしはソファにだらりと寝そべり、テーブルの上に乗ったアイスクリームを見た。
これは、わたしがガズス帝国の料理人に頼んで作ってもらった物だ。氷に塩をかけると氷点下に温度が下がり、金属製のボールに入れたカスタードソースを冷やし固めることができる。
最初に作って見せた時に、わたしは余裕の表情でアイスクリームをかき回していたのだが、料理人にやらせたら真っ赤な顔で必死にかき回していて、最終的に「聖女さまってすごいんですなあ!」と、違った意味の尊敬をされてしまった。
今、アイスクリームにはカラフルな果物を苺のソースであえたものがかけられて、光を放つように美味しそうである。
こんなに動かないでいるのにアイスクリームなど食べたら、また横に大きくなってしまい、お尻がソファに沈んで立てなくなってしまうのではないだろうか、と、3秒だけ考えた。
3秒だけね。
「いただきます!」
ぴょんと起き上がったわたしは、やっぱり動けるぽっちゃりさんなのだ。
神さま、ご加護をありがとうございます。
結局、いつものように美味しいものをたくさん食べて、1日が終わった。お風呂に入って侍女ーズに全身を揉まれ、ナイトウェアを着てリラックスしてベッドに入ったわたしは、うとうとしかかったところをベランダから聞こえた物音で目を覚ました。
こんこん、と扉がノックされた。
「ポーリン、俺だ」
「黒影さん!」
わたしがベランダに通じる扉を開けると、当然のように乙女の部屋に入ってきた黒影さんは「荷物はまとめてあるか?」と尋ねた。
「荷物ですか? なぜ……」
「ここから出してやる。そら、着替えをまとめろ」
「ま、待ってください! わたしはここから出られない事情があるとお話ししましたよね?」
「身代わりを連れてきたから大丈夫だ」
黒影さんは素早くベランダに出ると「そら、こい、こい」と『身代わり』を連れてきた。
いえ、『身代わり(笑)』にしてもよろしくて?
入ってきたのは、白い豚なのよ!
ちょっと、黒影さん!
わたしをディスるにも程があるわ!
「いくらなんでも酷すぎますわ、どうして豚を……」
「これを見ろ」
黒影さんは豚の顔をわたしに向けた。白くて大きな豚は、つぶらな瞳で『んぶっ』と鳴いた。
「この豚の瞳を見ろ」
「……まあ、青い目の豚さんだわ……」
「そうだ。しかも」
黒影さんは腕を組み、カッコよくポーズを決めて「この豚は、太陽の下では産毛が金色に光るのだ」とドヤ顔をした。
「産毛が……金色に……」
「青い目に金の産毛の白い豚が残されていたらどうなると思う?」
「くーろーかーげーさーんー」
「お前の姿が変わったのだと、皆は思うだろう」
思うかよ!
そんなこと、絶対に思わねーよ!
わたしは激しく突っ込みたい気持ちを抑えて、全力でドヤ顔のシュッとしたイケメン(顔半分は)を睨んだ。
「早く荷物をまとめろ」
「黒影さん、せっかくですがその計画にはかなり無理が感じられ……あっ」
ああ、間の悪いことに!
わたしの侍女ーズが、夜中にお腹が空いた時用のおやつをたくさん持ってやってきてしまったわ!
「ポーリンさま、その方は?」
「まさか、曲者でございますか⁉︎」
すると、黒影さんは低い声で侍女ーズに言った。
彼の背後から、なにやら不穏な気が噴き出している。
効果音をつけるなら『ゴゴゴゴゴ』である。
「お前たちはポーリンをいじめているガズス帝国の女か? そうならば容赦はしない」
わたしは黒影さんに飛びついて、身体を張って止めた。
「ちゃうちゃうちゃうちゃう、違います! 黒影さん、違いますから! 殺気を引っ込めて! この方たちは、わたしにとても良くしてくれている味方なのですよ!」
「……なら良い」
ふっと黒いオーラが止まった。
「え……」
侍女ーズが、目を丸くして言った。
「もしやその方は、ポーリンさまの想い人……なのですか?」
「その方がいるから、皇帝陛下のありがたいお話にも表情が優れずにいらした……のですわね」
「そして、もしや、今まさに駆け落ちをなさるところなのですか?」
「駆け落ち! ポーリンさまが皇帝陛下を袖になさって、駆け落ち!」
侍女ーズは手を取り合って「さすがはポーリンさまですわ!「なんてロマンチックなのでしょう!」と盛り上がってしまった。
「いえ、違いますから、これは……」
そこではたと気づく。
黒影さんの『ゴゴゴゴゴ』を抑えようとしたわたしは、彼に抱きついてしまっているではありませんかーっ!
「ちっ、違っ、違っ、これっ……」
「ポーリンを辛い目に遭わせる奴らの元へ置いておく気はない。こいつをポーリンの身代わりにする」
「まあ、素敵な豚さんだわ」
「瞳が青いわ! こんな珍しい豚さんを見つけていらっしゃるなんて……愛ですわね」
「愛ですわね」
「あなた方、これは、誤解よ!」
おろおろするわたしの手に、聖女服と小物が詰められた鞄が渡された。ナイトウェアの上から、しっかりしたガウンを着せられる。夜のおやつが袋に入れられて、手渡される。
「わたしたち、いつでもポーリンさまのお味方ですわ!」
「この豚さんをポーリンさまだと思って、お世話させていただきますわ!」
え?
……ガズス帝国では、人が豚になるのは……よくあることなの?
「どうぞお幸せに」
「ポーリンさまをよろしくお願いいたします」
「ああ」
黒影さんはわたしの手を引き、ベランダに連れて行くと、大きな黒い籠にわたしと荷物を押し込んだ。
「あとは頼む」
「はい!」
「行ってらっしゃいませ!」
違うのよ、これは違うの!
籠の小さな窓から侍女ーズに向かって、ふるふると頭を振る。
「行くぞ」
黒影さんは黒い翼を出すと、籠の上を掴んで飛び上がった。
「まあすごい、さすがはポーリンさまの恋人さまですわー」
「力持ちですわー」
ち、違うのよー。
そして、王宮はみるみる遠ざかっていた。さすがは黒影さん、わたしの入った籠を持って軽々と飛んで行く。
じゃなくて。
違うのよおおおおおおーっ!




