まさかの事態4
気持ちの良い庭園で、美味しい物をたくさん食べたロージアさまは、とっても元気になっていた。おそらく病み上がりの辛さはすでになくなっているはずだ。こんなにお肉やお魚を食べる人が、具合が悪いわけがない。
彼女の身体にエネルギーが行き渡ったところで、わたしは姫に声をかけた。
「ロージアさまは、もう普通に歩けると思いますのよ。ちょっと立ち上がってごらんなさいな」
「……はい、ポーリンさま。わたしもなんだか、そのような気がいたしますの」
それまでほとんど横になって暮らしていたロージアさまのことを、侍女たちが心配そうに見たが、ロージアさまは「手を貸してくださるかしら」と侍女に手を伸ばした。
「姫さま、わたしたちがお支えいたしますので」
「どうぞごゆっくりと立ち上がり……えっ?」
形式的に侍女の手の上に自分の手を乗せたロージア姫は、すっと立ち上がって微笑んだ。
「この通り、ふらつきもございませんわ」
「ほほほほ、やっぱり全然大丈夫そうですわね」
チョコレートを口の中に転がして溶かしてから、わたしは言った。
侍女たちがおろおろしている前で、ロージアさまは数歩歩いてみせた。
まだ神さまのご加護が宿る目でチェックしたけれど、ロージアさまはもうすっかり健康体になったようだ。きっと純粋な気持ちの祈りが神さまに届き、たくさんの癒しと恵みを受け取ったのだろう。
さすがである。聖女になってもおかしくないくらいの姫さまである。
「ああ、またこのように薔薇の園を歩ける日が来るなんて! 神さま、ありがとうございます」
ロージア姫は目を閉じて、空に向かって祈りを捧げた。
ちょっと誰ですか、わたしよりも聖女らしいなんて言う人は!
「ロージア!」
離れたところから、男性が叫んだ。
「いったいなにがあったのだ? ロージア、大丈夫なのか?」
駆け寄って来てロージア姫の身体を支えたのは、キラシュト皇帝陛下だ。今日も安定のイケメンっぷりである。
「ありがとうございます、陛下。この通り、とても体調がよくなりましたの」
「おお……ロージア……」
「キラシュトさま……」
美男美女が見つめあっている横で、わたしはよっこらしょと立ち上がった。さすがにお尻が重くなってきたわね。
「ごきげんよう、皇帝陛下。……今日も大きいですわね」
わたしが背の高いイケメンを見上げると、陛下は「……そなたは、さらに横に大きくなったな……」と呟いた。
ええい、うるさいわ!
わたしは鼻息で「ふんっ」と返事をした。
「ロージア姫は大変立派な方なので、神さまの癒しのご加護をいただくことができました」
「これは、聖女の癒しの賜物なのか?」
「いえ、わたしはお手伝いしただけですわ。神さまのありがたいお恵みと、ロージアさまの日頃の努力の成果だとお考えくださいませ」
わたしがにっこりと笑いながら言うと、キラシュト皇帝は「……さすがは聖女だ、自分の手柄を主張しない奥ゆかしさ、感銘を受けたぞ」と答えた。
「病気の元が神さまのお力で消滅いたしまして、ロージア第一王妃さまは健康なお身体になりました。つまり、陛下のお世継ぎはロージアさまがポコポコとお産みになられるということ。というわけで……」
はい、ポーリンの貞操は無事に守られました、神さまありがとうございます!
「ポコポコと……ありがとうございます、ポーリンさま!」
ロージアさまがわたしに抱きついたので、わたしはふらつきもせずにどんと受け止めた。
「わたし、がんばります、ポコポコ産みます!」
「ええ、がんばってくださいませね!」
「ポーリンさまも、ご一緒にポコポコ産んでくださいませね!」
「……はい?」
あら、わたしの耳はどうかしてしまったのかしら?
「ふたりでキラシュトさまのお子をたくさん産みましょうね。そして、一緒に子育ていたしましょう。ああ、なんて嬉しいことなのかしら、ね、ポーリンさま!」
ちょっと、この子、可愛らしく笑いながらなにを言ってくれちゃってるのかしら?
ポーリン、わからないわ。
「そうだな。ロージアの子もポーリンの子も、きっと強くたくましく可愛らしいだろう。ぜひともポコポコ産んで欲しい。今から楽しみにしておるぞ」
ちょっとちょっと、キラシュト皇帝も、なんでキラキラの笑顔でとんでもないことをおっしゃっているのかしらっ⁉︎
いくらイケメンでも、それはセクハラ発言ですわ!
「このように素晴らしい手柄を立てたのだ、そなたのことは第二王妃として、一生大切にさせてもらおう。レスタイナ国との友好ももちろんだ。癒しの聖女を我が国に嫁入りさせてくれたのだから、この恩は忘れぬ」
あら、良かったわ。
いえ、良くないわ!
ポーリンはね、初めては好いた殿方が良いの。
できれば好いた殿方と一生の契りを交わしたいの。
こんな、ラブラブ美男美女カップルのお邪魔虫になるなんてイヤなのですーっ!
というわけで、ポーリンは夜更けのベランダでお空の星に向かってため息をついております。
どうしてこうなっちゃったの?
一夫多妻制が憎いわ。
前世でも一夫多妻制の国があったらしいし、必要なことだと頭ではわかるのだ。
でも、骨の髄まで日本人の感覚が染みついているわたしには、生理的に無理なのである。
夫を共有するなんて、とんでもないことである。
しかしこの世界では、特に王族や貴族など身分が高かったり力があったりする家では、複数の奥さん同士が仲良く子育てすることも当たり前なのだ。皇帝の第二王妃だなんて女性としては玉の輿なので、侍女ーズをはじめとする周りの人たちは「良かったですね」と喜んでくれている。
「でも無理、むーりー、無理でございます、神さま! どうかポーリンをお助けください。皇帝陛下はロージアさまにお任せしますので、わたしの貞操をお守りくださいませ。……恋をしたいなどと贅沢は申しません。聖女として一生神さまにお仕えする覚悟でございますので、独身でもかまいません」
そうだ、健康な身体で美味しい物を食べて、それだけでありがたいのだから。
前世での最期を思い出して、わたしは祈った。
「なんだ、あの皇帝から逃げたいのか」
「ひっ!」
暗闇から突然声をかけられて、わたしは小さな悲鳴をあげた。
「だ、誰?」
「俺だ」
うっわ、おっどろいたわ!
「……黒影さん? なぜここに?」
ベランダに、背中から翼を生やした黒影さんが降り立ったのだ。
彼は別れた時と変わらず、黒尽くめの服を着て顔が隠れる黒髪で、その奥から真紅の瞳を光らせている。
「いや……お前がどうしているかと思って……たまに見ていた」
え?
それってもしや……ストーカーと言いませんか?
「それよりも、皇帝から逃げたいのかと聞いている」
「あ……できることなら、ですわ。でも、国の代表として輿入れしたわたしが逃げたりしたら、レスタイナ国との関係に支障をきたすと思いますので、それはできません」
しょんぼりしたわたしを見て、黒影さんは言った。
「だが、お前はここでいじめられているだろう」
「えっ、なぜそれを?」
「それに、皇帝は第一王妃と仲良くしているし」
「……」
「居心地が良くないだろう」
「それは……」
「俺がなんとかしてやる」
そう言うと、黒影さんは翼を羽ばたいて、暗闇に消えて行った。
「なんとかって、なにをするつもり? あっ、まさか!」
わたしの脳裏に、王宮内でめちゃくちゃに暴れる黒影さんの姿が浮かんだ。
ありえるわ!
海の魔物を倒した黒影さんが暴れたら、大変なことになってしまう。
どうしよう⁉︎
不吉な予感に襲われたわたしは、ベランダから身を乗り出して「黒影さん! 待って、変なことをしないで!」と声を潜めながらも彼を呼び戻そうとした。