まさかの事態2
キラシュト皇帝陛下の爆弾発言で、王宮内での立場が微妙になったため、他人の悪意に弱いわたしはすっかり怯えて部屋からあまり出られなくなってしまった。
……ええ、怯えてますのよ。
ついうっかり、これ見よがしに悪口を言った者に、全力で体当たりしてしまうのではないかとね!
わたしの『ぶつかり稽古』をされたら、か弱いお姫さまやその侍女や、下手すると日々鍛えていらっしゃる護衛の方々などでも、五体満足でいられる保証はできかねる。
そうなったら、わたしのことをよく思わないガズス帝国の高貴な方々が屍になってしまって、わたしはレスタイナ国の友好的な使者ではなく、恐ろしい人間兵器だと思われてしまうかもしれないのだ。
おお、なんということでしょう!
人間兵器だなんて!
ポーリンはこんなにも心優しい乙女なのに!
二国間の平和のためにも、わたしのナイーブな心のためにも、そのような事態は避けなければなりませんわ。
というわけで、本来なら農作業に汗を流す生活をしているはずのわたしは、部屋にこもって美味しいガズス帝国のお料理やお菓子を食べてゴロゴロしていたので、当然のことながらさらに大きく成長した。
横に。
でも、大丈夫。聖女服のウエストはゴムなのです。
「ロージア姫のお茶会、ね……」
わたしは侍女さんに髪をといてもらいながら、第一王妃はどんな人なんだろうと考えた。すると、お茶の用意をしてくれているもうひとりの侍女さんが言った。
「ロージアさまはお優しくて、とても素晴らしい王妃陛下ですわ。早くお身体が元通りになることを、国民は皆願っているんです。ああ、それにしても、ポーリンさまのこの髪の艶やかさといったら!」
ふふふ、わたしのこの光を放つように輝く金髪は、レスタイナ国でも評判だったのよ。
「本当でございますわ、本物の金でできているような素晴らしい髪でございます」
「ありがとう。栄養が充分だからよ、きっと」
健康な身体に健康な髪が生えるのだ。
そう、『豊穣の聖女』であるわたしは、いくら太っても病気とは無縁で、いつだって健康優良児ならぬ健康優良乙女なのだ。
羨ましいでしょ、おほほほ。
え?
見た目的に羨ましくない?
そうなんですか、そうですか。
そしてお茶会の日、身支度を整えたわたしは、ロージア姫からの迎えの者のあとについて行った。もちろん、侍女ーズも一緒だ。いつも明るくわたしの味方をしてくれる彼女たちがいれば、わたしもうっかりと危険な行動に出ないで済むと思う。ストッパーという存在は大事である。
「あちらに見えるのが『薔薇のあずまや』でございますわね」
到着したのは、薔薇の咲き誇る庭園の中にある気持ちの良いあずまやだった。
「ポーリンさま、『薔薇のあずまや』というのは、ロージア第一王妃陛下のために皇帝陛下がお作りになった、王宮内でも有名な大変美しい場所でございますのよ」
「あら、それは素敵な場所ね。わたしは美しいものは大好きなの」
わたしはわくわくして答えた。今日のような暖かくて良い天気の日に、庭園でお茶をいただきながらお喋りするのは楽しいものだ。
ロージア姫と気が合えば、の話だけれど。
あずまやというのは、庭園の中にあるちょっとした休憩所だ。壁のない、屋根と柱だけの建物だと思えば良い。
ロージア姫のあずまやは、美しく装飾された広い場所で、そこに椅子やテーブルが置かれてお茶会の用意がされている。
そして、寝椅子があり、そこには儚げな美女が目を閉じて横たわっていた。まるで童話の中から抜け出たような姿である。
ついでに言うと、わたしの席らしきものは、2人がけのソファだった。
良かったわ、普通の椅子だとたとえ座れても立ち上がった時にお尻が抜けなくなることがあるものね。ロージア姫はよくわかってらっしゃるわ。
眠れる美女が、長い睫毛を震わせながら目を開けた。
「ごきげんよう、聖女さま。お目にかかれて嬉しゅうございます」
「あらまあ、こりゃ驚いたわ! 薔薇の蕾から生まれたような綺麗なお姫さまだこと!」
わたしが思わず、田舎者丸出しで彼女を見た感想を口に出すと、美女は「ま……」としばらく口を開けてわたしを見つめてから、やがてくすくすと笑い出した。
「ふふっ、失礼いたしました。お褒めいただきましてありがとうございます」
「いえいえ」
失礼したのはこちらなのに、美女に謝られてしまった。綺麗なだけでなく、控えめで可愛らしい方である。
なるほど、第一王妃のロージア姫が人気のわけがわかったわ。こんなに美人なのに、とても親しみやすいんだもの。
「わたしはロージアと申します」
「わたしはポーリンです。こちらこそ、いきなりごめんなさいね。初対面なのに失礼いたしました。本日はお招きいただきまして、ありがとうございました」
わたしがロージア姫に正式な礼をすると、彼女は驚いたようだった。
だから、わたしは動けるデ……ぽっちゃりさんなのよ!
その気になれば、とても美しい立ち居振る舞いができるんだからね、重力を無視して!
「このような姿で失礼いたしました。最近では、あまり長く身体を起こしていられないのです」
ロージア姫が起き上がろうとしたところを、わたしは「どうぞそのままで、お楽になさってくださいませ」と制した。
体調が悪いのに、こうしてお茶会を開いてくれるなんて、なんて親切な姫君なのかしら。
「……申し訳ありませんわ。それでは、お言葉に甘えさせていただきます」
そして、上半身をクッションに預けた美女とのお茶会が始まった。
当たり障りのないちょっとした世間話をした後、あまり時間をかけられない様子のロージア姫が言った。
「聖女さま、わたしはこのような身体でございます。この国のためには、キラシュト皇帝陛下のお子を産むことのできる妻が必要なのです。しかしながら……」
ロージア姫は、心からキラシュト皇帝陛下のことを慕っているのだろう。悲しみの涙を流す第一王妃の姿は大変痛ましく、侍女たちももらい泣きしてしまう。
「わたしが、できることならわたしが、産んでさしあげたいのです! でも、それは叶うことのない願い……今まで他の女性を寄せ付けず、王妃たちをお飾りにしていらした陛下が、初めてお子を成すことに積極的なお言葉を発せられたと耳にいたしまして、ぜひともわたしからもお願い申し上げたいと、このような席を、設けさせて……」
「ロージア姫、身体を横になさってくださいな」
わたしはソファから素早く立ち上がり(だからね、わたしは動けるデ……ぽっちゃりさんなのよ)第一王妃の背中からクッションを抜いて枕を当てた。
「興奮するとお身体に障りますわ。大丈夫、ゆっくりお話をお聞きいたしますし、何度ロージア姫の元に足を運んでもよろしいのですよ。だから、お楽になさってね」
薄い掛け物を身体にかけて、ついぽんぽんと優しく叩いてしまう。
孤児院で、幼い子どもたちを寝かしつけていた時の癖ね。
「はい、深く息を吐いて、吸って、そのまま深呼吸を繰り返して……わたしはお菓子を摘みながら、のんびりしていますから、心配は無用よ」
気の回る侍女ーズがわたしのソファをずるずる引きずって、ロージア姫のすぐそばに持ってきてくれたので、わたしはそこにどかっと座ると本当にのんびりとひとりお茶会を始めた。
「ああ、薔薇の香りを風が運んできますわね。いい陽気ですこと。それにこのお茶菓子はとても美味しいわ。あら、カナッペも出てまいりましたわね、これも美味しいわ」
女主人不在でも、なんの支障もなくお茶会ができてしまうポーリンです。
「聖女さま……ポーリンさま、ありがとうございます……」
しばらく目を閉じているうちに、ロージア姫の興奮も治ったようだ。
「こちらこそ、素敵な場所で美味しいものをご馳走してくださって、ありがとうございます」
なんなら、お昼寝してくださってもかまわなくてよ。
「ねえ、ロージアさまは神さまを信じていらっしゃる?」
「神さまを、ですか?」
儚げな美女は、わずかに首を傾げた。
「ふふふ、よろしいのよ。ガズス帝国ではレスタイナ国ほど信仰が篤くなさそうですものね。わたしの国ではね、神さまはいつも隣にいらっしゃるの。聖女もたくさんいるし、国民はいつも神さまに恥ずかしくない生き方をしようとしているのよ。といいつつ、たまには忘れちゃう人もいますけれどね」
わたしは笑った。
常にいい人でいるのは大変なのだ。神官すら、ダメな時はダメなのだが、それが人間だから仕方がない。
「ロージアさまは、なぜ陛下のお子をお産みになりたいの? 陛下をお慕いしているから?」
「もちろん、それもありますわ……」
目を閉じたまま、ロージア姫はぽつりぽつりと話した。
「お慕いする殿方のお子を産みたいし……お世継ぎをもうけて陛下への重圧を軽くしたいし……ガズス帝国のために、国民のためにという気持ちもありますの。わたしは、幼い頃から王妃としての教育を受けております。いつか陛下の隣に立ち、共にこの国のために働きたいと考えておりました」
「あら、ロージアさまは綺麗なだけの王妃さまではないのね」
わたしが冗談まじりに言うと、ロージア姫はうふふと笑った。
「国を治めるというのは大変な仕事ですし、だからこそやりがいがございます。わたしは、政治は殿方に任せて、のんきに笑って手を振るだけの王妃になるなんて、ごめんですもの。そう考えて生きてきたのですけれど……病気には、手も足も出ませんわ」
どうやらロージア姫は、か弱そうな見かけによらず、賢くしっかりした女性らしい。
わたしは彼女を応援したくなった。
「国民のためにという大きな視点をお持ちになって、素晴らしいと思いますわ……あら、もしかすると……」
わたしがガズス帝国に来ることになったのは、この方をお助けするためなのかしら?
「ねえ、ロージアさま。ロージアさまは、ご自分で努力するだけなさってきたと思うのよ。だから、ここからは神さまのお力をお借りしたらどうかしら?」
「神さまのお力を?」
目を開けたロージア姫に、わたしは頷いた。
「わたしのお仕事も、ロージアさまのお仕事も、自分以外の誰かのためのものでしょう? 神さまは、利己的な願いを叶えることはないけれど、大きなお願いなら叶えてくださるの……めっちゃピンポイントでね」
「ピンポ……?」
「ごめんなさいね、ちょっと訛りが入りましたわ」
わたしは心の中で(スルーで!)と呟いた。