プライバシーの問題
クリスマス・イブの日、
蘭は防衛軍に言って
最高のシチュエーションを用意してもらった。
夜景が見える最上階に、
高級ホテルのVIPルーム並みの設備、
何故か部屋には暖炉までが設置されていた。
自分の立場を利用して
博士とのクリスマス・イブデートを
楽しもうという魂胆が丸見えであった。
しかし防衛軍としても
博士は最重要人物であり、
多少の出費は致し方なかった。
料理もお酒も最高レベルのものを
用意させていた。
肉体を得てからというもの、
博士は人間と同じように
食事をするようになっていた。
博士からしたら、
なんとも効率の悪い
エネルギー補給であったろうが、
博士は人間の食事という行為を
楽しく感じていた。
食事を取る度に、
味覚が成長しているのがわかった。
データ収集や経験値に基づいて、
この世界基準での人間性が
成長してきた博士であるのだから、
それは当然なのかもしれなかった。
「蘭、
人間の食べる料理というのは
とても刺激的で興味深いね。
君達が言うところの美味しい
ということなのだろうか。」
サンタクロースそっくりな人が
終始和やかな笑顔で、
驚きや感嘆を口にするその光景に、
蘭はこの上なく喜びを感じていた。
そもそもクリスマス・イブに
こんなムーディーな雰囲気で
意中の人と二人で楽しい時を過ごす
という経験とは無縁の
研究生活を送っていた蘭にとっては、
夢のような世界であった。
お腹も満腹になり、
適度にお酒もまわり、
蘭が博士にプレゼントを贈るなど、
ひとしきりの流れが進んで行った。
蘭が博士との会話を楽しんでいる時、
博士は今までずっと
疑問に思っていたことを蘭に問うた。
「蘭、
これまで僕は人間の男性しか
スキャンして来ていないと思うのだけど。
君に何か考えがあってのことだろうと思って
僕も何も言わずにいたのだけど、
どうしてなんだい?」
蘭は答えに困り顔を赤らめて
もじもじしている。
当然、自分が好きな相手が、
自分を差し置いて、
他の女をスキャンすることが許せなかったから、
とは言えようはずもない。
「そ、その、女性の、
女性のプライバシーを覗き見るようなことは、
とっても失礼なことだから、です。」
「なるほど、
この世界の人間のプライバシーの問題だね。
わかるよ。
僕も最初に進士くんをスキャンした時に、
随分と失礼な人だと、
大分非難されたからね。」
博士は頷きながら理解を示した。
「でもね、蘭。
僕はこの世界のすべてを、
人間のすべてを知りたいと思っているんだ。」
それは蘭も重々承知していた。
いつか博士はこの世界のすべてを
スキャンしてインプットしてしまうだろう。
博士は知的好奇心の塊のようなものであり、
そのためだけにこの世界に留まっている
と言っても過言ではなかった。
しかし蘭にはどうしていいかわからなかった。
まさか私をスキャンしてください、
とも言えなかった。
スキャンされてしまうということは、
その人間の身体的データのみならず、
脳内のデータや精神、魂のデータも
すべてインプットされてしまうのだ。
自分の過去や記憶も。
人間にとってこれ以上に
恥ずかしいことがあるだろうか。
そんなことされるぐらいなら
死んだほうがマシだと考える人も多いだろう。
ある意味究極の羞恥プレイである
と言ってもよかった。
蘭は顔を赤らめてもじもじしている。
明らかに鼓動が早くなり、脈拍も早く、
気分が高揚しているのが自分でもわかった。
そこに博士からとどめの一言が発せられた。
「蘭をスキャンさせてもらえないだろうか?」
蘭は自分の心臓が
張り裂けるのではないかと思う程に、
ドキドキしていた。
スキャンされてしまえば、
今までの博士に対する気持ちも、
今ここで思っている気持ちも
すべて知られてしまう。
それ以前に人には絶対言えないような、
あんなことやこんなことまでも
知られてしまう。
「蘭、どうしたの?気分でも悪いの?」
蘭は頭の中で考え過ぎるうちに、
博士の言葉も耳に入らなくなっていた。
蘭は何も考えられなくなり、
頭が真っ白になってしまい、
そしてついには頷いてしまった。
実際に博士は蘭を
口説いているようなものであった。
ただ、人間的な心理感覚を
まだ持っていない博士にとっては、
それがどういうことか
全くわかっていなかった。
博士からしたら
『この本に大変興味があるので、
どうか読ませてください、お願いします』
と言っているのと何ら変わらなかった。
それぐらいの感覚しか
持っていなかっただろう。
しかし人間の女性からすれば
『恥ずかしくてもうお嫁に行けない』
どころではなく、
『恥ずかしくてもう生きて行けない』
レベルなのだ。
それぐらい二人の間には感覚差があった。