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剡旗伝  作者: 司弐紘
第一回 遺言屋、追われる
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陸 流李、翠燕を訊く

「おい、お前」


 と流李りゅうり声を掛けてみるが、翠燕すいえんは聞こえなかったのかどんどんと先に行く。


 その身体が沈んでいくところを見ると、今から進む先は掘り下げになっているらしい。


 いや、先に階段を上っているから、一階に下りただけか。


 つまりその場所は、二階分ぶち抜きの高さがあることになる。


 流李がそう思って天井を見上げると、そこには満天の星。天井がないのかとも思ったが、よくよく目をこらしてみると、天井には透明な何かが嵌っていた。


「あれは玻璃はりの板。あれだけ透明なものはそうはないわよ」


 不意に翠燕が説明を始めた。


「それから私の名は翠燕だと言ったでしょう。次に名前を呼ばなかったら、もう口きかないわよ」


「う、す……すまん。それで翠燕、この部屋は一体?」


「ここは誼冗閣のとっておき。常連中の常連しか通されないから、特に名前は付いてないわ。この部屋はね、贅の限りを尽くしてきつの自然を作り出した場所なの」

きつ?」


 と言われれば、流李にも覚えはあった。


 天華の南にある暑い国の名だ。


 流李は実際には見たこともないが、天華とは違った植物が生え、珍獣や極彩色の鳥たちの宝庫だとも聞いている。


 それを思い出しながら見渡してみると、確かにこの部屋は天華とは違った自然環境が出来上がっているようだ。


 赤や黄色の目に痛々しい原色の花々や、今は夜なので枝に留まったままだが、極彩色の鳥もいる。


「な、何の酔狂だこれは? しかもなんだこの暑さは?」


「そりゃ、もう目一杯に火を焚いてるからね。わざわざ玻璃でこの部屋を密閉しているのは、その熱が逃げないために。この辺の草花は寒さに弱くて弱くて」


「これもまた、文化事業の一種なのか? そうであるなら文化とは自然に逆らうことだというようにも思えるな」


「はは、それはいいね。新しい説だよ」


 と言ったところで、店の女達が咄嗟とっさに数えられないほどの大人数で、この部屋に乱入してきた。


 この部屋の暑さのせいもあって、全員が肌も露わな薄着である。わずかに纏った衣服の色も周囲の花々に負けぬ程の派手さ加減だ。


 このまま乱痴気騒ぎに突入するのかと、一瞬身を固くした流李だったが、そこから始まったのはせいぜいで酒宴と言ったぐらいの騒ぎだった。


 女達は翠燕を中心にして酒を飲みながら嬌声を上げている。


 何しろ床机しょうぎも椅子もない部屋だ。翠燕は柔らかそうな草の上に腰を下ろし、次から次へと女達の酌を受けている。


 立ちつくしたままの流李の手にも、いつの間にか杯が握らされており、流れのままに杯を呷るたびに、杯に酒が注ぎ込まれる。


(これは……芸伎げいぎ達の慰安なのか……)


 何しろ見渡す限り芸妓達は、こういった店での仕事らしい仕事をほとんどしていない。最初の内は酌もしていたが、今では翠燕も手酌で好き勝手に呑んでいる。


 酒の肴を作ってくれる人まで仕事放棄をしていないのは幸いだった。。


 さすがに酔いが足に回って来た流李は、観念して腰を下ろし地面――そう、屋内のはずだがそこは確かに地面――の上に胡座をかいた。


 ここまで持ち込んだ槍をつっかえ棒にして、杯を嘗めながら翠燕をじっくりと観察する。


 一番簡単に考えれば、翠燕はこの店出身の芸伎で、里帰りのようなものをしている。


 ……のではないかとも思うのだが、女にとってこういった店で働くことは、あまりいい気分ではないはずだ。少なくとも流李はそう思っている。


 そういった場所にわざわざ帰ってきて、宴会などするだろうか?


 ……と思いもするのだが、今翠燕が一人の芸妓と話しているらしい会話の内容が歴史、詩に始まって、地理、軍事、果ては政治にまで波及している。


 確かにこういった店の芸妓は教養の面でも一流だと聞いたこともある。


 つまり翠燕は話し相手を求めてここに来た。というか、この店で働いていたからこそ、そういった教養を身につけたのではあるまいか。


 どちらの可能性もありそうな気がする。


 首を捻りながら流李が杯を呷っていると、一人の芸妓が近づいてきた。先ほど翠燕と会話が弾んでいた、あの芸妓だった。


 厚ぼったい紅い唇が妖艶で、らしいといえばいちばんらしい容姿の持ち主だ。


 着崩した衣類の隙間から覗く肌はほんのりと上気しており、同性の流李から見ても実に色っぽい。


 一通り自己紹介――相手は牡丹と名乗った。無論本名ではないだろう――を終え、さらにここに至る経緯を説明し終えた流李は、満を持してこう切り出した。


「あの翠燕という女は何者なんだ?」


 あるいはその質問は、牡丹にとっても望むべきものだったのかもしれない。


 こちらも待ちわびていたかのように、流李の言葉に被せるようにしてこう言った。


「知りません」

「…………」


「お話しできることは、色々あります。この街に姿を現したのが約三年前だとか、信じられないほどのお大尽であるとか、外出できないわたしらのためにこういう部屋を作ってくれたとか、それだけでなく古今東西の書物を集めた部屋を作ってくれたとか」


「知ってるじゃないか」


「こういうのは“知っている”とは言いませんよ」


 と言われると、そういうような気もしてくる。教養が深いだけのことはある。


「ああ、でも三年前なんだ。あ……翠燕が現れたのは」


 この店出身であるという仮説は覆された。


「その度にこの店に泊まっていくのか?」

「左様で」

「金遣いはいつもこんなに?」


「そうですねぇ。今回はちょっと大人しい感じでしょうか。それでも一晩でこれだけ遊んでいかれると、妾らとしても総出でおもてなしするしかありません」

「……翠燕をだしにして骨休めしているようにも思えるな」


 流李がそう言うと、牡丹は袖で口元を隠し聞こえない声で笑った。そして、やけにあだっぽい視線を流李に向けてくる。


「それよりもを伺ってもよろしいですか? あなた様が何者であられるかを。正直な話、あの翠燕様がお連れを伴って店に現れるなんて、妾らは想像もしていませんでした」


 向けられている感情は嫉妬だろうか。流李は何とも座り心地が悪くなった。しっかりと説明する必要性を感じる。


「私の名前は呂流李。翠燕は私の父の形見を持っている。私はそれの返還を求めているのだ」


 答えながら、自分自身に説明している気分になってくる。そうだった。自分は何だってこんな状態に陥っているのか。


「ははぁ、何ともまぁ悠長な事で」


 ところが、牡丹と名乗った芸妓は流李に対してほとんど蔑みの視線を向けてくる。


「翠燕殿がそういった物を受け取りなさったということは、お父上は戦場で果てられた。しかも仕えるべきを国を失われた。そんな状況で娘さんが形見探し……父上は客将であられた」


 その通りだった。流李の父、笈賛きゅうさんは申王に請われてその足下に跪いたのだ。


 いわゆる申王譜代の臣ではない。


 流李は侮辱されたという怒りと、牡丹の洞察力に驚くのとで、心の中が飽和状態になってしまった。


 表情を動かすことも出来ずに逆に固まってしまう。


 そんな流李を牡丹はまっすぐに見つめる。


「この店におる女共はみぃんな、国を失った女共です。明日からの生活もままならんから、こんな苦界くがいに堕ちてしまいました。そんな光を失った私達に翠燕様はこう仰います。『あなたたちは文化という名の“光”の担い手なのよ』と」


「……あなたもそうなのか、牡丹殿」


「この街で昔の話尋ねるんわ、御法度です」


 牡丹はやんわりと流李をたしなめ、空になっていた流李の杯になみなみと酒を注いだ。


 それはまるで流李の限界を計っていたかのようで、杯を空にした流李は意識が遠のくのを感じた。


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