参 翠燕と流李、自己紹介する
「私は強盗ではない!」
「じゃあ、何の用よ?」
即座に否定する娘の言葉に、翠燕はさらに質問を被せる。
「私は呂笈賛が娘、流李。名乗れば私の用件も見当がつくだろう! お前が持っているはずの王世貴の『臨江林旗図』をこちらに渡してもらおう!!」
「…………なるほど、強盗の自覚がないんだ」
豚肉のかたまりを飲み込みながら、翠燕が結論を口にした。
「そういう事情なら、俺たちが先口だぜ。小娘は引っ込んでな!」
いつの間にか匕首を手にして、ひげ面の男が割り込んできた。さすがに強盗をやろうという心構えの持ち主は、懐に匕首を呑むぐらいの準備はしていたらしい。
ただ、腰だめに構えて手首だけで匕首を見せびらかすように動かしている様は、素人丸出しだった。
「お前達男はみんなそうだ。女の身だというだけで、人を侮る。来い! 相応の力を以て相手をしてやろう」
流李は穂先をくるりとひっくり返して構える。
それは言うまでもなく手加減をしてやろうという明確な意思表示。ひげ面はその顔を朱に染めて流李に襲いかかる。
流李は慌てず騒がず、石突きでひげ面の眉間、喉、水月を瞬く間に三段突き。
幾分かは容赦しているのだろうが、ひげ面が声も立てずに気を失ったところを見ると、その威力は推して知るべし。並大抵の腕ではない。
いつの間にか出来上がっていた周囲の人垣から感心の声が上がる。
「うわっ!」
しかし、その流李が慌てたような声を上げて飛びずさる。
何事かと人垣が流李の視線の先に目を向けると、ひげ面の背後にいた貧相な男が剣を抜いていた。
今までひげ面の後ろにいて気付かなかったが、匕首どころではない、もっと物騒な得物を持っていたらしい。
しかも、ひげ面と違って構えが堂に入っている。どうやらこちらが親分格のようだ。
その男の様子に、翠燕は深く頷きながら、
「なるほど、兵隊崩れだね。今は負けた兵士が溢れてるからねぇ。ちなみにどこの国?」
「…………申」
短く答え剣を構える男。
不思議なもので、そうしていると貧相さが凄みに代わって見える。
流李の方は男の答えに明らかに動揺していた。槍を持つ手が震えている。
申、と言えば流李の父、笈賛が殉じた国の名だ。つまり目の前の前の男はかつて父と共に戦った可能性があるということになる。
相手も笈賛の名は聞き及んでいたのか薄ら笑いを浮かべながら、こう告げた。
「気に病むな。成陣殿は将軍で俺はただの兵士。縁などほとんどない。今はかち合った強盗同士、けりをつけよう」
「だから、私は強盗じゃない!!」
そう叫ぶことが、動揺を払うきっかけとなったらしい。再び槍をくるりと返すと、今度は鋭い穂先で、再び三段突き。
だが貧相な男もさすがに正規の訓練を受けてきた元兵士らしく、一撃目を剣でいなした後は、上半身をひねるだけで流李の攻撃をかわしてしまう。
そこからさらに踏み込んで横薙ぎの一撃。
流李は槍を外側に捻りながら、男の剣をはじき返す。
そしてそれをきっかけにして、流李は自分の間合いを取り戻そうとする。男の方もそうはさせじと細かい突きを繰り出しながら、自分の間合いを保持しようと懸命に努める。
こうなると、得物を使ってやりとりするのはお互いの命ではなく、まずは自分の間合いということになる。
流李は槍を縦横に振るって距離を離そうとするし、男の方は剣先よりも鋭い踏み込みで流李の陣地を侵略しようと試みる。
そういった争いを外から見ると、まさに丁々発止。
槍と剣とが火花を散らし、流李と男の殺意も火花を散らす。
周りの人垣も、その火花によって火が付いたかのように狂騒の態を示し始めていた。
もちろん、そこかしこに胴元が発生して、二人の戦いをだしにしての賭け金も宙を飛び交っている。
しかし流李の方への賭け金は今ひとつ振るわない。戦乱の世に生きる人々はほとんど本能によって強い者を見分ける目を持っている。
そう、流李は不利だった。曲がりなりにも戦場をくぐり抜けてきた男の剣のいやらしさ。それに加えて女の身であるという条件が、戦いが長引くことを許さないのだ。
次第に男の剣をかわす体捌きに余裕がなくなってくる。男の方はそうと知りつつも勝負を焦ったりはしない。
じっくりと流李の陣地を塗りつぶし、逃げ道を塞ぎ、とうとう必勝の体勢へと辿り着いた。
男の剣は準備万端。対して流李の方は身体が流れている。
と、その瞬間に男の足がもつれた。
そんな自分自身の足を信じられない思いで見つめる男。
流李も体勢を立て直すのに精一杯で、その隙に槍を打ち込むことが出来ない。
その代わり、と言ってはなんだが横から飛び出した何者かが男の揃った両足を、綺麗に蹴り飛ばした。
為す術もなく空中に放り出された男は、受け身もとることが出来ず強かに地面に身体を打ち付ける。もちろん持っていた剣も手放してしまった。
「はい、おしまい。皆の衆悪いわねぇ。やっぱり女の子切られちゃ目覚めが悪いでしょ」
男をけっ飛ばしたのは翠燕だった。
翠燕はさらに男の手放した剣を蹴っ飛ばし、今はうつぶせに倒れ込んだ男の背に腰を下ろしている。
「なんだよ、大姐。良いところだったのに」
「だから悪いって言ってるでしょ。それに十分楽しんだじゃない。この娘も思ったより腕が立ったし」
取り囲む人垣から上がった声に、手をひらひらさせて翠燕は応じる。
「でもよ、賭け金は……」
「そんなことまで知らないわよ。えっと流李だっけ。ここにいたら玩具にされるから……仕方ない、私と来て」
「え? え? え?」
理由のわからぬままに、翠燕に手を引かれ人垣から抜け出す流李。
後に残された男は、未だに大事なところでもつれた自分の足が信じられないのか、未練がましく自分の足を探っていた。
そして、その手が答えらしき物を掴む。
それは両足の褌子を縫い止めるように突き刺さった竹串だった。
焼けた肉の香り付きの――
気がつけば、流李は船の上にいた。
乗ってきた馬は翠燕の手はずで、あれよあれよと言う間に人手に渡り、その代金は今乗っている船の船頭の懐に消えた。
船は今、龍江を離れ北部へと続く運河、大通渠の途上にあった。あと半日もしない内に、双園に到着する。
「――これは違うぞ!」
やっとのことで流李は今の事態と、自分の意識を同調させることができたらしい。
荷物の減った運搬船の甲板の上、槍を抱えてどっかと腰を下ろした流李は天に向かって叫んでいた。
「何が?」
わずかに残った麻袋を枕にして、四肢を投げ出していた翠燕が投げやりに応じた。
「何もかもがだ! そもそもなぜ私はお前などと一緒に船に乗っている!?」
「いちいち声の大きい人ね。船に乗せたのはその方がゆっくり話が出来ると思ったからよ」
「話なんかない! お前が『林旗図』を渡せばそれ済むんだ」
「疑問が二つ。どうして私がその絵を持っていると思っているのか? どうしてそれを自分の物だと思っているのか?」
「お前が爺さまのところに父上の遺言を持ってきたのだろう? 聞いてきた風体そのままだ。いや、身綺麗になってはいるがな。そんな長い棍を持ち歩いている娘なぞ他にはいないだろうし」
そこで二人は、同時に翠燕の傍らに転がる棒を見つめる。
「それもそうか。ま、それがなくても遺言持っていたのは否定するつもりはないけれど。それが私の仕事だし」
「仕事?」
「どん詰まりの戦場に行って、負けてる城に乗り込んで、遺言を残したいって人からそれを聞いて、遺族にその言葉を届ける。それが私の仕事」
「そ、そんな仕事があるのか?」
流李は驚いたように翠燕を見つめた。翠燕は肩をすくめて、
「正確に言うなら、無い、のかも。私しかしてない仕事だし」
視線をそらすようにして、他人事のように翠燕は答えた。流李はそれを聞いて、なぜかホッと胸をなで下ろしていた。
「そ、そうか。そうだろうな。聞くだけでも危険極まりない仕事だ」
「だから」
翠燕は猫のような目を細め、下から見上げるようにして、流李に笑みを向ける。
「それなりに見返りも大きくてね。何しろ後がない人ばかりだし」
「か、金か?」
「いくらどん詰まりとは言っても、さすがに使うあてのない金を抱えて戦う人はそんなにいないわよ。持っているのは、肌身離さず持っていた家宝とか、そういう物」
「手放すか? それを?」
「これから物の価値も知らない雑兵どもが貴方の宝物を引き裂きますよ、っていうと割と簡単に。こっちだってただで貰うわけでもなし。感謝されるぐらいよ」
「ふむ…………」
流李は腕を組んで、翠燕の言葉を理解しようと首を捻る。
やがてそれが理解の先、実際に翠燕が何をしてきたのかというところにまで想像が及んだとき、流李の内に芽生えた感情は、激怒。それ以外の何ものでもなかった。
「父上からもそう言って、『林旗図』をだまし取ったのか!!」
しかし翠燕は寝転がったまま、全く動じるところがない。
「人聞きが悪い。私は成陣殿に事情を説明した上で『林旗図』を譲り受けたのよ。非難される謂われはないわ」
「話が違うぞ! お前は持ってないって……」
「そんなことは言ってない。ちゃんと聞いてる? それよりも今度は私から質問」
翠燕は身体を起こして、流李と同じように甲板に座り込んだ。
「あなた本当に成陣殿の娘さんなの?」
「な、何を~~?」
流李は翠燕の無礼極まる問いかけに言葉を失う。しかし、翠燕の言葉はなおも止まらなかった
「いいわ。『林旗図』がどんな絵なのか知ってるなら、言ってみて。それが当たっているなら、あなたが娘さんだと認めてあげる。見たことぐらいはあるんでしょ?」
「も、もちろんだ。う、海沿いの多分この辺り海西州の風景だと思う。真ん中に一つの城があって、その周りに赤い旗が、こうぐる~りと」
流李は両腕を回して表現してみせる。翠燕はそれを見て苦笑を浮かべた。
「あなたねぇ。それじゃ何も見てないのと一緒よ。何が描いてあるのかさっぱりわかってないじゃない」
「し、しかし、私が見た絵は確かに……」
「そりゃ表面わね。場所は確かにここ海西州。描かれている城は尭という城。楼王朝創始者がその城で旗揚げしたの。あの絵はその時の光景を想像して書いた物なの」
「想像?」
「そうよ。描いた王世貴って人は楼王朝中期の人だもの。その頃は楼も随分怪しくなってきてたからね。王朝の中興を願ってのことだったかもしれない」
「ああ……それで原点に立ち戻ろうということか」
その翠燕の言葉を聞いて、翠燕はいよいよ眉をひそめた。
「あなたねぇ。さっき、男に馬鹿にするなとか、そんなようなこと言ってたわよね」
「あ、ああ。そうだ。男共は女と見るとすぐに見下してかかるからな」
胸を張ってそう答える流李に、翠燕は冷たいまなざしを向けた。
「今のあなたじゃ見下されても仕方ないわ。楼は創始者と、その後の王朝を受け継いだ一族は別なの。だからその頃の絵を描くって事は『創始者様、お願いだから戻ってきてこの乱れた王朝を正して下さい』ってことになるのよ――これ天華の常識」
「そ、それは……」
「あなたの槍の腕は大したものだと思うけど、今の世の流れは文官重視になりつつあるのよ。腕一本で世に出るのは厳しいわ。ちゃんと理解できてる?」
翠燕はさらに追い打ち。流李は言葉もない。
「……『林旗図』を諦めないのなら、付いてきてもいいけど。ところで、まだだったわね。私は翠燕。女の身だから字はない」
「流李。呂流李」
遅すぎた自己紹介を交わす二人を、運河の流れが静かに双園へと運んでゆく。